32.長州がおかしいんじゃない——時代が動き始めとるんかもしれん
【幕府側使者視点】
長州を発ったのは、
夕刻だった。
空は薄曇り。
風は穏やか。
なのに。
胸の中だけが妙に落ち着かない。
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(……何なんだ、あれは)
馬を進めながら、
何度も考える。
高杉晋作。
大村益次郎。
そして、
あの若い男。
山縣。
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誰が偉いのか、
最後までよく分からなかった。
いや。
偉い者はいる。
高杉は間違いなく中心だ。
だが。
高杉が命じているようにも見えなかった。
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飯一つ取ってもそうだ。
誰かが命じたわけではない。
なのに。
人が動く。
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報せもそうだ。
確認。
整理。
共有。
勝手に流れる。
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(気味が悪い)
本当にそう思った。
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江戸なら違う。
上役が命じる。
下が従う。
だから分かりやすい。
止めるのも簡単だ。
上を押さえればいい。
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だが。
長州は違った。
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(高杉を斬れば終わるのか)
そう考えた瞬間、
自分で首を振った。
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終わらない。
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あの百姓。
伊助と言ったか。
あれも動く。
町人も動く。
武士も動く。
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高杉が消えても、
別の誰かが動く気がした。
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(あれは危険だ)
使者は小さく息を吐いた。
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危険。
だが。
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(羨ましい)
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思わず、
苦笑が漏れる。
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江戸では、
誰も勝手に動かない。
動けない。
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上を見て。
隣を見て。
前例を見て。
そして。
何もしない。
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そんな光景を、
何度見てきたことか。
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(だが長州は)
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間違える。
揉める。
混乱する。
だが。
止まらない。
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そこが違った。
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馬の蹄の音だけが続く。
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そのとき。
同行の者が声をかけた。
「どうでしたか」
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使者は少し考えた。
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長州は危険だ。
そう報告するのは簡単だ。
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だが。
それだけでは、
何か大事なものが抜け落ちる気がした。
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「長州は」
一拍。
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「変わりました」
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同行の者が眉をひそめる。
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「良くですか」
「悪くですか」
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使者は、
しばらく答えられなかった。
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良い。
悪い。
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そんな話ではない。
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もっと大きな何か。
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そして。
ふと、
あの山縣の机を思い出した。
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紙。
報せ。
人。
流れ。
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武士も百姓も、
同じように出入りしていた場所。
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(あれは)
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長州の机じゃない。
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未来の机だ。
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そんな気がした。
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「分かりません」
使者は静かに言った。
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「ですが」
一拍。
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「何かが始まっています」
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風が吹いた。
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遠く西の空。
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そこには、
新しく動き始めた長州があった。




