22.教科書の中って、もっと遠い場所だと思っとった
道は、
もう完全に開いとった。
誰も、止めん。
藩兵たちは、
槍を下ろしたまま、
ただ、こっちを見とる。
(……通った)
山縣は、
まだ少し信じられんかった。
(ほんとに)
(撃たなかった)
足が、
少しだけ震えとる。
今さら。
本当に今さら。
(……怖)
声を出した瞬間より、
通ったあとに来る。
(これ)
(あとから来るタイプのやつだ)
⸻
「山縣」
声。
――高杉晋作。
「何人じゃ」
(……また?)
でも。
今は、ちょっと分かる。
この人は、
人数を聞いとるんじゃない。
(“崩れてないか”見てるんだ)
山縣は、
後ろを見た。
武士。
足軽。
町人。
百姓。
伊助もおる。
誰も、欠けてない。
「……八十二」
一拍。
「全員、います」
高杉が、
ふっと笑った。
「そうか」
それだけ。
でも。
少しだけ、
嬉しそうじゃった。
⸻
そのまま、
列は進む。
そして。
山を抜けた先。
夜明け前の空の下に、
長州の中心が見えた。
(……あ)
山縣の足が、
ほんの少し止まりかける。
(ここ)
(知ってる)
いや。
知っとるわけじゃない。
来たことなんかない。
でも。
(教科書で見た)
幕末。
長州。
高杉晋作。
功山寺挙兵。
そして――
(ここから、変わる)
頭の中で、
歴史の線が繋がる。
(……っ)
急に、
息が苦しくなる。
(待って)
(わたし)
(今、そこにいるの?)
⸻
そのとき。
「止まるな」
低い声。
振り向く。
大村益次郎。
相変わらず、
表情が読めん。
「歴史を見に来たんじゃない」
一拍。
「作りに来たんじゃ」
短い。
でも。
山縣の背中に、
まっすぐ刺さる。
(……っ)
言葉が、出ん。
⸻
そのとき。
前方が、
急に騒がしくなった。
人影。
声。
足音。
(……何?)
空気が、一気に張る。
武士たちの手が、
また刀へ向かう。
⸻
「高杉だ!」
誰かが叫ぶ。
「高杉が来たぞ!」
ざわ、と空気が揺れる。
(……っ)
その瞬間。
建物の奥。
灯りが、一気に増えた。
人が走る。
声が飛ぶ。
誰かが転ぶ。
怒鳴り声。
(……混乱してる)
山縣は、すぐに分かった。
(もう)
(向こうも止まってない)
⸻
「おもろいのう」
横から声。
高杉が、
めちゃくちゃ楽しそうに笑っとる。
(……この人)
「やっと、起きたか」
一歩、前へ。
その顔を見た瞬間。
周囲の空気が、
また変わる。
(……あ)
山縣は、
そこで初めて理解する。
(この人)
(戻ってきた人なんだ)
逃げた人じゃない。
落ちた人じゃない。
(戻ってきた人)
だから、
空気が動く。
人が揺れる。
⸻
そのとき。
伊助が、小さく言った。
「……山縣さん」
「なんじゃ」
「これ」
一拍。
「ほんとに、変わるんですかね」
山縣は、
少しだけ黙った。
変わる。
たぶん。
いや。
(もう変わってる)
百姓が武士を止めた。
武士が百姓に従った。
撃たずに道が開いた。
(……もう)
(前と同じじゃない)
山縣は、
ゆっくり息を吐いた。
「……変えるんじゃろ」
一拍。
「わしたちで」
伊助が、
少しだけ目を見開く。
そのあと。
ふっと笑った。
⸻
夜明けが、
少しずつ近づいとった。
長州が、
静かに、
音を立て始めていた。




