66 願い
「ところでここは?」
「奥社の中じゃ。さすがに今日は能舞台へは無理なのじゃ」
「―――そうか、本当にお移し神楽を舞って滑落する前に帰してもらえたんだな」
「正しくは滑落した空中からこの社へ飛ばしたのじゃ。間にサフィルネを挟んでな」
ダ女神様の言葉で俺は自分がびしょ濡れの衣装を身に着けていることに初めて気づいた。
まだ頭の理解が追いついていないが、人が山ほど居る所へ忽然と姿を見せるの不自然すぎるし、俺も遠慮したいところだ。
「と言うことなら、そろそろ山を下りる準備に入るか。ところであちらの世界のケントは無事だよな? まさかバルコニーから落ちて死んだとかないよな?」
「何も心配ないのじゃ。もともと頑丈にできておったのと、そなたが最後まで受け身をしっかり取っておったたからな」
「良かった。後は上手く誤魔化してくれるといいのだけどな」
「そちらはすべてマルセルに任せておいたのじゃ。今度こそ本物の記憶喪失で押し通すであろうし、それには其方が派手にサフィールを救った功績が大いに役立つ」
「あ、しまった」
俺は今の今まで忘れていたことをダ女神様の言葉で思い出した。
「御慈悲馬車の借金をチャラにしてもらうのをあっちで頼むの忘れていた」
「何じゃそれは?」
「え? ダ女神様が俺に百年間パンを焼いてよこせって、マルセルさんから聞いたぞ?」
「一体何のことを言っておるのじゃ」
小百合の顔で眉を顰めるダ女神様に嘘はなさそうだ。
・・・・・・やりやがったなあのヘラヘラ執事。
「あの人は俺のことを最初から知っていましたよね?」
「此方がユーリへ乗り移ったその日に、此方のことに気づきおったのじゃ」
そんなことを言ってたな・・・・・・やはり恐るべし。
「此方も協力者が必要であったゆえ、マルセルには徐々に事情を打ち明けて其方を探して貰った」
「俺を?」
「そうじゃ。御山での転落死を免れさせるために、此方があちらの世界へ連れて行ったのは分かっておろう」
「ああ、でも一番初めの時は能舞台へ直接だったのに何故わざわざ別の世界へ行ったんだ?」
「一度目はそれまでに奥社へ溜められた力を使って転移をしたのじゃ。そのせいで二度目は力が無く、此方のもう一つの世界へ飛ばすことが精一杯だったのじゃ」
「・・・・・・つまり最初に鏡写しの神楽に怒って俺を飛ばさなければ、この夏祭りの滑落でサフィルネへ転生する必要はなかったと言うことか?」
「まあ―――そうとも言えるのじゃ」
「・・・・・・このダ女神が!!!」
最初の能舞台への転移は、単なるいたずら半分の腹癒せでやったはずだ。
気まずそうに横を向く小百合の顔をしたこの女神様には―――本当に参った。
「それだけ元気であれば一人で降りられような?」
「―――ああ」
転生の裏事情を知った俺はどっと疲れを覚えた。
「ならば此方は一足先に雄司へ伝えておこう。心配しておったからな」
「あー、俺、明日も御還しのお神楽を舞えるかな・・・・・・・」
徐々にこちらでの記憶がはっきりとしてくると嫌な事も色々思い出す。
俺は親父の言いつけに背いて御山へ登った。
その挙句にこの失態だ。
「夏祭りが終わるまでは大丈夫であろう」
「はははは、そっかぁ。それは良かったぁ」
女神様の返事に俺は虚ろに笑った。
とりあえずは明日の御還しの儀はできるみたいだ。
・・・・・・その後はどうなる?
かなり気を重くしながら下山した俺は、心配をしてくれた人達にもみくちゃにされながら能舞台の前まで来ると、分厚い肩に蒼い目の小百合を乗せたイカツいゴリラ神主が目の前に立ちはだかった。
「―――親父」
「やっと帰ったか、この馬鹿者が」
不意に熊のような腕が動き俺は一瞬身構えた。
しかし予想をした衝撃と激痛はなく、目の前にはどこか見慣れた古い刀が差し出されていた。
「これは―――」
「ユージーンの刀だ。俺とお前の差を思い知ったらこいつで奉納の神事を始めろ。そんな柄の濡れた刀で舞ってる最中にすっぽ抜けたら目も当てられん」
「分かった」
俺は言われるがままに御山へ持って行った御神刀と親父の手にした刀を交換し、その感触を確かめながら思い出した。
「サフィルネで失くなったと聞いたもう一本は、親父が持って帰っていたんだな」
「急ごしらえだったが、思いの外出来が良かったから持って帰ったのがそいつだ。残した出来の悪い方を出来の悪いバカ息子が使ったそうだが、少しは役に立ったみたいだな?」
「あー、ま、まあな」
これ以上話が続くとマズい。
折れて埋めて来たなんて言ったらどれだけ罵倒されるか分かったもんじゃない。
なので本当に僅かずつ徐々に体を動かし、俺は能舞台の上へ逃げようとしたのだが、空気を読まないダ女神がそれを許さなかった。
「その通りじゃ。此方を助けてあの刀は天命を全うし、剣人によって土へ還されたのじゃ」
・・・・・・ど、どうして知っている!?
いや、それよりも頼むからその蒼い目と口を閉じてくれ。
「ふん、どうせそんなことだろうと思ったぞ。この未熟者にはまだまだ蒼玉を継ぐことは無理そうです、サフィール様」
「ゆ、ゆーじおじちゃん。こ、此方は小百合だよ?」
「ふふふ、そうだったな、小百坊」
さすがに少し焦ったダ女神様を見た親父が、ご機嫌な笑みを浮かべる。
やはりこの鈍感ゴリラが最強か・・・・・・。
しかしいくら祭りの舞台でカラコンだと言い逃れができるからって、こいつら人前で何をやってるんだ?
小百合が此方なんて言うはずがないだろう!
ダ女神様にデレデレのロリラが鼻の下を伸ばしやがって、マジで見ちゃいられねえよ。
呆れた俺がもう気にすることなく二人に背を向けて能舞台の階段へ足を掛けた時、突然ダ女神様に呼び止められた。
「剣人!」
「お、おう!?」
蒼い光が円弧の軌道を描いて俺の目の前へ降って来た。
「時空の荒波を越えた蒼玉の腕輪にすっかり力が無くなっておる。祭りが終わるまで預かって清浄な気をしっかり溜めておくがよい―――今度は此方が還る番じゃ」
「あ、ああ、そうだな! 任せてくれ!」
俺は小百合の腕輪をゆっくり右手首に通し、左手でユージーンの刀を正面横一文字に掲げて心から願った祭りの舞台へ再び上がった。
抜刀―――。
悔しいが一切の抵抗なく滑るように鞘から刀身が現れた。
一心不乱に腕を振るたび白銀の刀身と蒼玉の残光が能舞台を駆け巡る。
一挙手一投足、すべては蒼い瞳の女神のために―――。
そして最後の一太刀を振り抜き、お神楽を終えて静寂に包まれた舞台には俺の荒い息遣いだけが聞こえる。
「剣人、よくやった」
「あ、ああ」
力を振り絞った俺の元へ来た親父は、黒い目を擦って眠そうな小百合を抱かかえていた。
「そっか・・・・・・」
「お移しは終わった!! 祭りを始めるぞぉ!!!」
蒼玉神社宮司の怒号が嵐の中に大きく響き、その年の夏祭りの幕は上がった。
俺の決して忘れられない日々と共に―――。
活動報告にも記載しておりますのでよろしければご覧ください。




