◆辺境伯と帰還せし英雄たち(2)
ザカース大森林の入り口付近に臨時で設けられた防衛拠点には、冒険者と領軍兵士双方合わせて三百人ほどが配属され、周囲の警戒や陣地の構築などに従事していた。しかも今日の夕刻には後続の兵員として、ギルド側からは強制依頼で召集された冒険者約二百人と、領軍大隊の本隊である五百人の兵士も到着する予定であった。それらの人員全てを合わせた千人が、この防衛拠点に最終的に配置される兵士なのだ。
ザカース大森林がすぐ傍にあるといっても、これだけの兵士を動員することは近年でも稀であり、それだけ今回の件をノルトシュタイン家が重く見ている表れでもあった。
そんな領軍兵士や冒険者たちではあるが、別に彼らも前線を死守し玉砕せよと厳命されて連れて来られた、あるいは参加した訳ではない。
一匹二匹の魔獣ならばいざ知らず、群れへの対策はその規模の大小によっても変わるが、高く厚い強固な防護壁を頼みとした都市防衛戦が基本でもあった。そのためトロイの街の防護壁も、ザカースの森を睨み何代にも渡って補強や増築を繰り返してきた。それこそ他の街や王都以上に、都市を護るべき防護壁は頑強なのである。例え噂のゴブリンキング率いる群れが現れようとも、そうそう容易く突破できるようなものではないと考えられてはいた。
だから彼ら兵士たちの主な任務も、大森林の外周沿いに偵騎を走らせ、外縁部に妙な前兆があれば直ぐさまトロイへと報せを送る事なのであるが――――しかし現在のトロイの街は、大昔の村やちっぽけな砦が築かれた頃とは違うのだ。二州を支配する領都として、初代の頃とは勿論、約二百年前に発生した大災害『ザカースの悪夢』の頃とも比べようもなく発展していた。街で暮らす臣民の人口だけを見ても、二百年前の倍以上。近隣に増えた村々の民の数まで入れると、その数は更に跳ね上がり数十万にもなる。今も大災害を想定して動いているが、探索で持ち帰った情報によっては、近隣の村々の民にも避難勧告を出し、場合によってはトロイの街に避難させなければいけないのだ。中には既に避難を始めようとする気の早い者もいるが、大半の者はノルシュタイン家の指示待ち、いや、様子を窺っている者が殆んどだった。それも当然だろう。農民であれば、自分たちが丹精を込めて手入れ行っている田畑を放り出して逃げ出す訳にもいかない。他の者にしても自分たちの土地家屋を残し、持てるだけの財産を持ち出し逃げるのは容易な事ではないのだ。それはたとえトロイの街の住人でも同じであった。
要は、大半の者がノルシュタイン家の公式な発表待ちなのである。しかし、もし本当に大森林に面するカナン州全体に避難の勧告が出される事態になれば、今以上の大混乱となるのは必至であった。さらに言えば、カナン州全体が動くような大規模な民の移動は、同じく辺境伯の領地でもある隣のアミュ州への影響も大きい。避難民の受け入れから余剰兵力のカナン州への移動、それに糧食の確保とその移送等々と、領地が広大なだけに防備を固めるのにもかなりの時間を要する。
だからこそ、大森林と境を接する前線へと千もの兵を送り出し警戒にあたらせているのであった。時と場合によっては監視警戒だけでなく、領地の避難や防備が整うまでの時間を稼ぐためでもあるのだ。
そして、兵士や冒険者たちもその事は十分に理解をしていた。今回真っ先に前線へと駆け付けた兵士や冒険者たちは、自ら手を挙げ率先して赴いた者ばかり。その全てが、トロイの街で生まれ育った者ばかりなのだ。愛する家族や街を護るため、いや、それだけではない。長きに渡り、『魔の樹海』から王国や領地を守護してきたのは、自分たちトロイの街の兵士や冒険者なのだとの誇り、そして覚悟を持って赴いているのである。
とはいえ、そんな兵士や冒険者たちも人の子である。『魔の樹海』内部へと偵察に派遣されていた、帝国のAランク冒険者パーティーが戻って来た姿を見掛け又は同僚から話を聞き、皆が固唾を飲み指令部の天幕に注目していた。大森林を警戒する兵士も、塹壕を掘り進め柵を設置する兵士たちも、ちらちらと作業の合間に天幕を窺うのだ。
それもまた、当然の事だった。その報告いかんによっては、この拠点に詰める兵士たちの運命も決まるのである。
天幕の入り口横に控える歩哨の兵士に至っては気もそぞろとなり、遂には首を巡らし中を覗こうとする素振りまで見せる始末。が、途端に天幕内から怒声が響き渡り、びくりと体を震わせ首を竦めた。
しかし、その怒声は彼に向けられたものではなく、それと気付いた兵士はホッと胸を撫で下ろすのであった。
その司令部の天幕内では――先乗りして着任していた拠点責任者の大隊長ハガードとその指揮下の部隊長や参謀が十人、それと指揮系統や確認事項等の調整に訪れていたギルド長のケネスを始めとしたギルド側の関係者の五人が顔をしかめていた。
何故なら、折しも視察名目で都市から訪れていたノルトシュタイン家の次男であるセルゲイが、報告を行っていた『悠久の翼』のリーダーのマックスに対して激怒し、
「ここをどこだと思っている! 帝国の冒険者風情がぁ!」
と、口汚く罵り始めたからであった。
前線司令部の天幕は、かなりの大きさがある。
それでも、大隊長のハガード以下の本来の司令部関係者にギルド側の人員。それと視察に訪れていたラオス老師と同行者のセルゲイとその従者。さらに『悠久の翼』のメンバーとアルフレッドを加えると、総勢で25人にもなる。さすがにこの人数では、いくら司令部の大きな天幕とはいえ息苦しさを感じる狭さだ。
そして、マックスとアリサのお陰で、そんな狭い天幕内の雰囲気は微妙に生暖かいものへと変わっていたが、怒りで一オクターブは高くなったセルゲイの苛立ち混じりの声が、場の空気を切り裂き天幕内の雰囲気をまた一変させていく。
「黙って聞いておれば、そのようなふざけた話を! 誰が信用できるものか! おそらく今まで近くに潜んでいて適当な話をでっち上げ、我がノルトシュタイン家から報償金を貰うだけもらって逃げ出す腹であろう!」
怒りに声を震わせ、顔を真っ赤にして喚き散らすセルゲイだったが、さすがにこれは頂けない。言い過ぎなのである。
フェンデル王国ではなくローマン帝国の冒険者とはいえ、『悠久の翼』はSランク間近のAランクパーティでも有るのだ。その上ここには国は違えど、トロイの街の冒険者ギルド長ケネスやギルド関係者もいる。
だから、皆がぎょっとした表情を浮かべ、この場の空気が凍り付く。
そもそも冒険者ギルドとは――フェンデル王国も建国された大陸混乱期に、帝国内に於いて度重なる魔獣被害に対処しようと有志が集まり、自警団を組織したのが始まりだとも言われていた。
当時の戦に明け暮れる大陸各国の首脳部は、地方の村落が魔獣に襲われようと、軍を派遣するまでには時間もかかり、いや余裕もなかった事から、村民の全てが殺戮され廃村となる事件が数多く勃発していた。そこで、大陸中で村落を守るため有志による自警団が、幾つも組織されるようになっていた。やがてはその自警団も、他の自警団や傭兵団を吸収し地方の軍閥へと姿を変え、建国へと至る事も多かった。フェンデル王国なども、ジグルズの英雄譚や創造神より王権を得た現王家の話などの建国神話に彩られるが、はっきりと言えばその口である。
しかし中には「我らは民による民のための集団」と標榜し、最初の志を貫く、ある意味で変わり者の集団もいたのだ。それが帝国内で生まれた自警団のひとつなのだが、混乱期が治まる頃には他の集団を吸収し、かなり大規模な組織へと変わっていた。帝国としても正面からまともにぶつかる事は避け、折衝と協議を重ねること数度の末に、狩猟ギルドと名を変え組織を存続させたのである。
これが冒険者ギルドの前身でもあった。
帝国にすれば魔獣対策に軍を派遣するには、人員の確保及び訓練等と労力や金銭面での負担も大きい。しかし、これが民間に委託し商売として成り立つのであれば、国としても大いに助かるのである。だが、国の制御から外れた武装集団を、そのまま野放しにするのは危険すぎた。
そこで考え出されたのが、半官半民のギルド形式なのだ。
さすがにギルド運営を、そのまま全て民間に託すのは危険との判断から、経営権の半分を皇帝の一族が握り、組織自体もひとつの武装集団としてではなく、ある程度は個人の裁量にも任される組合的な組織へと姿を変えたのであった。
軍部からも自警団側からも不満の声が噴出したものの、時の皇帝が強権を発動させて事を丸く治めたのだ。有り体に言えば、混乱期を乗り切り帝国領を倍近くにまで広げた、『鮮血帝』とも呼ばれ恐れられた当時の皇帝の、鶴の一声で全てが決まったのである。
こうなると半官半民とはいえ、皇帝の肝いりで始められたギルドでもある。商売として成り立たないはずがない。狩猟ギルドの経営は右肩上がりに、帝国各地に支店を広げ業績を伸ばしていく。その頃には商業ギルド等の他ギルドや、大陸中に根を張る神聖教団とも連携を取るまでになった。仕事の内容も魔獣討伐だけに収まらず、商隊の護衛から街中の便利屋まで多岐に渡るようになり、こうして名称を現在の冒険者ギルドと改めるまでになったのだ。
今では冒険者を引退した者などがギルドの運営に係わり、冒険者のランク分けや魔獣のランク分けもし、適材適所に冒険者を派遣する相互扶助的な役割も担っていた。
その帝国発案のギルド形式を現在では他国も真似をし、大陸全土にまで広まる冒険者文化として根付いたのである。
だから冒険者ギルドと言っても、国家間を越えるような組織までには至っていないが、他国のギルドともある程度の交流はしていた。始まりであり、常に最先端を行く帝国の冒険者ギルドなどは、そのシステムを学ぶためにと各国のギルドから人員が派遣されて来る程度にはである。
それはフェンデル王国でも同じなのだが、王国内の冒険者ギルドは少々特殊な事情も抱えていた。それが、王家とノルトシュタイン家の国内二大勢力だった。
ギルドの本部こそ王都にあり経営権の半分は王家が持つものの、ザカース大森林からの貴重な素材等の利権はノルトシュタイン家が握っているのだ。トロイの街のギルドとしては王家や本部の顔を立てつつ、ノルトシュタイン家の顔色も窺わなければいけない複雑な状況に陥っていた。当代辺境伯の祖父の時代には、両家が争う姿勢を見せたため、トロイのギルドもかなり困難な立場に追い込まれた。何とか両家の顔を潰さぬようにと中立の立場を貫き通したが、あのまま内乱にまで発展していたら、争いに巻き込まれるのも必須であったのだ。運よくフェンデル王も辺境伯も亡くなったため、当時のギルド長は陰でほっと胸を撫で下ろしていた程なのである。
とにかく、そんな本家本元の冒険者ギルド。冒険者ランクの審査も、大陸一厳しいとも言われる帝国冒険者ギルドに所属する、Sランク間近のAランクパーティ『悠久の翼』を悪し様に罵っているのである。
王国にも、一応はSランクを名乗る冒険者が王都にいるが、帝国とはものが違う。帝国のAランク冒険者ともなれば大陸でも最高峰の実力にも近く、各国の冒険者たちの中には憧れや尊敬の目を向ける者もいる。だからこそ今回の探索を依頼するのにも、辺境伯自らが足を運んで頼んだほどなのである。
そんな冒険者を一方的に罵り、更に言えば『帝国の冒険者風情がぁ!』と、聞きようによっては大陸最強国家たる帝国そのものを、或いは冒険者全体をも馬鹿にした発言でもあるのだ。これにはトロイのギルド関係者が渋い顔を、領軍の部隊長たちも困惑した表情を浮かべるしかない。
尚も言い募ろうとするセルゲイに、『悠久の翼』のメンバーもムッと眉を寄せる。マックスに至っては「誰だお前は」と、小馬鹿にした態度を崩さない。
このマックスの様子に、セルゲイが更に激怒する。
「お、俺を誰だと思っているのだ!」と。