8 お嬢様登場
「あの、すみません」
「はい、いらっしゃいませ。何にされますか?」
俺が居る厨房からではよく見えないが、またお客さんが来たようだ。
「じゃあ、この石窯パンを二つ」
「はい、ありがとうございます。最近始めた新作なんですよ」
そうそう、俺がコネくったタネで作ったモチモチパンだ。
「あ、そうなんですか。じゃあ、他にも新作は?」
「新作ではありませんが、こちらのレーズンパンは甘みを少し加えてみました」
それも俺がもっと甘い方がいいと思って、ちょっと工夫してみたやつだ。
「じゃあ、それも―――」
「はい、ありがとうございます」
「・・・・・・」
「他にも何か御入り用ですか?」
母さんが聞いているのに、黙りこくってしまったようだ。
ああ、またか。
「え、えっと、ケ、ケントさんをっ」
「まあまあ、ケントはいずれ売れ残りそうですけど、まだ売り物じゃないんですよ。すみませんね」
「あ、そんなつもりでは―――」
「でも一応お見せすることはできますよ。見ますか?」
「じゃあ、ちょっとだけ」
「ケント! ちょっと表に来て!」
冗談みたいだが、俺目当ての見物人が一日に何回かあって、こんなやり取りがここ暫く続いている。
最初こそ記憶喪失をいたわってくれた母だったが、やはり早く人前に慣れる方が良いとばかりに、俺へ用がある客は俺にさばかせるようなった。
ちなみにブラコン兄貴が居る時は、とっとと追っ払ってくれるので意外に重宝しているのだが、さっき町の会合で足を引きずりながら出て行ってしまったので、俺は仕方なく店の方へ出た。
「いらっしゃいませ、お買い上げありがとうございます」
「あ、あ、あの、これ、どうぞ!」
と言って、彼女が差し出して来たのは、今、買ったこの店のパンだ。
・・・・・・一体どうしろって言うんだ。
突き返すべきか?
ありがたく貰うべきか?
貰ってから、もう一度店先に並べるか、それもいいな。
と、俺が良からぬことを考えていると、母さんが当然のことを口にした。
「申し訳なくていただけませんよ、お客様」
「あ、そ、そうか、そうですよね。私ったら」
恥ずかしそうにその女の子は一度頭を下げて、店を後にした。
何故こんなことになっているのか。
それはとても笑えない話が、この町に蔓延してしまっているからだ。
「す、すみません。け、ケントさんはおられますか」
「はい、ちょうどここに」
また来たか。
俺は、おかしな受け答えをする母と新たなお客を見た瞬間、自分の目を疑った。
それは競技会で案内役をしていた、あの女の子だった。
「あらあら、サフィール様。わざわざお越しいただかなくても、仰って下されば何でもお持ちしましたのに」
「いいえ、私も町の様子を自分の目で見る勉強を兼ねて来ていますので、お気遣いなく」
「本当にいつもお買い上げいただいているお蔭で、ご領主様のお嬢様ご贔屓の店と評判が立って、繁盛させていただいています」
・・・・・・何だって?
母さんはあっさり言ってくれたが、何気ない今の会話の中に、とてもスルーできないポイントが二つあったぞ。
しかし二人の話は勝手に続くので、俺は必死に聞き漏らすまいとした。
「それは良かったです。でもわたくしが競技会へ出るようにお話をしたせいで、こんなことになってしまって・・・・・・」
「それは本当にお気になさらずにお願いします。このバカ息子がいい格好をして、あんなことを勝手にするものですから、サフィール様のせいではありませんよ」
「でも・・・・・・」
バカ息子って、やっぱ俺か?
しかし兄貴の競技会参加は、このお嬢様の推薦枠だったのか。
それではケガをしたからって穴は開けられないな。
「大きな男が、四六時中こんな小さなパン屋に二人も籠って力を持て余していますから、町のために競技会へ出るくらいのことは、当然のお話だったと思っています」
「そんなつもりは、本当に・・・・・・」
「ご希望されたケントではなく、兄のジノがエントリーをして、結局ケントの方が出ることになって、ややこしいお話にしてしまいました。変更の御手間を取らせた挙句に、この子の後の試合も台無しにしてしまって、こちらこそお詫びのしようもございません」
「いえ、ジノさんは試合前にあった不慮の事故が原因ですし、け、ケントさんの件も済んだことなのでお気になさらずに」
深々と頭を下げる母親に少し申し訳ない気持ちを抱いているのに、俺は抑えられない驚きが顔に出ていたかもしれない。
このお嬢様がケントを推薦したって?
一体何を考えているんだ?
ケントってそんなに強者だったのか?
確かにコネっていて分かるが、握力は非常識なほどあると思う。
お蔭で全然腕は疲れない。
でも総合的に見て、パン屋で肉体労働だから体力全般はそれなりにあるものの、特に目を見張るほどではないと思う。
比較対象があの海ゴリラだからどこまで正確かは怪しいけど。
となると、やっぱり母さんの言う通り、狭いパン屋に男が二人いるのが無駄に思えて、暇そうな弟を引っ張り出した気まぐれと考えるのが妥当か。
そして兄貴が俺に変わって出ようとした。
あー、そいつは更に笑えないー。
ブラコン兄貴が俺を危険な目に合せないように、勝手にエントリーしたのだろう。
確認するまでもないな。
これまで試合参加の経緯を二人が言いたがらなかったわけだ。
だが結果的に、俺の剣の試合に納得のいかない我儘な観客のせいで会場がえらいことになり、あの後の試合もすべて中止になった。
俺も勝つつもりはなかったけど、勝ってしまったものは何ともしようがない。
その後、町を挙げての大イベントを中止に追い込んだ割には、俺への非難がほとんどないのには理由がある。
そもそも俺を責めること自体理不尽なのだが、民衆などは自分の気持ちを身勝手にぶつけて後先考えずに振る舞い、都合が悪くなると神頼みをするものだと、ある女神が言っていたことをふと思い出す。
俺も、俺の負けに賭けていた奴らの不満を引き受けてやる義理など、どこにもない。
それなのに失神演技のために投げつけられた物をじっと耐えた俺の姿は、あたかも不満をすすんで甘受するかのように受け止められた。
結果オーライとはまさにこのことだ。
お蔭で風当りも小さくなり、さっきみたいにお客の女の子たちが見に来るほど、一躍時の人になってしまっている。
「あの、それで、け、ケントさんに少しお話があるのですが」
「ケントにですか?」
へ? 俺?
母さんも、驚きの表情を浮かべお嬢様を見返す。
そういえば最初に俺を名指しだったのを、母さんが勝手に話を始めたんだった。




