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「ユノ、そこまでにしなさい」
母さんの声が聞こえて、あたしは思わず押し黙った。
あの声、怒ってる。絶対怒ってる声だ。今まで聞いたことがないくらい、ひんやりした怖い声。
「マーハルニーファのたかが一貴族の令嬢ごときが、よくも私の娘をひっぱたいてくれたわね。しかも、恥知らず? いいこと? あなたの父君は、セイライ国を残らず敵に回す覚悟があって?」
え? あれ? 母さん、あたしに怒ってんじゃないの?
隣から、大きなため息が聞こえて。何となく見たら、将軍が額に右手をギュッと当ててた。
「薄々予想はしていましたが、事実でしたか」
「あら、ヴァージル将軍はご存じだったの? 他国のことにもお詳しいのね」
将軍には、わかってるっぽい。んでも、あたしには、何のことかさっぱりわかんない。
「セイライ国で、二文字の名を持つ者は王に近しい者。そう、以前聞いたことがありますから」
「ふふっ、ヴァージル将軍は博識ね。そのとおりよ。ユノには教えていなかったけど、私は現セイライ国王の妹なの。ちなみに、兄と、次の王位を継ぐ甥は、セイガそっくりなユノが大好きなのよ。血縁者だとユノが知ると、無条件で懐くでしょ? そうしたら、ますます可愛がってしまうから、いらない火種になりかねないのよね。だからわざと、ユノには教えなかったの」
あー、うん。母さん、よくわかってるね。
王様とか王子様の筋肉、なかなかよかったんだよね。今のイハル兄くらいかな? 血縁者だって知ってたら、間違いなく触りに行ってる。それこそ毎日、絶対触ってたって、自信持って言えるよ!
あたしには言ってないってことは、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちは知ってるってことだよね。ついでに、将軍も何かで聞いて知ってるってことは、王女様には……うん、母さんだから、多分こっそり教えてる。
つまり、知らなかったの、あたしだけってこと? それはそれで、ちょっとひどくない?
「いろいろはっきりするまで言いたくなかったから、ヴァージル将軍にはきっちり矢面に立つようにと言ったのだけど……」
「……面目ありません」
将軍が慌てて謝ってる……怒ったら怖い母さんで、ホントごめんね。
「まあ、いいわ。それで、あなたはユノに謝罪するの? それとも、あなたの暮らす領地を攻め滅ぼして欲しいの?」
母さんが、あたしを叩いた子を見てる。
ざっくり突き刺すみたいな、すっごい冷たい目。
「ちょっ、母さん! それ、究極の二択すぎ……っていうか、あたしはちゃんと反撃したから、謝るのはチャラでしょ?」
「これはけじめよ。いい? 陛下の立場でものをごらんなさい。あなたの今の立場は傭兵だけれど、国へ戻れば国王の姪よ。つまり、たかが一貴族の、それも跡継ぎでもない小娘が、他国の王族を先に傷つけたことになるの。場合によっては、戦争になって当然ね。しかもこの場合、宮廷騎士団の中でも、セイライ国の者は、参加しない選択をする者が多いでしょうね」
……ホントに、母さんの目つきが怖いんだけど。
あたしは、そんなたいしたことじゃないって思ってたから。ってか、まさか、王様が伯父さんだったなんて、知らなかったし。
知ってたら、ちゃんとそれらしくやったのに。
あ、でも、今のは避けられなかったかも? じゃあ、結果は何にも変わんなかったってこと……?
「あなたが謝罪しないのなら、この件は陛下へ預けます」
「母さん! こんな面倒なこと、王女様にわざわざ押しつけなくたって……ただでさえ、エレンさんたちも忙しいのに!」
「黙りなさい。彼女があなたの頬を叩き、それを私が見てしまった時点で、問題はあなた一人の話ではなくなったの」
……お貴族様の世界は、面倒で窮屈そうだって思ってた。ホントに、そんな感じだって、今痛感した。
こんな面倒くさくって、うんざりするとこ、あたしの居場所じゃない! そんなもの、あたしはひとつもいらない!
「あたしが嫌だって言ってんの! 片をつけるなら自分でやる。宮廷騎士団傭兵部隊の、ユノとしてやる!」
「やりたいなら、勝手にやればいいわ。でも、私はこのことを陛下に報告します。それだけは、何があっても譲りません」
「母さんのわからず屋! 大っ嫌い!」
くるっと背中を向けて行っちゃう母さんを、止めることはできなかった。追いかけようとしたあたしの手を、将軍がしっかりつかんでて、離してくれなかったから。
……ううん、それは単なる言い訳。
振り払えなかったから、追えなかった。そう、自分をごまかすためだって、ちゃんとわかってる。
「マノ隊長の判断は、この場では正しいと思います。れっきとした後ろ盾を持っている場合、それを利用した方が、話は早く終わりますから」
じわっと浮かんだもので、景色が一気にぼやけた。
悔しくて、腹が立つ。でも、泣いたら負け。それはわかってる。だから、あたしの視界を奪ったこれは、絶対にこぼさないんだから!
今は、将軍の手を振り払う力もないし、母さんを止める言葉も持ってない。
──あたしは何て、無力なんだろう。
「……将軍も、大っ嫌い」
これが八つ当たりだって、わかってる。
一瞬、あたしの右手をつかんでる手に、キュッて力が入った。でもすぐに、力は抜けて元通り。だけど、簡単には振り払えない、絶妙な力加減。
きっと、怒ったよね。
……嫌われたかな?
当たり前だよね。あたしが先に、嫌いって言ったんだから。
それなのに……嫌われたら嫌だな。嫌われたくないな、って、何で思ってるんだろ?
嫌われること、したくせに。




