雪乃、第1フラグを回避する
「矢部家息女、満天姫様」
そう告げられると同時に満天姫はすっと立った。雪乃は遅れまいと慌てて立つ。満天姫付きの家来なのだから、手伝いをしようと立ったのだ。
しかし、満天姫は左手で雪乃を制した。
無言ではあったが、その行動が威圧的で後を追おうとした雪乃はその場で固まるしかなかった。
(満天姫様は、一体何を披露なさるのか……)
雪乃はその時に気が付いた。満天姫は右手に何かを持っている。
(あれは……)
そう刀である。
満天姫の愛刀『紅椿』。
満天姫は舞台に上がると正面に向かって礼をする。すると、刀の柄に手をかけた。いつも放さず持っている愛刀である。
「はっ!」
気合一閃。
見事な居合技である。舞台の上で控えていた面を付けた能楽師の面が次々と割れて、地面に落ちる。
「はうわ!」
「わわわ……」
控えていた7人の能楽師が腰を抜かして後ろへ倒れこんだ。
「ほう……」
あまりの美しい剣技に一同が思わず魅入り、沈黙した。満天姫が刀を鞘に納める。パチンと納刀された音が静寂の中に響く。
ぱかっ……。
刀が鞘に納まると同時に舞台の後ろにでんと置いてあった見事な金屏風が真っ二つに割れて倒れた。
「なななな……」
「うああああっ……」
思わず声をあげたのは能登守と家老の五木大善。
続いて家来衆や藩主の親戚たちも声をあげる。
その中でも平然と満天姫は礼をして舞台から降りようとしている。
「ま、まずい、油断した!」
思わず雪乃は口走り、痺れた足を叩いて立ち上がろうとした。足が内側へねじれているような妙な感覚で地面に着けている感覚がない。
この状況はゲームの中で体験した。
満天姫が刀で金屏風を斬ってしまう場面。
ゲームでは主人公のお栄に嫌がらせをし、それをとがめた能登守に逆上して金屏風を斬ってしまうというものであった。
その金屏風というのが、秋葉藩の家宝と言うべき代物。安土桃山時代に狩野派の絵師による老松の見事な絵が描かれたものであった。
(これを斬った満天姫様は……能登守様にお手打ちに……)
ゲームの中ではその結末であった。
(終わった!)
能登守が刀を手にして舞台へ走り寄る。家宝を真っ二つにされて、怒りで興奮状態である。
このままでは、満天姫が無礼打ちにされてしまう。
雪乃は走った。
幸い、正面から突き進む能登守は池があるから回り込まなければないが、雪乃の方は直に行ける。足が痺れて出遅れたが、それでも能登守が舞台に駆け上がる時には満天姫の前に立つことができた。
「覚悟せよ、満天」
能登守が怒りにまかせて刀を抜こうとしたが、雪乃が両手を広げて制する。
「お殿様、お待ちください!」
「待てぬ。我が家の家宝を傷つけられたとあっては、武士の面目は丸つぶれである」
能登守はそう叫んで刀の柄をぎゅっと握りしめる。抜いたら満天姫ともども、斬られると雪乃は思った。
「ふん、斬れるものなら斬ってみよ!」
そう満天姫が火に油を注ぐようなことを言う。もう我慢がならない能登守。
(もうやめてよ~姫様。お手打ちエンドになってしまうじゃない!)
「能登守様。斬った理由も聞かず、大名の姫をお手打ちしたとなれば、幕府は当家に対して咎める可能性もあります」
そうやけっぱちで雪乃はそう叫んだ。やけっぱちであったが、内容はあながちでたらめとは言えない。
幕府のお咎めと聞いて、能登守は「うっ」とくぐもった声を出した。確かに雪乃の主張は可能性がないわけではない。
三万石とはいえ、矢部家は徳川譜代の大名。その姫を初日にお手打ちでは、世間の評判も悪い。
秋葉松平家の家宝を斬ったとはいえ、その理由を聞かねば思慮が浅いと言われかねない。
「では、申してみよ」
苦し紛れにそう能登守が尋ねた。
尋ねられても雪乃には皆目見当がつかない。
剣舞を披露したが手元が狂ってしまったのかもしれないが、それだと確実にお手打ちだ。
「それは……」
雪乃は言葉を濁した。この答えが言えるのは満天姫しかいない。
「わらわが答えようぞ」
そう満天姫が何事もなかったような態度で言った。
(この姫様……状況が分かって言っているのかしら……。この死ぬかもしれない状況でこの落ち着き……)
雪乃は満天姫のくそ度胸に感嘆した。この姫様、伊達にみんなから恐れられていない。
「剣舞を披露したまでじゃ。斬ったのは偽物。何も問題ない」
そう言い放った。斬ったのは能楽師たちの面と家宝の屏風。それを偽物と言い放ったのだ。
(な、なにを言っているの?)
雪乃も能登守も予想外の答えに戸惑った。雪乃は斬られた屏風を見る。そしてゲームではどういう展開だったかを思い出そうとする。その時、視界に入った別のものに目が留まった。
(あれ?)
満天姫によって面を斬られた能楽師のうち、左端の男の右手に短刀が握られていたこと。
能楽師たちは、姫たちの余興のために控えていたのだから、短刀を右手に持つわけがない。
おかしいのは、雪乃の視線を感じてその能楽師は慌ててそれを見えないように着物で隠したことだ。
(あれが本物なら……斬りつけようとしていた……満天姫様を?)
能楽師がそんな行動を取ること自体が想定外だ。もしかしたら、短刀は先ほどの能楽で使ったもので、偶然にも手で持っただけなのかもしれないが。
「まあ、待て、秋之助」
そう能登守を制したのはご隠居様。事の重大さを緩和するようなニコニコとした笑顔である。
興奮していた能登守も祖父の言葉を無視できない。それでも現当主として反論はする。
「おじい様、待てませぬ」
「いや、満天姫だけに待て」
(いや、やっちゃったよ、このじじい!)
変なギャグを入れてきたご隠居様。雪乃は心の中で酷く無礼なコメントをした。
もちろん、誰も笑わない。それでもめげないご隠居様は、満天姫にこう尋ねた。
「いつからこの屏風が偽物だと気が付いたじゃ?」
(え、え~っ!)
そんなとんでもないことを口にした。雪乃も能登守も周りにいる家来もそう心の中で叫んだに違いない。
「当初から……。この屏風は秋葉松平家の老松の図ではないと。わらわはこの屏風を見たことがある……」
「なるほどのう……」
ご隠居様はそう言って白い顎髭を撫でた。そして孫の能登守にこう告げた。
「その屏風は姫の申す通り、偽物である。本物は倉にしまってある」
「え……おじい様」
「我が家の家宝じゃ。それを披露するときは特別な時じゃ。月路の儀とはいえ、所詮は内内の行事。本物を出してよいのは、権現様の誕生日と亡くなられた供養の日。上様がお越しになられた時じゃ」
そう御隠居様は説明した。屏風は光や風に当てると劣化する。
二百年以上もの間、きれいに保つにはできるだけ風に当てず、箱に入れて保管すること。日光に当てるだけでも紙が劣化し、絵がくすんでくるのだ。
だから、それを滅多なことで披露することはないのだ。満天姫がそんな屏風を見たことがあるというのは不思議な話であるが、本物ではないと看破したことは大したものである。
現当主の能登守は先ほどまで本物だと信じていたくらいだ。
「それにしても満天姫よ。見たと言ったが一体いつこの屏風を見たのじゃ。これは家宝故、他家のそなたには見る機会などなかったと思うが」
ご隠居はそう満天姫に問うたが、雪乃にはそれが白々しく聞こえた。なんとなく、ご隠居は満天姫が見たことがあると知っていたように思えるのだ。
「幼少の頃……秋之助と倉庫で見た……」
「……なるほどのう。姫は幼少の頃、この屋敷によく遊びに来ていたからのう」
ご隠居はそう言って笑った。
この情報、雪乃は初耳である。そしてこのことは、満天姫が最初から能登守に嫌われていることにつながっていると確信した。
「それにしてもよくぞ、偽物と見破った。幼少の頃に見たとはいえ、ここにいる者はほとんど本物と見ていたのに」
「老松の色合いが若すぎる。構図は真似ても色彩の微妙な感じは再現できぬと思うのじゃ」
満天姫はそう答えた。満足そうに頷く御隠居様。
納得いかないのは刀を抜いて満天姫を斬ろうとした能登守。
弱冠十八歳の若者だけに激情を抑えることができない。
「おじい様、偽物とはいえ、この祝儀にこの騒ぎ。このまま、無罪放免と言うわけにはいきません。騒ぎを起こし、このめでたき儀を途中でダメにした責任を取らせるべきです」
「ほほほ……。それも一理ある。ではどうじゃ。満天姫は責任を取り、三日間の謹慎を命じる。そう言いなさい。今の主はお主じゃ」
ご隠居様はそう能登守に促した。命令は当主の能登守が言えと言っているが、実質はご隠居様の言う通りということである。
「……分かりました、おじい様」
少し間が空いて、能登守は咳払いを一つした。
納得いっていないが、未だに藩の実権を掌握している祖父に逆らう力は今の能登守にはなかった。
「満天姫。そちに三日間の謹慎を申し渡す」
そう言うと踵を返した。
月路の儀の初日はこうして終わった。
満天姫の見事な剣舞が印象に残った初日であった。




