第5話:Trauma(傷)
「……さて」
ひとり、モニタの前に佇むセブンは、死神さんからもらった羊皮紙を眺め、わざとらしく顎を撫でつつ考える。
「誰のを見物しようかなーっと……」
羊皮紙には参加者の名簿が書かれている。スマートフォンの操作のように名前を指でなぞると、その参加者の本名、顔写真、SoV、経歴が羊皮紙いっぱいに表示される。
パラパラと眺めていたセブンの羊皮紙を操作する指が止まる。
「……この子にしよ」
そう言うとセブンは羊皮紙を丸め、オーバーオールの胸ポケットにしまいつつ、モニタのチャンネルを回す。
―――
はじめに目が覚め、はじめに扉に入った男子生徒、明石 水斗。
彼は扉をくぐるなり、手に持っていたヘルメットを床に落とし、絶句していた。
「嘘、だろ……?」
6畳のリビング。隣のキッチンでは忙しなく洗い物を片付ける母。その横には床に座りグズっている妹。
ガチャガチャと食器が擦れ合う音と、耳を劈くような妹の泣き叫ぶ声。彼の脳裏にこびり付いて離れない『あの日の景色』そのものだった。
『ホラホラ、演じて演じて!』
呆然と立ち尽くす明石を囃し立てるように、どこからともなく、セブンの声が響く。
「水斗!帰ってきてたの!」
「えっ?あ、あぁ、ただいま」
妹の泣き叫ぶ声を無視するように、母は明石の名を呼ぶ。呼ばれた明石は、萎縮した様子で返事をする。
「あんたが早く帰ってこないから、あたしがコレの相手しなきゃなんないじゃないの!早くなんとかしてよ!うるさいったらありゃしない」
母はまだ泡のついたままの食器をシンク横のラックに置き、明石の顔を見ずにぶつくさと言う。
「ホラ、あんたのご飯はそこにあるよ。おかあさん出掛けるから、ちゃっちゃと食べてコレの相手してやってちょうだい」
リビングのテーブルに、コンビニ弁当が袋のまま転がっている。それを見た明石は目を伏せ、淡々と言う。
「……ダウト。『俺の母は、家事「は」出来る』。あんなヤツだったけど、数少ない取り柄なんだ」
『正解!』
チャイムの効果音と共に、リビングにどこからともなくセブンの声が響き渡る。おそらく明石にしか聞こえていないのであろう、シミュレーションの母と妹はセブンの声に何も反応を示さない。
『明石さん、これでひとつめ!さぁどんどん探して下さいね!』
明石の脳内では、嘘よりも現実を整理する事で精一杯だった。ふと目にした姿見には、中学の頃の制服に身を包む、すこし縮んだ自分の姿が映っていた。
(これは……)
(何故、これをシミュレーションしている?)
(何故……何故『アイツが生きている』んだ……!?)
「水斗!」
母の自分を呼ぶ声、ドスドスと足音を立てて母が近付く音。その音の連鎖に、明石は咄嗟に身構えてしまう。
「なにボケタンとしてるの!あんたもう中学生でしょ!」
母の手が振りかざされる。明石は両手を上げ、顔面をガードする。
「あんまりおかあさんを困らせないで!」
……その手は振り降りる事なく、母はエプロンを投げ捨て、リビングを出る。青いワンピースに身を包み、洗面台で慌ただしく化粧をする母。その背中を見つめる明石は、疑心が確信へと変わっていた。
(本当に、あの時の……!)
(なら、俺はこの後……)
泣き叫ぶ妹を宥めつつ、明石は思考を整理する。
(嫌だ……!!)
忘れていた、否、忘れようとしていた自分の過去を思い出し嫌悪する。妹は泣き止まない。その姿に少し苛立ちを覚えつつ、明石は辺りを見渡す。
「セブン、と言ったな」
『はーい、なんでしょう?』
「お前は『どこまで知っている』?」
『……さぁて、何のことやら?』
セブンの位置はわからないが、会話が成立している。
『そんなことより、登場人物になりきってダウトを探してね!ゲームオーバーになりたくなければ……ね』
「……悪趣味なヤローだ」
明石は吐き捨てるように言うと、ひとつの気付きを得る。
「ダウト。『あの日の母は、赤いワンピースを着ていた』。あの男と会うときは、いつも赤のワンピースだった」
『うーん!よく気付きました!正解っ!その調子その調子!』
セブンの手袋で少しくぐもった拍手の音は、明石の耳には届いていなかった。
明石の脳裏に焼き付いて離れない、忌まわしき記憶。夫がいる、子がいる身でありながら、他の男に現を抜かすその雌を、彼は母と認めていなかった。その雌が、父を置き、妹を置き、自分を置き。素性も知らぬ男に会いに行く為にめかし込んでいる背中を、何度見つめた事か。
「あーそうそう水斗。ソレに飯やってないから。なんか適当に食わせといて」
その背中がこっちを振り向き、まだ幼い妹をソレと呼ぶ。
(あぁ……そうそう、そうだったな)
連れ子の妹を、母は毛嫌いしていた。本当の母を知らぬ妹は、母をママと呼び慕うと言うのに、母は妹を子と思っていなかった。
「嫌ぁーーっっ!ママーッッ!!」
「あーうるさい!!」
妹の泣き声が一層大きくなる。化粧を終え振り向いた母の形相は、鬼のようだった。険しい表情のまま、母はドスドスと音を立てて近付く。
「お……おいやめろ!」
明石は妹を庇うように立つが、あっさりと押しのけられる。
「やめろ?……なに、あんたもコレの味方するっての?じゃああんたもあたしの子供じゃないね!」
母の怒りの矛先が明石に向かう。
「あんたの為のご飯だったけど、いらないね!」
リビングにあるコンビニの袋を引っ掴み、ゴミ箱に放り投げる。
「あんたの物全部いらないね!」
リビングに飾ってある、明石が得た野球の優勝トロフィーを、手当たり次第床に投げつける。
「ソレもあんたも、みんな!あたしの子じゃない!出ていってよ!」
「なんでそうなるんだよ!」
「うるさい!出ていけ!」
突っかかる明石の頬を叩き、母は明石を突き飛ばす。キッチンまで吹っ飛んだ明石は、シンク下の棚に頭を強く打ちつける。
「嫌ぁ!お兄ちゃん!!」
最早声と言うより鳴き声に近い、妹の叫び声がこだまする。怒り収まらぬ母は、また妹に矛先を向ける。振りかざした手は、強く握られていた。
「っ……!!」
すぐ近くに、シンクがある。中には洗い物に紛れ、包丁がある。明石は咄嗟にその包丁を手に取り、駆け出す。
ドッ
ぶつかるように母へ包丁を突き刺す。倒れる母の背中から、止め処なく血が溢れる。
「は……っ!ひゅっ……」
どこからか息の漏れる音。引き抜いた包丁を握り直し、その背にまた強く突き刺す。何度も、何度も、何度も。辺りに飛び散る鮮血を気に留めず、刃を突き刺す。心が、身体が、止められなかった。
明石が我に返る頃、目の前に残ったのは青いワンピースを真っ赤に染めた、「母だったモノ」と、血溜まり。自らの手には、返り血に染まったカッターシャツの袖口、未だ血が滴る包丁。
「あ……あぁ……」
荒い呼吸が続く。妹は、涸れた声を漏らすだけ。力無く開ききった母の瞳孔が、じっと明石を見つめるような気がした。
『はい、シミュレーションはそこまでー!!』
突如、セブンの声が響き、まるで時間が止まったように世界が色彩を失っていく。何が起こったのか理解し切れていない明石の視線の先に、セブンが立っていた。
「あ……え……?」
『はじめはちゃんと演じられているか不安でしたが、しっかり演じてくれました!名演技でしたねー!さてさて、そんな明石さんの現在のスコアは……2!ソッチはまだまだ、ってトコですね!』
セブンは腰に左手を当てつつ、右手で明るく手を振る。
『さ、オールクリア目指して!張り切っていきましょーっ!』
場面が、暗転する。
―――
「……えっ」
6畳のリビング。隣のキッチンでは忙しなく洗い物を片付ける母。その横には床に座りグズっている妹。
ガチャガチャと食器が擦れ合う音と、耳を劈くような妹の泣き叫ぶ声。
明石は呆然と立ち尽くす。
「水斗!帰ってきてたの!」
母の声。
―――2周目が、始まった。




