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りゅうのすごもり  作者: 夢従
朝日と龍

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三日月の印


大きな窓が付いた木造の家。

窓からは棚に静かに読み手を待つ本が立ち並ぶのが見える。

入り口には、ただ扉に「OPEN」とだけ看板が掛けられている。


看板は表面を燃やした木の板に黒字で「OPEN」と書かれている。

遠くから見たら何と書かれているか分からない。

店主は、こだわり派か絶望的な経営センスを持った人なんだろう。

ちょっとじめっとしたような感触に私の食指が動く。


ひんやりとした肌触りがよいドアの取っ手に手をかけて押す。

ドアは音もなくすうっと開いた。

「こんにちは...」

草の葉が風でこすれるような声が出る。


お店に入ると人影は見えないが、

ときおりパラパラと本をめくる音だけが店の奥から聞こえてくる。

カウンターには呼び鈴もないようで、扉の上にはドアベルを付けた形跡もない。


ふと扉の内側に大きく彫られたものが目に入る。

円に一つ曲線を組み合わせた三日月のような印だ。

自然と手が伸びて彫刻の線をなぞる。

丸く窪んだ円。

円の中に三角の谷に彫られた曲線。

何か意味があるのかもしれない。

そっけない表の看板とこだわりを感じる彫刻に、面白味を感じる。

三日月に視線が吸い込まれそうに感じた。


店を見渡すと窓から見えた本の背は新しい本だったらしい。

窓を飾るように鮮やかな本が置かれていた。

奥には古い重そうな本や図書館でいつも留守番をしているような本が置いてある。

たくさんの種類の本があるが、鼓動が跳ねるような楽しさはない。


やる気がない金持ちの道楽か、本好きの趣味か。どちらにしろ接客は望めない。

この人気のない錆びれた感じに、肩の力が抜けて足取りも軽くなる。

最近、目を付けていたお店だったが、当たりのようだ。

そそくさと、真新しい付箋だらけの手帳を鞄から取り出す。

貴重な休日を有効活用しようと、仕事に必要な本を探しにきた。

仕事は初めてのことばかりで、失敗も多く先輩に怒鳴られてばかりだ。

なんでも先輩に聞くのは億劫なので、本で学ぶためにここにきたのだ。


メモ帳には、買いたい本をメモしてきた。

仕事術動画のススムくんがお勧めしていた「できるひとがやっている仕事術10」。

入り口に近い本棚を見ると古そうな本ばかりが並んでいる。

手帳を片手に棚を渡り歩くがビジネス書が見当たらない。

新刊がない古本屋さんだったかと、帰ろうと足を出口に向けた。


「いらっしゃいませ」


「ひぇ」

肩がびくつき、運悪く声が口からこぼれてしまった。

油断して本を探すのに集中していたせいか、

やる気のない店主が気まぐれに声をかけたのが悪いのか、

握った手には汗が出ている。

「こ、こんにちは」

少し噛んでしまい、全身の毛穴が開きぽかぽかとしてきた。


店主は、落ち着いた雰囲気のあごひげを撫で、一呼吸おいて言った。

「驚かせて申し訳ない、何か本をお探しですか?」


思ったより低い声だ。

「ビジネス書を探しています。あ、基本的な仕事のマナーが書いてある本です。」

失敗したあとは少し早口になる癖が少し嫌になる。


「ビジネス書ですか?お若いのに勉強熱心ですね。うちではビジネス書は置いてないんですよ。」

「そうなんですね!残念です。」

私の重心は出口に向かい始めている。

「もしよければ、お話を聞いて本のおすすめもできますよ。」

「ええ、そうなんですか」

なんということだ。気まぐれでやる気がある店主だったようだ。

「今は期間限定で無料なので、よかったらお話だけでもどうでしょうか」

期間限定、無料...。

出口に向かっていた心が、ふわふわと浮く。

私は人見知りという弱点もあるが、なによりも無料と期間限定はクリティカルヒットする。

「そ、それならお願いします。」

「では、こちらにどうぞ」

両足にしっかりと地面を感じ歩いた。


カウンターの奥の角の席にある椅子を引いてくれる店主。

「ありがとうございます」

椅子に腰を下ろそうとすると、店主は椅子をそっと押してくれる。


紳士風な店主が言う。

「何かアレルギーはありますか?」

「いえ、特にありません。」

「では、私のおすすめのお茶を淹れましょう」


店主はそう言うとカウンターに入り、慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。

鉄製のやかんのようなものに水を入れコンロにかける。

火がゆらゆらと揺れる。

後ろの棚に並んだ銀色の筒の中から迷いなく一つ手に取る。

ポンと蓋を開けると、柑橘のさわやかな香りが広がる。

自然と店主の動きを目で追ってしまう。

新鮮な体験で興味深い。

店主は、ざくっとオレンジ色の皮を湯飲みに入れた。


「お湯が沸くまで、本についてお話しましょう。仕事のマナーの本をお探しでしたよね。」

「はい、そうです。」

「差し支えないようでしたら、具体的にお話を聞いても?」

ぐつぐつとやかんから湯が沸く音がする。

店主はさっとやかんを取り、湯飲みにお湯をそそぎ、蓋をした。

そして、丸く満月を描くように砂時計をひっくり返した。

店主の動きに扉の三日月が重なる。

オレンジの香りが広がる空間で、胸がすうっとするような気がした。

いくらか乾いた口に少し湿り気を感じる。

「実は今年から新社会人で働いているのですが、失敗ばかりで覚えも悪くて困っているんです。」


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