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第7話(4)

アリッタ、ルカ、フィリッポの三人は門をくぐり、魔王の間へ向かって走り出す。


豪華絢爛の内装に目もくれず、がしゃりがしゃりと薄い鉄がこすれる音が空間に反響する。


その先頭を走るルカが、二人に止まるように合図する。


大広間、その奥にある大扉を守るように、3つの頭を持つ巨大な狼が鎮座してこちらを見ていた。


「お嬢、犬の世話は俺とフィリッポが。あんたは奥へ」


ルカが片方しか残っていない腕と首を器用に使い、大槍をくるりとまわし構える。


「奴の頭は三つ、こちらの頭も三つだ。共に戦えば勝てる!」

「……そうかもしれません。でも、僕たちの本当の敵は時間です。」

「それはそうだが──」


揉めるアリッタとフィリッポを制止するように。、二人の間に槍が突き出される。


「あの3人がいても門は長くは持たねぇ。奴を倒すのに五分かけりゃその間に五人は死ぬ。そしてお嬢も疲弊する」

「なら優先すべきは迅速に、万全な王国の剣を魔王に突きつけること……普段の団長殿ならそう判断するかと」


アリッタはそれ以上の反論をしなかった。


この作戦の目的は魔王の打倒であり、騎士団の生存は要件にはない。

そんなことは、出立前からすべての部下と合意済みのことだった。


代わりに、仲間たちの強さに思わず頬を吊り上げる。


「……生意気を言うようになったな」


ルカとフィリッポもにやけ顔で返し、すぐに魔物へと視線を戻す。


「私は魔法が使えん。フィリッポ、ルカが奴の視線引いたらすぐに私に隠密魔術。後は最後までルカの援護を務めろ」

「了解、です」

「……上手くやれよお嬢、もう他人のケツふく手も残ってねぇからよ」

「甘えるな。お前は私が失敗する前提で動け」

「へっ、最期までコキつかう糞上司だったよ!」

「……またヴァルディスカの鐘の音で会いましょう」


彼らにとって、それ以上の言葉は不要だった。


---


後方で鳴る剣戟と咆哮。

それらに一瞥もくれず奥へと進むアリッタ。


その先にあったのは、聖堂だった。

ステンドグラスのはめ込まれた高い天井、女神の像を眺めるように並ぶ横椅子。

円形の石床に巨大な紋章が刻まれ、その溝を紫の光が巡っている。


それは、聖冠教を想起させるものだった。


なぜ、そんな疑問を噛みしめる間もなく、アリッタの感情は赤く塗りつぶされる。


その最奥、高台の前に、一つの影が立っていた。


静かに立つ人型。

黒い外套で体つきは不明。


そしてほとばしる強大な魔力に呼応するように、アリッタの体は剣先を向けた。


「ようやく会えたな」


魔王は答えない。


ただ、こちらを見ている。


その沈黙が異様だった。

怒りも嗤いもない。

ただ知っているような目で見ている。

まるで最初からここにアリッタが辿り着くことを承知していたように。


アリッタは一歩踏み出す。


(あと十、いや五歩でいい……!)


アリッタには生まれつき魔力がない。

その代わり、天は彼女に圧倒的な運動能力を与えた。

たとえ敵が数多の魔物の王であっても、十歩の距離に捉えれば胴を両断する自信があった。


「騎士の一騎打ちであれば名を名乗るのが礼儀だ」


沈黙。

アリッタは一歩踏み出す。

人影は動かない。


「……だが」


沈黙。

アリッタはまた一歩踏み出す。

人影は動かない。


「私は名乗らない」


沈黙。

アリッタはもう一度一歩踏み出す。

人影は動かない。


「だから、お前も名乗らなくていい」


アリッタはもう更に一歩踏み出し、それでも人影は黙ったままだった。


苛立ちが胸の奥を走る。


叫べ、嗤え、罵れ。

何でもいい。

敵なら敵らしく言葉を返せ。


無言だけが、かえって不気味だった。

しかし──


「……お前の名が、後世に残ることはない」


相手を十歩の距離に捉えた時。

アリッタの脳内は完全なる白に染まった。


ゆらっ。


完全に加速するその直前の一瞬の脱力。

アリッタの体が沈み込んだその瞬間。



背後で、何かが破れる音がした。



「グルルルルァッッ!!!!!」


突如としてアリッタの背後に現れた円形状の魔法陣。

それは広間とこの空間をつなぐ魔術だった。


二つの死んだ頭を引きずる巨大な犬の魔物が──


アリッタを頭から胸のあたりまで包むように──


噛み砕いた。


「ゴフッ……!?」


衝撃、黒にそまる視界。

丸太の様な牙が胸に喰い込む。

鎧が砕け、肋骨が砕け、心臓と肺潰れ破裂する。

吐しゃ物を吐くどころではない。

まるでボトルを傾ければワインがこぼれるように、自然と喉から血噴き上がる。


(終わる)


思考はそれだけだった。


しかし、アリッタの体はビクリと跳ねる。


死への反応か、はたまた何かの意思か、それとも魔物に避ける余裕がなかっただけなのか。

アリッタが握りしめていた大剣は魔物の口の中から頭を貫き、切り裂いていた。


どこからか声が響く。


──…の世界で生きる…─…めの祝福を与え…──


──…すべてを…──…べる…──…魔…──…与え…──


──『全翻訳能力-オムニリンガリティ-』──


身体はもう動かない。

大剣はすでに手を離れ、勢いで空中を舞っている。

音も感覚も視界も思考も、時間すらも、すべてが鈍くゆるやかになっていく。


崩れ落ちながら、アリッタは魔物の頭にあけた穴を通して見た。


魔王。


最奥になお立っている。


顔が少し見えた。


怪物の顔ではない。

獣の顔でもない。

人の顔。


冷たく、静かで、それでいてどこか――


鏡の中を見ているような、嫌な既視感。


意識が遠のく中、一本の腕が空中の大剣を掴んだ。


顔面の半分を失ったフィリッポ。

その襟首を口で掴み引きずりながら、赤黒く染めた体を弾丸のように捻じるルカの腕だった。


血に濡れ紅く染まった大剣がその血をはじく様に空を切り裂き、ゆっくりと"奴"の首元に向かって伸びていく。


驚くほど無抵抗に、その切っ先が皮膚を割き、骨を断つのが見えていた。


空中を回転しながら飛んでいくその首は──


"奴"は何も喋らなかった。


最初から最後まで。


なのに。


口元。


あれは。


微かに――動いて──


笑っ──



『役目を果たせ』



---


アリッタは跳ね起きた。


荒い息が喉を裂く。

胸が熱い。

心臓が暴れ指先が震えている。

反射的に胸元を押さえるが、そこに傷はない。

甲冑も牙もない。

ただ汗に濡れた寝間着の布が掌に張りつくだけだ。


夢。


そう理解しても身体は納得しない。


胸を貫かれた感触が残っている。

口の中には血の味がこびりついている。


暗い室内に、床で寝る黒井の静かな寝息だけがある。


そこでようやく、アリッタは自分が黒井の部屋で眠っていたのだと気づいた。


けれど、夢だったと片づけるには、あまりにも生々しすぎた。


窓の外の気配が妙にはっきり分かる。

電柱の上の鳥。

路地裏の猫。

遠くのカラス。

まるでその輪郭を、意志ごと掴めそうなほど近い。


魔力による感覚の拡張。

異世界にいた頃は感じられなかった感覚。


アリッタは既に、自身に与えられた祝福が『全翻訳能力-オムニリンガリティ-』だけではないことに気が付いていた。

そしてその魔力の性質に見覚えがあることも。


決して頭から離れない記憶。


魔王の顔。

魔王の口。

"奴"の言葉。


『役目を果たせ』


アリッタは汗に濡れた指先を見つめた。


ロマナリアを守ると誓った。

国民も、王も、全部守ると誓った。

その誓いの果てに、自分は何を見た。


なぜ魔王の顔が、あんなにも近しかったのか。


そして、なぜ。


ほんの一瞬でも、あれを「似ている」と思ってしまったのか。


そんな疑問に目を向けないように、アリッタは黒井をそっと抱えてベッドへ移す。

魔力がある今なら、隠密魔術を使うのもどうということはない。


黒井に頼んで買ってもらった服を着る。

黒のタンクトップに、軽めのジップジャケット、デニム素材のショートパンツ。


どうせ寝れないなら、朝食の用意もしよう。

インスタントコーヒー、トーストした食パンに目玉焼きをのせる目玉パン。

現世の道具も、名前さえわかれば使うのは簡単だ。


(テルオが街を案内してくれるというが、果たしてこの世界は──)


---


カーテンの隙間から差し込む明るい日差し。

目を細めながら、黒井が上体を起こす。


ベッドのすぐ横に置かれたローテーブルでは、すでにアリッタが軽めの朝食を並べているところだった。


「起こしてしまったかな」

「いやそんな、むしろ気を使わせてしまいました」

「気にするな、今日は貴重な休日を私に使ってもらうのだからな」

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