95:分かった
「結?!」
時は被瀬結と覆瀬結の決着が着いた直後に遡る。
あの時、被瀬と柊を覗いた全員がムスビの元へと向かった。
ならば、その二人はどうしていたのだろうか。
「……真冬」
「……どう……したの?」
そこは使われていない空き教室。
ムスビたちが会議で使っていた教室だ。
誰もいないここに向かったと話を聞いた柊は、急いで来た。
そして柊の目に写ったのは、被瀬の姿のはずだった。
しかし、柊の目には、どうしてもそれが被瀬結だと思えなかった。
確かに、姿かたちは確実に被瀬結だ。
だけれど、違う。
なんと表現すればいいのかわからないこの状況に、柊はたじろいだ。
「私、分からないの」
柊は、後ろに下がりそうになった足を止める。
ここで後ろに下がってはいけない。
直感が、そう伝えた。
「私、分からないの」
「何が、わからないの?」
柊は優しく尋ねる。
被瀬は、何らかの異常である。
そう柊は断定した。
「私は、わからないの」
「何が、わからないの?」
被瀬は、まるで壊れたラジオの様に同じことを繰り返す。
そのことに柊は苛立ちを覚えない。
むしろ、不安が募る。
ここまでこうさせているのは、何が原因なんだろうか。
何が、彼女をここまで そうさせたのか。
柊は思考する。
「私は、私が、わからないの」
「結が、結の事を、わからないの?」
コクリと、頷いた。
「結は、結だよ?」
「それが、わからないの」
「何がわからないの?」
まるで問答のようなやり取りに、何が答えなのかを必死に探す柊。
被瀬は、自身がわからないと言っている。
自身が分からない、というのはどういうことなのだろうか。
言葉通りの意味なのか、何かを暗示しているのか。
もしそのままだとしても、どうすればその問に対する答えになるのかは分からない。
かといって、何かを暗示しているのかと言われても、それが何を暗示しているのかが分からない。
「真冬。
私はね。
探しているの」
「て、手伝おうか?」
この会話の最中、少しじつ、少しずつではあるが、被瀬は柊に近づいている。
それも、少しずつ、少しずつ。
「手伝えるのかな?
いいえ、手伝えないわ」
「……そんなことは無いかも。
探すのを手伝うくらいはできると思うよ」
柊は、足を止めるのに必死であった。
この状況で柊真仏が感じているのは、恐怖。
漠然とした、恐怖。
それはまるで、底の見えない穴を覗き込んでいるときのような、漠然とした恐怖。
落ちないのは分かっている。
でも、この穴の先に何があるのだろうかと考えた時に感じる、あの恐怖。
汗が出る。
拭えない。
「私の探しものは、真冬には見つけられない。
でも、手伝ってくれうるのはありがたい。
見つからないのに手伝わせるのはもったいないわ」
柊は困惑した。
それは、まるで1人で人形遊びをしている子供のように、被瀬が何かと話しているのだ。
落語家の様に、誰かと話しているのを強調しているわけでもなく、
見た目は完全に独り言のはずなのに、二人で話しているように感じる。
「結。
誰と、話しているの?」
「誰と?」
柊は底で質問する。
まずはどうにかして時間をかけて、この状況に慣れないといけない。
奇しくもムスビの能力が欲しくなるとは思えなかったが、柊は理解する。
目の前の状況を。
目の前で起こっていることを。
人は理解できないことを目の当たりにしてしまうと、そこから逃げ出したくなる。
現実逃避だ。
「誰とって、誰と?
誰とって、私と?
私って、だれ?」
私は、私なの?」
「結は、結だよ」
柊は頭で思いついたことを話す。
それは何か思考して発している言葉などではなく、明らかな柊真冬の言葉。
被瀬結の、友達の言葉だ。
「私は、私?」
被瀬は、とうとう柊の目の前に来る。
その距離は、一歩もない。
慎重的にも、被瀬は柊を見上げている。
柊が見下ろした被瀬の目には、
ヒッ
言葉にはしなかった。
良く、言葉にしなかった。
自身を褒める柊。
それはこれを見て悲鳴を挙げなかったことによる行動への、称賛。
柊の見た被瀬の目には、
「じゃあ、私は、だあれ?」
真っ黒な黒があった。
☆☆☆☆☆
「で、どういうことだ?」
「どういうことじゃないです」
校長と話を終え、明日に向けて特に準備することもなく、俺は変わらず一日を過ごしていると、連絡があった。
連絡してきたのは、柊。
どうやら、被瀬のことで話したいことがあるらしい。
ここは柊、堂上、被瀬に少しだけ訓練をした俺の家の近くの公園。
底のベンチに、二人で座っている。
「結のことです」
「……何かあったのか?」
「何をしたんですか?」
「何をしたのかって言われても、別に何もしてない……」
「したんです!」
柊は、怒鳴る。
どういうことなのかは分からないが、何かが被瀬の身に起き、俺が原因だと思っている?
「柊、何があったのか教えてくれないか?」
「……試合が終わった後、結の事を見に行ったんです」
「そう言えばいなかったな」
「そのときには結の姿はどこにもなくて、みんなに聞きまわっていたら、空き教室にいて……」
「そこにはいたのか?」
頷く柊。
「私は、何かまた私みたいに強くやりすぎちゃったのかと思っていた。
けど、そんなことじゃなかった」
「そんなことじゃなかった?」
ちなみに、その点に関しては考えていた。
明らかにおかしいのは分かっていたが、昨日の今日で俺も殺しかけている。
別に俺のことは死なないと思っているだろうから大丈夫と思っていたが、
「そんなことじゃないってのは、どういう意味だ?」
「結は、ずっと『自分はだれ?』って言ってくるの……」
その言葉に、俺は顎に手を当てる。
「……何か、知っているんだね」
「いや、別に知っているわけではないけど、何か心当たりがあるかなって」
「そうじゃない」
柊は、明らかに俺が何かを知っているのと思っている。
でも、実際俺は何も知らない。
けれど、柊の話から思いつくことはある。
自分は誰? だと?
そんな事を言っていたとなると……
「ねぇ、知ってるんでしょ?」
「……知っている、とは言えない」
「……なら、今何を考えていたの?」
柊の心のチカラが荒ぶっている。
腕輪をしているにも関わらず、こちらにまで圧迫感を感じる。
「教えて」
「無理だ」
「教えて」
「不可能だ」
「教えて!」
柊は、俺の胸ぐらを掴む。
俺の体は浮き上がらず、服が引っ張られる。
「私は……救いたいの」
「無理だ」
「なんでよっ?!」
「それをどうにかするのが、俺だからだ」
柊が拳を振り上げたその瞬間、俺の言葉で拳を止めた。
「……なんて?」
「……だから、俺の仕事なんだ」
「何が?」
「被瀬を救うのが」
「誰の?」
「俺……いや、無体の1人として、依頼を受けた」
柊は、瞬きをする。
「正直、受ける気はなかったが、どうにも俺じゃないと行けないと依頼人様がいうからな。
俺がやる。
だから、柊には救えない。
その時には、俺が救っている」
柊は、瞬きをする。
その目からは、涙が流れる。
「今の話、助かった。
これが終わっても話せない事はある。
一応仕事だから、話せない事はある。
だけど、俺は被瀬を救うよ」
柊は、瞬きをする。
その目からは、涙が溢れる。
そして、その振り上げた拳を、俺の胸に優しく置き、
「お願い」
「分かった」




