彼女 × 距離 = 2番目に好きな香り
「コーヒーまだある?」
軽く伸びをして、首を鳴らしてから、PCデスクからカップを持って立ち上がった。
「少しなら。お仕事中に本日の予定は考えられましたか?」
「あぁ。まず本屋に行って、それからこの前通りかかったボロいカフェ覚えてる?雰囲気の良さような。あそこに行って、今日行くところを決めるのはどう?本屋で観光マップ的なものを買って」
「即席で作ったにしては見事な回答だね」
「よくお分かりで」
「君は何か考えた?」
「特に何も」
「おーずるいね」
湯気が上がることを確認しつつ、カップにコーヒーを注ぐ。
「何をしても勿体ない気がしてね」
「ん?」
「日中にこんなに長時間一緒にいれることはないでしょ?しかも二日間も」
「うん。ごめん」
「責めてないよ。仕事は仕方ないし。でも普段は色々したいと思ってても、そのチャンスがきてみると思いつかないねって話」
「そっか」
「何もしなくても楽しいんだろうけど後悔しそう。でも何かをして早く時間が経つのは許せない」
「じゃあとりあえず今日は午前中は何もせずに、午後はどこかに出かけて、夜は超豪華な晩飯を一緒に作って、夜中までゲームしよう」
「またサッカーゲーム?」
少し首を曲げて優しくうんざりした顔。このプランは気に入ってくれた。
「うん。俺が絶対に負けない奴」
「ゴルフも挟むから。私が絶対負けない奴」
プランが決まり、僕と彼女は順番にシャワーを浴びた。
その後ベットの上で僕は小説を読み、彼女は僕を背もたれに携帯電話でインターネットをしていた。
午後から行くところを探しているらしい。
パソコンを使えば?と提案したが、明確な理由はなく却下された。
「小説面白い?」
「そうやね」
「そんなに文字ばかりで疲れない?」
「楽しい話なら気にならないよ?だから難しい単語を使う作家は嫌い」
「簡単な単語を使う作家が好き?」
「言い回しが秀逸な作家が好き」
「君の言い回しは難しい」
学生時代、下宿をする余裕のある家ではなかった僕は大学に片道2時間半かけて通っていた。
1日5時間が移動時間。2日で10時間、1週間25時間。計算すると無駄な時間が多すぎることに焦った僕は古本屋で今まで読んだことすらなかった小説を手にした。
最初にたまたま手に取ったミステリィ小説が当たりだった。
その後、様々な作家の小説を読んだが、最初にあの作家の小説に当たらなければ、本棚が小説で埋まるほど小説は読まなかっただろう。
今でも寝る前の1時間は読書タイムと決めている。
小説だったりマンガだったり。
睡眠時間が1時間になろうともこの1時間は譲らない。
一種の義務。
自分の心を整えるための大事な時間だと位置付けている。
「っで、いいところは見つかった?俺のカフェ案は没?」
「ここで君の好きそうな展示会してる」
僕をさらりと無視して携帯の画面を僕に向ける。
国内外の昔のポスターを集めて展示している。たしかに行ってみたい。
「俺は好きやけど」
「君は好きそう」
「でも俺の好みに合わせていいの?」
「いい。ここに行く。近くにビンテージ物ばかりの家具屋もある。こんな所にあったとは。見落としてた」
二人ともビンテージが好き。僕はデザイン。彼女は家具。唯一の共通点である。
「そういうことね。確かに丁度いい。場所は?」
彼女はしばらく携帯をいじってから画面を僕の目の前に
「ここ」
必要な要素までそぎ落としたシンプルで不親切なオリジナル地図が目の前に表示される。
この地図を了承したこの施設の担当者は本当に客に来てほしいと思っているのだろうか?
見た目を重視しすぎたあげく、目的を置き去りにし、ユーザビリティの悪い自己満足な広告物ほど無意味なものはない。こんなも・・
「見づらい地図だなぁって?」
「いや、そういう顔だった?」
「そういう顔でした」
「そっか。大体わかった。ここから20分くらいかな」
「許容範囲」
「じゃあ準備しようか?」
「うん。小説はいいの?」
「そのためのしおり」
「しおりなんてない」
「うん。厳密にはしおり代わり」
僕は開いていた小説に自分の名刺を挟む。
「しおり買ってあげようか?」
「いや、これはこれで便利だよ。名刺を忘れた時の救済処置になるし、何より自分の名前と会社名を忘れずに済む」
「もう少し頭のいい人と付き合えば良かった」
「そうだね。可哀想に」
僕はクローゼット前に立つ彼女から渡されるままに洋服を着替える。
細身のダメージジーンズ、白のVネックシャツにグレーの薄手のVネックニットにダウンジャケット。
全て彼女が選んだ僕の数少ない私服。
きっと彼女の好みなのだろう。
きっと靴はブーツ。
スニーカーの方が楽なのに。
彼女は細身のブルーのジーンズに薄ピンクのVネックセータ。
昨日着てた丈の短い黒いコートを羽織って髪を整えた。
全身鏡で確認する彼女を鏡越しに目に入った。
改めて美人だと思う。
化粧気はあまりないが、目鼻立ちがハッキリとしていて、セミロングの黒髪がより際立たせる。
スタイルも華奢な印象だが細すぎない。
どうして彼女は僕の彼女なのか不思議になる。
彼女は1才年上の28才。
そろそろ結婚とか意識するんだろうか。
この子となら上手くやれそうだな。
こういうイメージがリアルにできる彼女は初めてではないだろうか。
「どうしたの?」
彼女が突然振り返って不思議そうな、心配そうな、そんな顔をしている。
「んあ?なにが?」
考えていたことがデリケートな内容だっただけに、不意をつかれて変な声を上げてしまう。
「ぼーっとして。鏡越しに目が合ったのに合わないし」
矛盾しているがニュアンスで大体意味はわかる。
「いや、考え事してた」
「何考えてたの?焦り方が怪しいんだけど」
「いや、綺麗だなと思って」
「嘘下手だね」
「嘘じゃない」
「嘘つき」
「嘘つきじゃない」
じっと彼女の視線が僕の目を捉える。
怒ってはいないが、あまり好ましい空気ではない。
こう見ると彼女も十分攻撃的な顔じゃないか。
「いや、本当に何でこの美人は俺の彼女なんだろ?って考えてたよ?」
結婚の事は割愛したが嘘ではない。
ここで視線を外すと負けたみたいになるので、視線を外さない努力をして、じっと見つめ返す。
おそらくほんの数秒だが、お互い真剣な顔で見つめ合う。
彼女の顔が一気にほころぶと、タックルのような勢いで僕に抱きつく。
「感謝しなさい。こんな美人が彼女で」
顔を僕の胸に押し付ける。
化粧がダウンジャケットにつくのでは?とは思ったが、口に出すほど野暮ではないので、優しく抱きしめた。
彼女の髪の毛からいい匂いがする。
僕の中でコーヒーの次に好きな匂いだ。