56 誘拐犯の正体
これが普通の馬車であれば、適当な理由をつけて領内介入をする口実を無理やり作れなくもない。
しかし御慈悲馬車には見間違いようのない領主の紋章があり、背後からはこちらの衛兵が追い駆けているのは傍目にも明らかだ。
要請もないのに助けへ入るという大義名分はない。
あの馬車で逃げてくれて本当に良かったと言いたいが、実は困ったこともある。
領民へ多くの物資を配給するため、荷台が通常のものより遥かに大きい。
そのため俺の弓がどれだけ優れていても、後ろからではとても御者台は見えず狙いがつけられない。
試しで山なりに数射してみたものの、てんで見当はずれの場所に矢が落ちた。
仕方なく俺が弓を収めた頃には、ムラトさん達は馬車の後方を守っていた敵と刃を交え始めていた。
弓を射るために隊列から離れていたお蔭で俺一人がフリーになっている。
ならば俺が行くしかない。
手綱を激しく入れて馬を必死に走らせ橋もすぐそこに迫ったところで、俺は馬車の後ろ側に手が届きそうなくらいの距離まで追い付いた。
すると馬車の御者が、橋向の敵兵に大声で助けを求め出したのだ。
「こいつらは偽物の衛兵だ!! 俺はご領主の大切な馬車を預かる者だ!!! 頼む、助けてくれ!! 後で必ず礼はするぞ!!!」
ふざけるな!!
この橋へ迎えに来たところまではすべて台本通りだろうが、敵の兵には少しためらいが見えた。
形の上では人命救助だと押し通せたところで領地侵犯の責は絶対に発生する。
それに俺達の追撃が予定外だったのかもしれない。
これほど素早く動けたのはミネバさんのお手柄だ。
あと少し、あと少しだ。
焦る気持ちを手綱に込めた俺が馬を激しく叱咤した瞬間、事態は動いた。
いや、動いたのは敵兵だ。
まさかとは思ったが、馬車を助けにと言うか奪いに来たのだ。
理由は簡単だった。
橋の後ろに更なる増援が現れたのだ。
くそっ!!!
状況はどんどん悪くなる。
だが俺はあきらめないっ!
奴らにユーリ様を絶対渡さない!!
顔が判別できる程近くになった敵を目の端に捉えながら、俺は何とか馬車と並走できる位置までこぎつけ、御者の姿を確認したところで思わず息が詰まった。
「お、お前っ!?」
「やあ、ケント、とても早かったね」
見間違いではない、ヴァン鍛冶工房の若い鍛冶師見習いが馬車の手綱を握っていたのだ。
「ルーカスっ!!! どういうつもりだ!?」
「この状況で聞いてどうするのだい?」
「お前が俺の名を騙ってお嬢様を呼び出したのか!!」
「君の名前など出していないよ」
敵兵の列が馬車を受け入れるために間を開け始めたのを確認し、若い鍛冶師見習いは涼しそうにうそぶいた。
「嘘をつけ!! さっさと馬車を停めろ!!!」
「そんな言葉に従うと思うのかい? ははは、出来るなら止めて見なよ」
ルーカスは俺から離れるようにじりじりと御者台を移動する。
「君が前もって色々説明してくれていたお蔭で、鍛冶工房の者だと言ったら簡単に信用してくれたよ。ポッと出のパン屋如きが本当に気に入られているのだね」
「貴様―っ!!」
「それより君もレンツァへ来ないか? その発想力は殺すには惜しいよ」
「お前はレンツァの回し者だったのか!?」
「それ以外にないだろう? ああ、人さらいを請け負ったと思っていたのか。全然違うよっ」
席移動の時間稼ぎは終わりとばかりにルーカスは馬に激しく鞭を入れた。
俺にしても相手が誰であれやるべきことは変わらない。
ただこちらの世界での初めての友人らしき者の裏切りがとても悔しく辛かったが、そんなものユーリお嬢様を失うことに比べれば、髪の毛ほどの重さもない。
「その腰のものが、君がわざわざ僕達の真似事をして磨こうとしていた古い武器かい?」
もはやこいつとは口を利く気もない俺は、刀ではなくサーブル剣を黙って握った。
理由は単純、不安定な馬上で落としにくい方を選んだだけだ。
ルーカスもただ見ているわけではない。
腰に帯びた剣を一応抜きはしたが、御者台の長さを利用して、俺が剣を振ると体をずらして攻撃を避けることに専念している。
俺は必至に剣を繰り出すが、御者台の反対側に座るルーカスにはそう簡単に届きそうにない。
「へー、その剣はまだ使えるんだ?」
「当ったり前だ!」
御者台でニヤケたルーカスと会った最初の頃に、ボロいと間接的に言われたことを思い出した俺はムキになって剣を振るい続けた。
「ケント、本当に君は面白いね」
「だからどうした!!」
俺はルーカスに有効打が決まらないので狙いを変えて、奴の握った手綱を叩き切るつもりで苛立ちを込めて思い切り振り降ろした。
するとグリップの先から刀身が外れてすっ飛んで行ってしまい、俺の手には鍔の付いたグリップだけが残された。
「何っ!?」
「だから聞いたじゃないか、くくく」
「お前ーっ!!」
間違いない、昨日調整すると言って渡した時にネジを緩めてやがったんだ。
そうでなければこんなことあり得ない。
本当にすべて計画通りということか!
そして一時的に丸腰となった俺へ、すかさずルーカスが剣を突き出してきた。
「くっ!」
「そっちの腰の物を抜いて見ればどうだい? 同じように刃が抜けるかもね、ははは」
俺以下のダジャレを口にしやがって、益々イラつかせてくれる。
だが奴の術に完全にハマった俺は、歯噛みをしながらも馬の手綱を緩めざるを得なかった。
―――時間切れ。
ルーカスの操る馬車が、並んだ敵兵の列へ逃げ込むことを許してしまったのだ。




