127.守るその形
キーファは、焦っていた。
その焦りは、今まで経験したことがないものだった。
――この作戦に参加する直前、シリルがキーファに告げたことがある。
「今回の敵、恐らくリディは使い物にならねえ。出来るだけ早く撤退しろ」
キーファはその理由を問いたかったが、頷くだけに留めた。
必要ならばシリルは説明するだろう。
だが浮かない顔の彼女は、あくまでも危惧だ、としか述べなかった。
しかし、蜘蛛の巣から助けたリディアは明らかに様子がおかしかった。顔色が悪く反応が鈍い。勿論不気味な魔獣の餌になりかけたのだから、それはわかる。
が、キーファの中で警鐘がなった。何かおかしい、何かよくない。
彼女をここから離さないといけない、そう思った。
「――先生。ハーネスト先生!!」
キーファは、囚われのリディアの名を呼ぶ。
ウンゴリアント――それは有名なファンタジー小説から名づけられた魔獣。違う次元に住む虚無を喰らう蜘蛛、子孫を散らばし世界をいつしか征服することを夢見る悪魔だ。
それを喰らったのが、コカトリスに寄生していたアメーバだという。意思がないそれは、コカトリスキメラの意識を持ち、今は全長五メートル。
体表は、無数の触手で覆われて近づくことさえできない。
リディアはその化け物の触手の中に、囚われていた。
「先生!!」
リディアが触手の合間から、顔をこちらに向ける。苦しげに歯を食いしばるような顔が笑みを浮かべ、キーファにはかなり無理をしているのだとわかった。
「助けます、待っていてください!!」
彼女は何かを答えようとしたのだろう。
だが、いきなり目をぎゅっとつぶり、顔をしかめて唇を噛む。
無数に動く触手の動きを見定めようとすると、どうやら胴体と手足に太い触手が巻きつき拘束しているようだ。
だがキーファは顔をしかめた。
彼女のワンピースの中にいくつもの触手が侵入するのが見える、リディアがいやいやと首を振る。
「――ハーネスト先生!」
キーファはケイの炎を強引に押し返し、駆け寄ろうとする。
彼女の側から離れるべきではなかった。
そちらに駆け出しそうになる足を押し留めたのは、ケイの声だった。
「余所見とか余裕だね!!」
キーファをやり込めたい、ただその敵対心しかケイから感じ取れない。
目立ちたい、その気持ちが暴走しているのだろうが、あまりにもひどすぎる。
さらに唱える請願詞を聞いて、キーファは眉をひそめる。
それは、余りにもでたらめだった。四獣王のうちのひとつ、炎のアロガンスに魔法を請うものだが、そもそもそれは聖獣――神に近い存在だ。ただの人間には応じない。
その上、呼ぶに値しない者がその名を口にすると、それ相応の報復をくらうともいわれている禁詞だ。
だが、アロガンスの力を借りていると見間違うほど、ケイの炎の威力はすごかった。
キーファは、なぜそれを自分が防げているのかもわからないぐらいだ。
リディアから譲られた魔法剣をかざし、氷の魔法で防御壁を作り、炎を防ぐ。だが二つの魔法が衝突し、すさまじい水蒸気が立ち込める。
キーファは目を細め耐える、汗が滴る。
気を抜けば、すぐにケイの炎に巻き込まれるだろう。
(……ふざけるな!! こんなの……絶対に許さない)
リディアはもうキーファを見ない、ぐっと目をつぶり耐えているだけ。
"ならば、この娘! 喰らって傀儡としてやろうぞ! 我が子の苗床になるがよい!"
魔獣の声は、通信機を備えているキーファの耳にも届く。
キーファは顔を歪ませて奥歯をギリッと噛みしめる。
魔獣の宣言とともに、大量の蜘蛛の幼生が溢れ出る。それは魔獣の口から砂のように流れ出し、すぐに触手もろともリディアを飲み込み、ついでにざざざざと、津波のようにキーファたちに迫りくる。
その瞬間、確かにキーファの耳にはリディアの悲鳴が聞こえた。
「先生!! 今、助けます!!」
炎を防ぎながらキーファは叫ぶ。
ケイは、迫り来る魔獣の幼生なんて気にもしないで、壮絶な笑みを浮かべながら、ただただ炎が高まるのを喜んでいる。
(彼女を、――リディアを、リディアを助ける!)
迫りくる虫などどうでもいい。
正直に言うと、ケイもどうでもよかった。
――ただ、リディアを救いたい。
ぐっと魔法剣に魔力をこめると、まるで剣が求めるかのようにキーファの魔力を吸い取っていく感覚がある。
キーファはそれを冷静に、自分の奥底からの魔力の流れを感じていた。
ケイがまた炎を強くする。炎を受けて、彼の顔が照らされて異様な光を帯びる。
二つの力を受けて、刀身から柄がブルブルと激しく震える。
――駄目だ、これ以上は。
リディアが耐久度について述べていたが、これはもう非常事態だ。
相容れない反発するだけの属性――ケイの炎と自分の氷の魔法を受けているのだ、限界を越えている。銀色の刀身は、今は白から灰色に変わり、ビシビシと嫌な音をたてている。
(――跳ね返せ、跳ね返せっ――)
これぐらい、跳ね返せ!!
そして、彼女を助けに行くのだ
「彼女を――、リディアを、俺は――」
"――――守って"
ふわり、と柔らかな声が響く。
同時にもはや灰色に変わり果てた刀身。
キーファは確かにその亀裂が走る音を聞いた、ピシピシと不吉な音だ。そして明らかに魔法術式とは違う何かが重なる。
(俺は、こんなところで、こんなことをしている場合じゃない!!)
"――守って"
鈴が鳴るような声は、背後から包み込んでくるかのよう。
"――守って"
その声は、嘆願であり、同時に天上からの囁きのように厳かだ。
(俺は――、彼女を守る!!)
「――守ってやる! だから――力を貸せっっ」
パンッと刀身が砕けた。
氷のようにその刃が空気に溶けて、キラキラと光を残して消えた。
キーファの眼前に、ケイの作り出した豪炎が迫る。見えるのはケイの邪悪な笑み。
キーファと背後の大樹を、その土地ごと焼こうとする炎が覆いかぶさってくる。
だがキーファは、そのままの姿勢を崩さず、まるで刀身があるかのごとく柄を持ち、そのまま力を――魔力をこめる。
――炎はある。
――水もある。
――土も、風も。
そしてこの砕けた――金がある。
"――水よ、炎を、土を、金を、風を"
そして。背後の大樹に願う。
(偉大なる聖樹よ――あなたの力を!!)
背後から流れ込む力――木の属性の主に力の限り声を放つ。
その声は完全なリュミナス古語で、契約の言葉だった。
"――すべての属性、六なる力よ!! 我に、この災厄を、炎を消し去る守りの力を!!"
ふわり、と背中から温かい力が流れ込んでくる。それが身体をめぐりキーファの腕から砕けた魔法剣へ光が流れ込む。
(力を、邪悪を払う力を!!)
"――魔を払う、――聖なる力を、我に与えよ!!"
「やれ――!! キーファ・コリンズ!!」
どこからともなく命じる圧倒的な声が、キーファの耳に届く。
キーファは剣を掲げて、六属性が提供するすベての力を吸い取り、そして剣を振り下ろす。
ぶんっと音をたて風の抵抗を切り裂くと、太陽のように暴力的なまでの純粋な光が溢れて、全てを白く染めぬいた。




