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14:決意

 舞はただ、黙ってトルカオを抱きしめていた。なんと言葉をかけていいのかわからないのだ。



「先生が、居なくなった日の事を」



 突然聞こえたそれは、トルカオの声だった。舞がその顔を見ようと思って体を離そうとすると、ぐいと引き寄せられた。しゅると衣擦れの音がして、舞の視界が無くなる。トルカオの腕の中だ、とすぐに理解した。腰に巻き付いた腕の力は苦しいほどだ。

 しかしそんなことはまったく構わなかった。

 頬にトルカオの鼓動を感じながら、舞は静かにトルカオの言葉に耳を傾ける。



「あの日の事を、僕は、全然覚えていなくて、……思い出そうとすると、怖いんだ」



 恐怖を訴えるその声は震えてはいないが、か細い声だった。



「父様たちも、兄さんも、無理して思い出す必要は無いって言うけど、でも、怖いけど、思い出さないといけないって思う。……先生が、あの日、大切な事を僕に言った、そんな気がするから」



 先生、と聞くと、舞はなぜだか胸が苦しくなった。



「でも、あの部屋を開けられるかもしれないって言われて、あの部屋に入ったら思い出せるのかもしれないのに、怖くて、デクテットに嫌だって言った」



 舞の腰を抱く腕に力が入る。苦しいが、やはりそんなことは構わなかった。



「デクテットが怖いのも、たぶん、あの日の事を思い出しそうで、デクテットは悪くないのに、僕が、思い出すのが怖いだけなのに……。どうして思い出すのが怖いのかも、僕は、わからない……わからないんだ……」



 悲痛を感じるその声に、舞の頭にはトルカオが「嫌だ」と叫んだ声がよみがえる。頬に伝わるトルカオの鼓動は、どくどくと早く脈を打つ。それは、不安の証だ。あの声と同じくらいの、恐怖。それを聞いていると舞も不安になってくる。けれど、平気だった。トルカオにぴたりと体を寄せているから。

 怖くても平気です、私がいるから、と声をかける必要は無いと思った。きっと言わなくても、トルカオは分かっている。だから怖いことを話してくれたのだ。舞はそれを言葉にする代わりに、トルカオの背中に回した手に少しだけ力をこめた。



「大切な人が居なくなったら、悲しいし、大切な人の居ない世界は、怖いです」



 静寂の中に、舞の声はやけにはっきりと響いた。



「だから、大切な人が居なくなった日のことを思いだすのは、怖い事です、怖くて、いいんだと、思います。怖い分だけ、大切な証拠です」



 言い切ってしまう勇気は無くて、「きっと」と付け足す。それは、舞が考えて、ずっと自分に言い聞かせてきた言葉だった。怖い分だけ大切な証拠だ、きっと、だから。

 おばあちゃんは、自分にとって大切な人だった。いや、大切な人だ、居なくなった今でも。

 祖母は舞が生まれてすぐのころから母に代わって育ててくれた人だ。祖母は物心ついた舞に『あなたのもっと小さい頃はお母さん、あなたをうんと可愛がったのよ』と言っていたが、母と暮らし始めてからそれは嘘だと知った。母は生まれてすぐの舞を祖母に預けて仕事に復帰していたのだ。だから舞を育てたのは祖母だ。

 そもそも舞という名前だって、祖母がつけたものだった。これも祖母は名前は母がつけたと嘘をついたが、母と暮らし始めてから母に暴露されて嘘だと知ったのだ。

 その祖母が居なくなり、祖母の優しい嘘を思い出すたび舞は悲しかった。祖母の居ない世界は怖かった。

 祖母が居なくなった日を思い出すのは、怖い。

 トルカオも、きっと、だから、怖いのだ。

 トルカオを抱きしめながら、舞は自分の鼓動がトルカオと同じくらい早くなっているのを感じていた。



「先生が、大切だから、怖い……」



 トルカオがそうつぶやく声が聞こえた。か細くて、不安げで。けれど言ったことをかみしめるような声。

 舞がかつて自分に言い聞かせたのと、同じように。



「うん、そうだね、うん……」



 それは、まだ迷ったような言い方だった。けれどそれはわかっていたことだ。舞だって言い切ってしまう勇気は無い。その怖いは、多分一生怖いままだ。

 せめてその怖いに寄り添うように、舞はトルカオを抱きしめていた。



 やがてトルカオの腕の力が緩んだと思うと、ゆっくりと舞の視界が開けていく。見上げた先に見えたのは、悲しげに眼を伏せたトルカオの姿だ。



「ごめんね」



 トルカオは、かすれた声でそう言った。



「なんだか、すごく情けないよね……」



 そう言ったトルカオの表情に悲しさの他に少しの恥ずかしさを見れば、舞は笑みを浮かべて首を横に振った。そうすると、トルカオもまた笑みを浮かべるのだった。








 その日の夜中、舞はふっと目を覚ました。

 もやもやしながら眠ったわけではないのに、と思いながら暗闇で瞬きをしていると、違和感に気付く。数度瞬きをして、その正体がわかった。腕の中にあるはずの温もりが無いのだ。それでも焦らず、ゆっくりと頭を動かすと、頭上に月明りに照らされたトルカオの姿を見つけた。どうやら、隣に座っているらしい。

 舞が目を覚ましたのに気付いたのか、こちらを見下ろすトルカオと視線が合った。舞が「トルカオさん」と呼んだ声は掠れてしまった。



「ごめんねマイ、起こした?」

「いえ……トルカオさん、眠れないんですか?」

「うん、先生の事、考えてて」



 舞の問いにそう答えたトルカオは、悲しんではいないように見えた。ぼうっとその顔を見上げていると、トルカオの手が伸びてきて舞の頭を優しく撫でる。髪を梳くようなその手つきは心地がいい。



「先生は、よくこうして使い魔の頭を撫でてた」

「……気持ちいいです、こうされるの」



 舞がそう伝えると、トルカオはふふと笑って「よかった」と言う。



「先生は、偉大な魔法使いでね」



 それからトルカオが話し始めたのは、先生の事だった。



「母様に魔法を教えたのも先生だし、デクテットに魔法を教えたのも先生だった。だから僕にも、小さいころから魔法を教えてくれたんだ」



 トルカオの母様やデクテットの先生でもあるのなら、きっと老齢なのだろう。舞の頭には白い口髭を蓄えた老人の姿が浮かぶ。きっと、優しい顔をしているに違いない。



「……ううん、魔法だけじゃない。この世界の事も、この国の事も、全部教えてくれたのは先生だった。魔法使いしか入れない庭だって、あの場所を教えてくれたのも先生だし、花の名前を教えてくれたのも、先生。……それに、先生は」



 トルカオは一度そこで言葉を区切ると、そっと目を伏せた。舞が感情を量るようにその顔をじっと見ると、何か考えているようだということに気付く。トルカオはしばし考え込んで、また口を開いた。



「小さい頃、ううん、たぶん今でもそうだけど、ソル兄さんとディオ兄さんに比べて、自分には何も無いって思ってたんだ。ソル兄さんみたいに頭も良くないし、ディオ兄さんみたいに剣術も上手くない。僕だけが使える魔法だって、下手くそで」



 初めて聞く名前が聞こえたが、舞は何も言わなかった。もう一人兄がいるということは理解できたし、今は黙ってトルカオの話を聞くべきだと思ったからだ。



「でも、先生は、兄さんたちみたいになる必要は無いって言った。それから、僕たち兄弟はそれぞれ役割が違うって、真剣な顔で言うんだ。ソル兄さんは知力で、デュオ兄さんは武力で、僕は、魔力で国を支えないといけないって。だから、僕は頑張って、魔法をうまく使えるようにならないといけないって。ソル兄さんを、国を、支えるために」



 国を支えるという言葉に舞はなんとなく疑問を抱くが、思いつめたようなトルカオの顔を見ればその疑問は頭の隅に追いやられた。



「……デクテットは、国のために先生の研究が必要だって言った。……ううん、デクテットだけじゃなくて、兄さんも。国のためにとは言わないけど、兄さんのやることは全部国のためで、だから、兄さんは国のために竜族の事を知ろうとしてるし、転移ゲートを作って欲しいって言ったんだ」



 そうつぶやくトルカオの顔は思いつめた様子だが、怯えた様子ではない。



「僕が、魔力で国を支えるためには、兄さんとデクテットが何をしようとしてるか、知らないといけないんだと思う」



 いつの間にか舞の頭をなでるトルカオの手は止まっていた。舞がそれに気が付いたのは、頭に触れたその手が舞の髪を掴んだからだった。無意識に、手に力が入ったのだろう。

 それはきっと、己を変えようとするトルカオの決意が現れたのだ。窓から入る月明りに照らされたトルカオの顔を見上げて、舞はそう思った。

 だから舞が自分の髪を掴むトルカオの手に自分のそれを重ねたのは痛いですと訴えるものであるはずはなくて、ただトルカオの決意に寄り添うためだけのことだった。












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