39-10
ショージはフーリヤからの約束に内心ドギマギしつつ、集合時間の15分前からフーリヤの家の軒先で所在なさげにミニチュア大風車を作っていた。機構を調べる為の羽根や笛が勿体なくて、オルゴール式に中身を変えて再現してみたのだ。ディティールにまで拘って時間を潰していると、不意に背後からくすくすと耳を擽るような笑い声が聞こえる。
「んあ……ああ、なんだ来てたんかよ」
「ホントはショージが模型作ってるのも二階から見えてたよ」
おかしそうにフーリヤが自宅の二階を指さすと、そこに窓があった。
落ち着きのない自分の姿を見られていたことを知り、ショージは羞恥で耳を真っ赤にする。昨日まで可愛いとは思いつつどこか雑に接していたフーリヤが意味ありげに約束してきたせいで、ショージは童貞モードを発動してしまっていた。
ショージが作業のために広げていたレジャーシートの隣に、フーリヤが腰掛ける。
花の甘い香りが微かにして、女の子は良い匂いって多分こういうことじゃないんだろうけど……と、ショージは妙に意識してしまう。
フーリヤは暫く喋らずに夕日を眺めていたので、話を切り出せないショージも彼女に倣って夕日を見た。傾いた夕日は次第に大風車の影に隠れ始めている。時計を確認すれば、あと数分で鐘が鳴る。
と、フーリヤがのそりと動いてショージに近づいた。
吐息がかかりそうな距離だったのでショージは咄嗟に彼女の方を向けなかった。
「ショージ、これあげる」
「な、なんだよ……種? でっけー種だなおい、栗の何倍あんだよ……」
固い触感が気になり左の掌に視線を落とすと、ちょっとした拳ほどはあろうかというサイズの植物の種らしきものが握らされていた。フーリヤの体温が移ったのか温かい。やっと彼女の顔を見ると、夕日に照らされた妖精の幻想的な微笑みがそこにあった。
「世界に一個しかない種だけど、咲かせ方は私にもよくわかんないの。だから……私だと思って大切に育ててね」
「はぁぁ? んだそりゃ? これ持ってくるためにわざわざじいさんといる時間削ってここに来たのかお前? 後でいいじゃんかよ」
「鈍いなぁ。大切なものをショージに託すんだよ? これが私の選んだ――あ、そろそろじゃない?」
言われて時計を見ると、午後5時直前だった。
成功しているという確信はあるが、あのギミックは5時にしか正しく動かない。
期待と緊張が入り交じり、二人は揃って風車を見やる。
集中力が周囲の音を消し去り、そして――鐘の音が響いた。
ショージはこのメロディのタイトルを思い出せなかったのだが、ハジメに聞いて「あ、まんまなんだ」とか「え? 歌詞は後付けで民謡じゃないの!?」などとまたもや自分の無知を思い知ることになった。
鐘の音に合わせて、自然と口が開く。
『遠き山に日は落ちて』。
恐らく多くの日本人が一度くらいは聞いたことのある、日没とやがて訪れる夜を想起させる曲だ。原曲はドヴォルザーク――知らないと言ったらハジメにちょっと呆れられたが、曲そのものは部分的に耳馴染がある――だが、それに歌をつけたものが何十年も前に海外から日本に持ち込まれて日本語の作詞がついた。
フーリヤも祖父に歌詞を聴いていたのか、自然とデュエットになる。
温かく、優しく、どこか去りゆく一日への寂寥感のある曲は、嘗て大風車が完成した頃と同じようにメロワの一角に鳴り響き、職人や大工とその家族、噂を聞いて興味半分でやってきた者たち、過去を懐かしむ老人達があちこちでメロディに酔いしれたり歌っている。
鐘の音の余韻までもが消え、ショージは大風車に隠れていく夕日を見ながら独り言のように呟く。
「これがフーリヤのじいさんがわざわざ注文つけた曲か……」
何でそんな手間をかけたことをと最初の頃は思っていたが、いざ夕暮れに響き渡る曲を耳にするとショージの胸中には郷愁が渦巻いた。自分が生まれ育ったあの世界には二度と戻れないが、確かに存在したのだと思わせてくれるものが音楽にはあった。
(異邦の地でどんだけ権力握っても、懐かしいもん懐かしみたかったんだな)
自分もいずれ異世界にはしゃぐ時期を過ぎ、過去を懐かしみながらすべてを終えるのだろうか。漠然とそんなことを思っていると、フーリヤがショージの肩にしなだれかかってくるような感触があった。
「な、なんだよ急にじゃれやがって――」
肩に視線を向けたショージは、怪訝な表情を浮かべる。
それはフーリヤではなく、血のように赤い大量の花びらだった。
まさかまた吐いたのかと思って反射的にフーリヤの側を見て、ショージは思考がフリーズした。
そこには、誰もいなかった。
ただ、フーリヤの身に付けていた衣服と、その隙間から溢れ出る人間一人分はあろうかという膨大な花びらが散らばっていた。
「……え? フーリ、ヤ……?」
周囲をぐるりと見渡すが、フーリヤの姿どころか気配もない。
まるで自分が今まで妖精に騙されていたかのようで、意味が分からない。
ただ、花から急速に失われていくぬくもりだけが異常にリアルだった。
風に乗って散り始めた花びらを、ショージは咄嗟に手で受け止める。
彼女の口から出たものかもしれないという感覚を忘れ、ショージは種をポケットに入れると散った花びらを可能な限り道具袋で回収した。まるで一枚それを逃す度にフーリヤという存在が欠けていってしまう気がした。
気分が悪い。動悸がする。息切れしている理由が自分でも分からない。
「はぁ……はぁ……おい、フーリヤ? からかうなよ……!」
ショージはどうしようもなく嫌な予感がして、彼女の祖父母の家に駆け込んだ。
「フーリヤ、どこ行った! フーリヤ、フーリヤ!?」
危篤の病人がいる家だということもすっかり忘れて叫ぶショージの鼻腔を、フーリヤから香ったものと同じ花の香りが突いた。ショージは導かれるように香りの濃い方へと向かい、奥の部屋のドアを開け放った。
その部屋は、開け放たれた窓から差し込む夕日と、三人の人間がいた。
少し離れた位置で立っているハジメ。
医者と思しき中年の男性。
そして、ベッドに横たわる骨張った身体としわくちゃの皮膚の老人。
確か、名前はヴァンハイト・サヴァリー。
フーリヤ・サヴァリーの祖父。
ヴァンハイトは微塵も動いておらず、ショージは直感的に彼の魂は既にその肉体に宿っていないと確信した。彼のベッドにはもたれ掛かるようにロッティが着ていた服と、そこから溢れ出す人一人分はあろうかという大量の花弁がはらはらと床に落ちていた。
嫌な予感がイメージと現実を繋げようとするが、頭が理解を拒否する。
医者が困っていると、ハジメがショージの肩を掴んで部屋の外へ優しく誘導した。
ショージは自分の直感が当たって欲しくないと、縋るようにハジメに尋ねる。
「ハジメ、こりゃ……なんなんだ? フーリヤは? ロッティさんは、どこ行ったんだよ」
ハジメはそれに対して端的に、感情を置き去りにしたのではないかと思えるほど冷めた方程式を口にした。
「ヴァンハイトの妻である妖精ロッティは転生特典で形作られた存在だ。ヴァンハイトが死ねば彼女も消える。彼には娘がいて、孫がフーリヤ。つまりフーリヤはゴーストチルドレンだ――消える方の、な」
頭を金槌で殴り抜かれたような衝撃に、思考が真っ白になる。
後れてゴーストチルドレンの意味と、辿る運命がじわじわと白を侵食する。
ゴーストチルドレン――転生特典に伴侶そのものを選び、子を成すことで産まれる不幸の子供の俗称。ハジメから説明を受けた際は主に「遺された子」を指し示していたが、「生まれるはずがない子供」と同時に「消える子」もゴーストチルドレンだ。誘拐や失踪と見分けがつかないので用いられることが少ないだけで、むしろ後者の方が俗称の始まりかもしれない、と、以前ハジメは語っていた。
知識として知っても実感の伴わなかったそれは、どうしようもなく覆らない事実としてショージの心の奥に深く、重く突き刺さった。
「祖父と父の因子しかない彼女は祖父がいなくなると男女との間に生まれていないことになり、この世に固着できずに消え去る。つまり、フーリヤという人間は消えた。ロッティもな」
「そんなことッ!! フーリヤは一言も言ってなかったじゃねえか!! お前もお前だ、なんでそんな大事なこと一言も言わなかったんだよ!?」
「守秘義務があったので言わなかった」
「守秘義務と命のどっちが大事なんだテメェは!?」
「言えばお前はこの運命を覆せたのか? 俺には出来なかった」
「それはッ!! ……クソがぁッ!!」
ハジメはなんだかんだで他人に恩情を掛ける男だとショージは知っている。
そのハジメが「出来なかった」と断言すれば、ショージの言い分は意味の無い遠吠えに思えて虚しかった。
「……転生特典で生み出された存在は多くがその心のあり方を特典の主に依存するよう作られている。彼女にとっては本当に自分が消えるのは些細なことだったんだ。サヴァリー曰く生まれる子供が全て女性になるのも、自分を深く愛するのも、神に仕込んで貰った要素のひとつだったようだ。迫る死期を自覚してそのことの歪さに気付きはしたが……」
ハジメも少しは思う所があったのか目を細めたが、それだけだった。
自分の消滅までの時間を祖父のためだけに捧げ、恐怖のひとつを覚えることも許されなかったフーリヤ。花を吐きかけてきたフーリヤ。実は頑ならしいフーリヤ。祖母ロッティと仲睦まじげだったフーリヤ。夕暮れ時にショージに微笑みかけた、フーリヤ。
腹が立つとか、悲しいとか、そんな感情は沸かなかった。
ただただ、気持ち悪かった。
この世から消滅するための人間を神に願った男が気持ち悪かった。
人生の末期になって己が所業を漸くおぞましいと気付いた男が気持ち悪かった。
彼の願いを聞き届けた神が気持ち悪かった。
それを許し、転生者を許容する世界が気持ち悪かった。
消滅の宿命にあると気付かず安易にフーリヤと約束し、少し前までどぎまぎしていた自分が気持ち悪かった。
「……んなんだよ」
ショージはハジメの胸ぐらに掴みかかって、迸る情動のままに喉が裂けんばかりの絶叫を上げた。
「転生者って、なんなんだよぉぉぉォォォォォッッ!!!」
ハジメは何も言わなかった。
ショージはポケットから伝わる固い感触を思い出し、取り出す。
大きな大きな、フーリヤに託された遺言の種。
フーリヤが最期に他者に託し、遺すものはこんなものでよかったのか?
祖父の他を考えた精一杯が、こんなちっぽけなものだというのか?
そんな人生が、この世に存在していいのか?
ショージは種を力一杯に投げ飛ばしたい衝動に駆られ、振り上げた。
しかし、種にはまだフーリヤのぬくもりが微かに残っている。
フーリヤが死の間際にわざわざ己に会って託した種子を無碍にすれば、いよいよフーリヤは何の為に生まれてきたのか分からなくなってしまうと心がブレーキをかけた。
彼女に無責任な言葉を多く浴びせてその気にさせたのは他ならぬショージ自身だ。
力なく振り上げた手を静かに降ろすと、ハジメはショージの肩を慰めるように叩く。
「彼女が唯一自分の意志で遺すために用意したものだ。なんと言われて受け取ったかはお前だけが知ることだが、大切に育ててあげるべきだと俺は思う」
「……ぁぁ、ぐぅっ、ぅああぁぁぁぁ……!!」
ショージは暮れなずむ空が黒に染まるまで、種に嗚咽と涙を落とし続けた。
なんでまた明日なんて気軽に言ってしまったのだろうか。
なんでいつも彼女がそれに応じる様子のおかしさに気付かなかったのだろうか。
分かっていたところでハジメの言った通り、ショージには何も出来ない。
その事実が何よりも強く、深く、ショージの心を打ちのめした。




