猫舌 + カフェオレ = 帰宅衝動
外は寒かったが耐えられないほどではない。
暑いのが苦手な僕は春手前のこのくらいの季節が好きだったりする。
空はまだ冬特有の高い青空。
右手は彼女の左手に独占されているので、左手でたばこを取り出し火を付ける。
手を繋ぐことが好きな彼女と付き合いだしてから、片手でたばこを取り出せるようにボックスからソフトに変えた。
元々スーツでは左内ポケット。
私服では右ポケットにたばこが収納されていたが、それも配置転換を余儀なくされた。
彼女は右側が落ち着くらしい。僕はたばこの位置さえ問題なければどちらでも問題ない。
電車は混んでおらず、並んで座ることができた。
ただ休日のこの時間に電車に乗ることは滅多にないので、これが幸運なのかどうかはわからない。
「電車の足元の暖かいの好き」
おそらく足元に設置された暖房のことだろう。
「寒かった?」
「うん」
「手を繋がずにポケットに入れてればよかったのに」
今も右手は拘束されている。
「繋いでた手は暖かかったよ。それに右手はほら」
レザーの手袋が装着された右手を、芸能人が記者会見で婚約指輪を披露するように見せる。
「え?片手手袋?」
「うん。左手はもういらないから捨てようかな?」
「捨てずに持っておきなさい」
「いつか別れるから?」
「いや、俺がするから」
10分ほどで電車は最寄駅についた。
確かに足元の暖房は心地良い。
あと2,3分乗っていたら睡魔に襲われていただろう。
最寄駅はもう一度電車に乗りたくなるほど強く冷たい風が吹いていた。
僕たちは寒い寒いと寒さを共有しながら、30メートルほど前に見える目的地に向かった。
建物内に入るとそれほど暖房が効いているわけではなかったが、忌まわしい北風がない分ずいぶんと暖かい。
「電車でちょっとの距離なのに、違う世界くらい寒さが違う」
彼女は少し膝を曲げて、ぎゅっと自分を小さくするようなポーズで文句を言う。
「海が近いからだろうね」
「海が近いの?」
「近いよ。帰りに寄る?」
「寒いから嫌」
「俺も嫌」
昼食を取ろうと館内図を見たが、この建物内にはカフェが2店舗あるだけで、他に昼食を取れそうなところはない。
駅から建物まで歩いた感想だと周辺にまともな店があるとも思えなかった。
「しゃーなしでカフェにしとこか」
「うん。他になさそうだね」
2人ともカフェの食事は好きではない。
料理そのものの価格より雰囲気料の方が高いと考えている。
コストパフォーマンスが合わない。
ブランド物に興味を持たない2人らしい考え方であり、こういう価値観の合致は付き合う上で非常に好ましい。
消去法により選出されたカフェは壁もテーブルも真っ白でソファーチェアは赤く、第一印象としては「目がチカチカする」「白はメンテナンスが大変そう」だった。
2人は「本日のプレートランチ」を注文した。
客は僕たち1組で、2人女性店員は雑談している。
その後、20代前半に見える1組の男女が入店してきた。
女性が事細かく本日のプレートランチの内容を店員に質問している。
そもそもこの店にはスイーツ以外の食べ物は無いので、聞く価値はないと思うのだが、気になる人は気になるのだろう。
おかげで内容の大半を把握できた。
全席禁煙だったので、手持無沙汰な僕はカウンターにインテリアとして置かれているショットグラスの数を数えていた。
僕は幼い頃から目につくものを数える癖がある。
彼女はさっき入口で手にした三つ折りの館内パンフレットを見ている。
「目がチカチカするね」といった他愛もない話をしていると大きなお皿とカップが運ばれてきた。
ハンバーグとサラダとお子様セットのように丸く形づけられたピラフのようなご飯がお皿の上で正三角形に配置されていて、スープが別のカップに入れられて向かって右側に配置された。
味は普通。量は少ない。目はチカチカする。
雰囲気料金を入れても割に合わない。30点。
お互い特に料理についてコメントすることなく、食べ終わると、一旦極寒の外に出て、僕は灰皿の前で煙草を吸った。
最近は喫煙者にとっては本当に生きづらい。
彼女は煙草を吸わないのに寒い寒いと言いながら隣にいる。
彼女に気を使い、まだ長いままの煙草を灰皿に投げ入れると、ポスターの展示がされている3階に行くためにエレベータに乗った。
3階に到着し、エレベータが開く。
ひと気のないスペースに15点ほどのポスター展示されているのが目に入る。
「なんだ。こんなに少ないのか」と内心がっかりしたのだが、奥にもフロアが続き、想像のはるか上を行く展示数とバリエーションで見比べるために行ったり来たりと十分に満足できた。
Web業界に入って、最初は営業ばかりだったが、ポジションが上がるごとにデザインやシステム構築を取りまとめるようになった。
しかし、デザインについて素人の自分がデザイナーに指示を出すにも上手くいかないことが多く、必要に駆られ勉強したのだが、これがとても楽しかった。
今は営業よりもこちらの仕事の方が楽しい。
結局1時間強ほどいただろうか。
彼女は途中から飽きたのか僕が好きな作品を当てると言いだし、一区画ごとに僕の好きなポスター当てクイズが開催された。
1階に最近は少なくなった喫煙席のあるカフェがあったので、休憩がてらコーヒーを飲むことにした。
「楽しかった?」
「うん。よく見つけたね。見事」
「でしょ。結局あの赤いのが一番好き?」
「え?うん。たぶん」
名前はわからないが見たことのあるアメコミのポスターが妙に目に留まった。
色使いも印象的だったが、おそらく主人公であるキャラクターが悪役のような描写がされていて、日本のヒーロー物のそれとはまるで違う表現方法だった。
「5分くらいあの前から動かなかったもん」
「よくわかったね」
「それから1番好きなポスターを当てるクイズ始まったんだよ?」
「どれに釘づけか知りたかったの?」
「うん。君の好みは知っておきたい」
そう言うと彼女は両手でカップを持ちながら少し視線を落としてカップに口をつける。
猫舌な彼女は恐る恐るコーヒーを唇につけ、安心したのか一口分カフェオレを口に運んだ。
そのセリフと仕草が愛らしく、セクシーで今すぐ帰ってしまいたい衝動に駆られた。
こんなことなら家具屋に先に行くんだった。
ここで帰るというと僕の要望だけ叶えて帰ってしまうため言いづらい。
でも展示会に先に行ったからこそ、このセリフと仕草に遭遇したわけで、家具屋ではこの状況には出会えていない。
この歳になるとこういうことをストレートに言うのも照れくさいというか何というか雰囲気任せになってしまい言いづらくなってしまう。
「どうしたの?」
首を少し傾げて優しい笑顔が向けられる。可愛い。
休日で心に余裕があるからだろうか?今日はよく彼女の魅力に気付く。
「いや。別に」
「今日はこういうの多いね」
「そうやね」
僕はコーヒーを一口飲んでたばこを取り出す。
中々火が付かないライターを振ってからもう一度ライターを擦り、たばこを点火し、煙を天井に向けて吐き出した。
外に目をやると幼い男の子が二人しゃがみこんで地面を見ながら楽しそうに話している。
「ねえ」
「ん?」
視線を彼女に向けると彼女は下を向き、カップをほんの少しだけ左右に振り、波紋を作っている。
「帰る?」
「え!?」
不意をつかれる。この子と一緒にいるとそう珍しいことでもないが。
「どうして?」
「帰りたいのかな?っと思って」
「いや、家具屋は?いや、なんでそう思った?」
「勘」
女性の勘で片付けるには見事過ぎるような気がする。
「いや、正直に言うと帰りたいと思ったよ。でも、家具屋に行きたくないとかじゃないよ?行きたがってたやん。行こうよ」
「じゃあどうして帰りたくなったの?」
僕は携帯を取り出して、メールを打つ。
察した彼女は自分の携帯を取り出して受信を待つ。
しばらくすると彼女の携帯が光る。
受信したようだ
『お前のせい。したくなった』
彼女は表情を変えることなく、僕の顔を見ることなく携帯で返信を打ち出す。
しばらくすると僕の携帯のバイブレーションが受信を知らせる。開封。
『君はしたくなると貧乏ゆすりが始まるよ (^_^)v 』
「え!?そうなん?」
「そうなの」
「かっこわる」
「かわいいよ」
「かっこわるいわ・・」
僕は僕が思ってるよりもわかりやすいのかもしれない。




