魔女の願望編16
「カカッ、死にかけてたろうにいつも通りじゃのうシス君は。
まぁ、その足も含めて後で直してやるから後は任せておけぃ。」
魔女が言い、笑いつつタバコを警部に渡した。
それを受け取りながら
「お前が先に死んだら治らないだろうが。
先に治してくれ。」
警部がそう答える。
ニヤリと笑いながら、魔女は指先からライター大の火を出し、自身が咥えていたタバコの火をつけた。
「実はもう直しておる。」
警部が足先に目をやると、左足を煙が覆っている。
「シガレット、俺から言わなきゃならないことがーー」
「一通り、話は聞いておる、悪いが話す時間ももったいない。
シス君、足が直ったら奴の隙を作る。
その間に音を立てずに素早く離脱して身を潜めるんじゃ。」
「それはどういうーー。」
その言葉を言い終わる前に、警部と圧縮の魔女が居た部屋の壁が潰れる異音が工場中に響いた。
「さて…」
そう言いながら魔女が立ち上がる。
ボロ切れを纏い、黒の帽子を被り直し、タバコを咥えると火をつけた。
と、同時に圧縮の魔女がひしゃげた扉の奥から現れる。
「…成る程、貴女が協力者ですか。
のこのこ出てくるなんて良い度胸ですね。」
その声は静かだが、間違いなくどこかに怒気を孕んでいた。
月光で反射する青の双眸を爛々と輝かせ、圧縮の魔女が続ける。
「貴女、私が吸殻を盗んだ煙草屋の店主ですよね。ただの他称だと思っていたのに本当に魔女だったなんて驚きです。」
カカーーと魔女が笑い声を返す。
「貴方がそこの男とそこで転がっていた男に教えたんでしょうけど、どうして私の名前を知っているんですか?それも本名を。
それとどうしてエクシオのことも知っているんですか?」
ーー魔女が更に笑う。
「…気でも触れているんですか、答えが来るまで待っているのは同類だからですよ?」
「簡単な話じゃ、ワシは41年前にあの場におった。」
「ーーーは?それ、本気で言ってますか?」
クラリスが魔女を睨みつける。
「良いじゃろう、クラリスお主自身はもう逃げられんから教えてやろう。
というかーーお主本当にワシに見覚えはないかのう?」
そう言うと魔女が煙草を口から外し、煙を大きく吐いた。
「見覚え…?ありませんね、そもそも貴方の様な魔女の存在なんて聞いたことすらないんですよ。」
「そうか、残念じゃのう。
ではもう一度聞くがーーーー。」
魔女が帽子を外し、顔を隠す。
「本当にーー私に見覚えはない?クラリス。」
そう言いながら帽子を顔から頭に戻した。
「ーーーッ!?」
其処には、金の短髪、緑の瞳の少女が魔女の格好のまま立っていた。
「エク…シオーーー?」
クラリスの表情が一瞬緩む。
が、直ぐに戻る。
「有り得ない、確かにエクシオは私の目の前でーー。」
「久しぶり、クラリス。」
そう言いながら、エクシオが笑う。
「顔を変えちゃったからわからなかったけど、私ずっとクラリスを探してたんだよ?」
驚愕、喜び、疑惑が混ざった複雑な表情。
今にも泣き出しそうな顔でクラリスは膝を折った。
「やめろ、やめて。
エクシオが生きてる訳がーーない。」
「じゃぁ、私は何?貴方の好物でも言えば信じてくれる?
あ、でも41年の間に変わっちゃったのなら間違っちゃうかもしれなーーーー。」
「有り得ないの!私はあの日貴方の頭が抉れた身体を見た!
ーーーそしてそれを辱めようとした人間達をーー!」
「ーー皆殺しにした?」
力無く、クラリスが頷いた。
ゆっくりと、魔女が歩みを進め、クラリスを抱き寄せる。
「ーー私の為にそんなに怒ってくれたんだ。」
「ごめんね、エクシオ。
貴方を守れなくて、貴方を持っていかれない様にするので必死でーー」
魔女の細い指がクラリスの頭を撫でる。
「それで、そのまま泥の様に眠って、目が覚めた時に...」
クラリスの手に力が篭り、魔女を突き飛ばした。
「ーーー貴方の事をあの悪魔に捧げたんだから。」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間に魔女の体が両側面から押し潰される。
骨が折れる音、割れる音、筋肉が断裂し、骨が突き破り、一塊の中になっていく音が混ざる。
その音と共に魔女は、空に浮かぶ赤い立方体に変貌していた。
「ーーいい演技だったでしょう、なんの魔女か知りませんがエクシオと私の事を舐めてるからこうなるんですよ?
ああ、もう聞こえていませんか。
胸糞悪いものを見せてくれましたね、本当に。」
異能が解かれボトボトと落ちていく肉片を見下してクラリスは笑う。
ーー工場に響く息を長く吐く音。
目を見開きクラリスが振り向くと、無傷の煙草の魔女が葉巻に火をつけて居た。
「どう言うこと?確かに貴方は此処にーー」
クラリスが指を刺した肉片が霧散する。
「何処にでも居る、何処にも居ない。
肺に溜めて、残留し、口の中から吐き出される。
風に吹かれて霧散して、人の欲望と呼気で戻って来る。
煙や雲のように何にでもなれるし、何でも作れる。
ーーー煙草の魔女、それがワシじゃ。」
そう言い、魔女が指を弾く。
ーー刹那。
「ーーは?」
クラリスの頭上から鉄の塊が降ってくる。
ガコォンッ!と鉄が硬い地面に当たる音が響く。
ーー既のところで、飛び退きクラリスは事なきを得ていた。
「ーーッ!?」
続いて鉄板が上から降ってくる。
避けたと思った先に鉄骨、コンクリートの壁。
それぞれが地面に落ちて鈍い音を立て、縦に落ち床に傷を付け倒れ、衝撃で砕けて割れる。
「次は横じゃ。」
置いてあったドラム缶が、高速で飛来するーーが。
クラリスが一瞥すると一瞬でドラム缶が潰れる。
肩で息をするクラリスの耳に拍手が響いた。
「クカカ、やりおるやりおる。」
グシャリと、肉と血が飛び散る。
ーー2度目の圧縮が魔女を襲った。
「無駄じゃ、無駄無駄。
お主の異能程度ではワシを捉えられん。」
またもやクラリスの背後から魔女の声。
目の前には霧散していく肉片。
荒れる息と魔女が葉巻の煙を吐き出す音が混じる。
「本当に貴女、何者なんですか。
私の事もエクシオの事も知っているなんて…魔女ですら、今殆どいないはずですよ。
それにこんな、訳のわからない異能を持っているなんて。」
背中越しに魔女にクラリスが語りかける。
ジジジ、と灰を作る音と息を吐く音がもう一度クラリスの耳に入る。
「ワシが何者か、か。話してもいいが信じんじゃろう。」
「内容に依りますね。」
「カカ、そりゃそうじゃな。
じゃが、お主は信じんよ、何せ現実主義者じゃからのう。」
クルリと、クラリスが振り向きざまに睨みつけ、3度目の圧縮が行われる。
今度は上下左右から透明の板の様なもので圧縮され、魔女は血と脂と骨と肉を、前と後ろから飛び出させ絶命する。
クラリスの顔に鮮血が飛び散り服も含めて紅く染めていく。
が、その飛び散った血液ごと、白い煙になり霧散しーー煙の中から魔女が現れ肩を叩き、後ろに陣取った。
「ーーのう、クラリス。」
「…なんです。」
「大人しく、投降せんか?」
大きくつかれるため息。
「無理ーーですね!」
クラリスが何かを放り投げーー魔女の上空の空間を圧縮した。
異様な風切り音ーー。
高速で飛来した何かが魔女の足に何かが突き刺さり地面と右足を縫い付ける。
「む。」
「どうやらーー本物みたいですね、先ほど拾っておいて正解でした。」
ジワリと、縫い付けられた魔女の足から血が滲む。
「ふむ。」
再び魔女が指をーー弾くことは叶わなかった。
手を挙げた時点で、肘から先が潰れていた。
「ーーー成る程のう。」
「一気に潰すからなのか、頭を潰したからなのかーーどっちか分かりませんが、
貴方はソレをトリガーに自分自身を煙の分身と入れ替えられるんでしょう?
ーー…タバコというより煙の魔女ですかね。」
葉巻を咥え直し、魔女が笑う。
「クカカ、痛い所を突きおるわい。」
「まだ、笑う余裕があるんですね。貴女の『勝ち目はなくなりました。』」
声が合わさる。
「ーーかのう?」
その言葉を聞いて、白けた目でクラリスが魔女を見る。
「その程度の予測は立てられるでしょう、性格悪そうですしね。」
「…可愛く無くなったのう。
しかし、この程度で勝ち目が無くなったと思われるのは心外じゃな。」
魔女が葉巻を咥えながら器用に話す。
「そもそも、クラリスーーお主、すでにワシの胎の中にいる訳なんじゃが。」
そう言いながら、葉巻を口だけで上に向ける。
「ーー何を言ってーーー。」
瞬間、クラリスの体が重力を失ったかの様に宙に舞った。
「ーー!?」
「気づかんかった様じゃなぁ、
遺憾ながらリコとエンリケーーあの2人は死んでしもうたが、良い仕事をしてくれたわい。」
葉巻を残っている左腕で口から離し、弾く。
グルグルグルと空中でクラリスが回りーー葉巻が落ちるのと同時に腹から地面に叩きつけられた。
「ッ…ィグッーー」
「背骨か肋骨でも折れて肺にでも刺さったかのう?
まぁ、異能の力で抉っておらんからその傷も直ぐ治るじゃろうがーー。
つくづく因業を背負わされたもんじゃな、我々魔女は。」
白い靄の中、肘を付き上半身を持ち上げーークラリスが何かに気付く。
「まさかーーーこれはーー。」
「カカカ、気付きおったか。
いくら今日、外の霧が濃くとも、まさか建物の中にまで侵入してくる訳あるまい。
予定より早かったから焦りはしたが、今日まで念入りに仕込んで置いてよかったわい。」
フレシェットで縫い付けられた足を、無理やり地面から引き剥がしながら魔女が言う。
そう、一見すればただの靄に見えたそれは、ほぼ無臭ではあるものの間違いなく煙草の煙だった。
「もう一度だけ、聞くがーーークラリス、大人しく投降せんか?」
「ーーーッ!!」
怒りを込めた視線が魔女に突き刺さった。
「ーーぉ?」
腰を折り葉巻を拾おうとした左腕が潰れ、魔女の体が空に持ち上がる。
「貴女が、煙を使って何かをすると言うのなら、煙と分離して仕舞えばいい。」
口の端から血を滲ませながら、立ち上がったクラリスは魔女を見据えて続ける。
「葉巻を手放したのは失策でしたね。
それはどうやら指揮棒の様な物なんでしょう?」
「で?」
ーーー四度、魔女は圧縮された。
「ーー死ぬんですよ。」
直径40cm程の球状の肉塊が宙に浮かぶ。
そのまま、更に20cm程の球体に圧縮され、数秒。
「流石にーー死にましたよね?」
「そうじゃのう、流石に死んだじゃろ」
球体を包む何かをコンコンと叩きながら無傷の魔女が現れる。
唖然、と言う言葉でしか表現できない様な表情でクラリスが魔女を見た。
「何を驚いとるんじゃ?」
「だって、さっき痛い所を突いたってーー。」
顔が、歪む。
右の口角だけが上がり、蕩けた様に瞳が歪む。
そして、笑う。
魔女だから、魔女故に、彼女はーー魔女シガレット・スィガリエータは笑う。
心底おかしそうに、心底楽しそうに。
既にこっそりと抜け出していたシス警部の耳にも届くほどの大声で。
「ーーーカカカカカカ!肯定にはなるまい!ワシはその質問には答えとらんわい!最後にお主は何と言っておったかのう?」
宙に浮いた自分の肉塊を撫でながら、魔女が嗤う。
「ーーータバコというより、煙のーー…!
ーーそう言う事ですか。」
「ワシの分身の件も、葉巻の件も勝手に予想して外しておいてーー今度はどう言う見当違いを聞かせてくれるんじゃ?ん?
もう一度、言うぞ、クラリス。」
何処からともなく取り出した葉巻を、帽子の火で付け咥えーーー魔女はクラリスの瞳の奥を見据えた。
「ーー投降せんか。」
ーー何方が鳴らしたのだろうか。
喉が鳴る音が聞こえる。
無限にも思える数秒が流れーークラリスが口を開く。
唇が開くときに舌が当たり静かな工場内に音が響いた。
「ーーお断りです。」
バシャリと、球体となっていた肉が地面に撒かれーークラリスが上を向く。
魔女が手を上げ、煙が動く。
煙がクラリスの右手を覆うのと、異音を響かせながら天井の崩落が初まるのは、ほぼ同時だった。
ーーー斯くして、崩落していなかったはずの化学工場は、ロークタウンの人間の記憶通りに崩落した。





