2.藩の命か、それとも勝手なんかいね
役人が去ったあと。
場は――動かんかった。
さっきまでのざわつきとは違う。
重たい沈黙。
(……止まった)
山縣は、そう感じた。
誰も、動かん。
さっきまであれだけ回っとった流れが、ぴたりと止まっとる。
(なんで)
理由は、すぐに見えた。
「……藩の命か?」
低い声。
武士の一人が、前に出る。
空気が、少し張り詰める。
「今の話は」
一拍。
「正式な命か」
(来たな)
山縣は、内心で頷いた。
(そこだよね)
誰もが思っとることを、口にした。
「違うなら」
続ける。
「勝手に動くことになる」
周りも、静かに聞いとる。
「責任は、誰が取る」
その一言で、場が固まる。
(……重い)
さっきまでの“回す”とか“速さ”とか。
そういう話じゃない。
(命だ)
失敗すれば、死ぬ。
その責任。
(そりゃ止まるよね)
別の武士も口を開く。
「百姓も前に出るつもりか」
視線が、横に流れる。
百姓の組。
「身分も分からんまま、戦に出るのか」
空気が、また揺れる。
(また来た)
(でも、さっきより重い)
命がかかっとる分、逃げ場がない。
「……動ける者が出るべきじゃろ」
百姓側が返す。
「戦うんじゃろ」
「なら、動けるやつが前に出る」
ぶつかる。
正面から。
(……まずいな)
山縣は、一歩踏み出しかけて――止まる。
(どうする)
頭が回る。
(正しいのは、どっち)
能力か。
身分か。
(いや)
(それじゃない)
今回は。
(間違えたら、死ぬ)
その重さが、のしかかる。
(どっちを選ぶか、だ)
でも――
(言えない)
どちらかを選べば、片方が崩れる。
(……詰んでる?)
一瞬、そう思った。
そのとき。
「ええのう」
軽い声。
――高杉晋作じゃ。
場の空気が、少しだけ動く。
「揉めとるのう」
(いや、止めて)
(それ楽しむとこじゃない)
山縣は思う。
「止めないんですか」
小さく言う。
「止める?」
高杉が、ちらっと見る。
「なんで」
(なんでって……)
「本音が出とるじゃろ」
さらっと言う。
(……あ)
一瞬、引っかかる。
確かに。
誰がどう思ってるか、全部出とる。
(でも)
(それどころじゃない)
「このままだと、動きません」
山縣は言う。
「戦になりません」
一拍。
高杉は、少しだけ黙った。
そのあと。
「藩の命が欲しいんか?」
ぽつりと、言う。
武士の方を見る。
鋭くはない。
でも、逃げてない。
「……そうだ」
短い返事。
「それがなければ、動けん」
場が、また固まる。
高杉は、少しだけ笑った。
「ほう」
一歩、前に出る。
「なら、動くな」
静かに言う。
空気が、一瞬で変わる。
(……え)
山縣は、思わず顔を上げた。
「命が惜しいんじゃろ」
淡々と続ける。
「なら、ここにおれ」
誰も、言葉を返せん。
「勝ちたいんか?」
一拍。
「それとも、守りたいんか」
視線が、場をなぞる。
武士も、百姓も。
関係なく。
「勝ちたいなら」
少しだけ、声が落ちる。
「動け」
短く。
切る。
沈黙。
重い沈黙。
(……雑だなあ)
山縣は思う。
(でも)
(外してない)
そのとき。
「責任はどうする」
さっきの武士が、低く言う。
逃げない。
「勝手に動いて」
「負けたら、どうする」
一拍。
高杉は、迷わなかった。
「わしが取る」
即答。
場が、揺れる。
「全部、わしの責にする」
静かに。
でも、はっきりと。
(……あ)
山縣の中で、何かが繋がった。
(命令じゃない)
(責任で動かしてる)
藩の命ではない。
でも。
この場の責任は、引き取る。
(だから、動ける)
さっきまで止まっとった空気が、少しだけ変わる。
「……」
武士が、黙る。
完全には納得してない。
でも。
(止まりきらない)
山縣は、ゆっくり息を吐いた。
(……なるほど)
やっと、理解した。
この人は。
(最初から、ここ見てた)
藩が回らん。
命令が来ない。
だから。
(自分で責任を持って、回す)
そのための――
(奇兵隊)
山縣は、一歩前に出た。
「……分けます」
静かに言う。
視線が集まる。
「前に出る組と、支える組」
一拍。
「無理に全員は出ません」
誰かが、小さく息を吐く。
「動ける者が前に出る」
「残る者が支える」
短く。
「それで、回します」
沈黙。
だが、さっきとは違う。
(止まってない)
少しだけ、流れが戻る。
そのとき。
「ほれ」
肩を叩かれる。
(だから近いって)
「回せるじゃろ」
高杉が笑う。
(……いや)
(あんたが動かしたんでしょ)
そう思いながらも。
山縣は、小さく息を吐いた。
視線を、全体に向ける。
(……動く)
まだ不安はある。
でも。
(止まらん)
それだけで、十分じゃった。




