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(九)母

 あれからジッタは、もうしばらくいくらかの調整をするといって、猫面といっしょに工房へすっかりこもりっきりだった。その間は、気が散るからとソウも立ち入りを許されず、食事を運べば扉の前に置くだけというじつに簡潔な関わりだけとなり、その折々ではやはり唄が響いていた。その唄は夜にも響くことがあった。それぞれ音や発声の独特な調子こそ最初に聴いたものとよく似ていたものの、内容はどれもちがうらしく、職人としていくつもの唄を受け継ぎ、使い分けているようだった。ミツに訊いてみれば、ジッタが唄を紡ぐときは、特殊なお面を作る時だけだという。

 黒影はあまり工房に寄らず、しばしば山中に出かけているらしかった。彼女は血の匂いをまとっていた。

 けっきょく、ジッタがようよう姿を現したのは、まる二日が明けてからのことだった。ソウが昼食の下ごしらえを手伝っていたところへ、目を異様にギラギラと輝かせながらジッタが駆けこんだ。その足音はドタバタとおちつきがなく、いかにも興奮冷めやらぬといった調子だった。目もとに濃いクマをたずさえながらも、頬骨の感じられる輪郭をいっぱいにくずして、ジッタは無邪気に笑ってみせた。手に持ったままの猫面をソウの手にお面を押しつけるなり、いつもよりずいぶんと早口に、そして大声で言いはなつ。

「できたばい!」

 ソウはあまりの勢いにやや身を退きながらうなずいた。ジッタはさらに続けた。

「アボリさまのご加護はもちろん、ソウにあわせて厳選した素材さ使ったとよ。傷が入っちょった部分も修復して、全体ば調整したけん、魔導武具さなか状態で雷撃ばしても、そげん気持ち悪くならんばい! そいから、万一に魔導が暴走ばしたら、ゆっくり呼吸ばすっと忘れんごとね。時計の音でも水の音でもなんでん良か。思いうかべておちついてきたら、魔導がどげんなっちょるか、わかるようになっけん。そこからゆっくりチカラに流れをつくってやっとよ。ええね? 我慢じゃなか。流れをつくっとよ。そいが大事やっけん」

「あ、ありがとう」

 ジッタはソウの返事を聴いて満足げにうなずくと、そのまま板の間へとゴンと倒れこんだ。

「あの、大丈夫ですか……?」

 おずおずと声をかけてみたものの、反応はない。ややあって、大きないびきがこれでもかと始まった。どうやら、寝たらしい。

「心配せんでよかですよ」

 ミツがふふと笑いながら毛布を持ってきた。

「いつものことですけんね。こん人がモノさ作るときは、こげなもんです。おもしろかでしょう?」

 言いながら、ミツはジッタへ毛布を掛けてやった。ミツが手仕事をするときに使っているものだ。大柄のジッタには不格好なほど小さいが、そのさまがなんともほほえましく思えた。

「こん人は、モノを作らんと生きとられんのです。こげん必死になれっとが、ウチは羨ましくて。好いとっとですよ」

 ミツは水場へ戻った。ソウもとなりへならび、手伝っていた芋の下処理を再開する。

明国(あきぐに)の首都へは、行かれるとですか?」

「ええ。用事をすませてから」

「あそこは、花の首都ば言われとっとですよ。季節ごとに、いろいろな花が咲いとっとです。最近は若い()たちのあいだで話題になっとって、新婚旅行にいうて行かれる方も多かとです。ソウさんは、どげんですか?」

 ソウは苦笑した。

「俺は、相手もいませんよ」

「そげなこと」

 ミツは茶化すように笑った。

「黒影さんは違うとですか?」

「彼女は」

 ソウはふと考えた。

「恋人っていうより……」

 仲間でもなければ、恋人とも違う。かといって、友人でもない。ただ〈殺しあいの約束〉をし、自分はその約束を果たすと心に定めて。彼女に宣言した。

 そんな関係に――はたして、名前はあるのだろうか。

 ソウは、黙々と芋の処理を終わらせたところでふと、自分がいつのまにかすっかり黙りこんでしまっていたことに気がついた。

「すみません、考え事をしてしまって」

「良か良か。むしろ、ウチが野暮やったかもしれません」

 ミツは自分のいたらなさを恥じるように、小さく笑った。

「明日は()たれっとですか?」

「そのつもりです。もともと、長居をするつもりではありませんでしたし」

「でしたら、今日はゆっくりしていってくださいね。ごちそうば、たぁんと作りますけん」

「すみません、すっかりお世話になってしまって。ありがとうございます」

 かるく頭をさげると、ミツが微笑んだ。

「あの」

「なん?」

「俺、ジッタさんには、母は幸せだったと思いますって言ったんですけど。でも、本当はわからなくて。母は、幸せだったのか……」

 ミツは手ぬぐいで水気をふき取ると、ふりかえり、ていねいにはっきりと答えた。

「そげんこつ、きっとソウさんのお母さんにしか、わからんと思います」

「すみません」

「いいえ。ウチの人が変なことさ言わせてしまって、ごめんなさいね」

 ミツは申し訳なさそうに言った。それから、ふと微笑んだ。

「ソウさんのお母さんのことさ、わかりませんけど。ウチは、大事な人のことを気にかけて悩むんは、あたりまえと思いますけん。大事な人が笑ってくれたら。いっしょに笑えたら、ウチはそれが幸せです。

 もちろん、そげんこつ、いつもじゃなかです。ケンカもします。口をきかんときもあります。顔を合わせられんくらい、申し訳なかこともあります。そいでも、いっしょに暮らすとですよ。

 ソウさんが、そげんこつ悩むいうことは、それだけお母さんを気にかけて、見とったいうことですけん。亡くなった方はかえってこられんですけど……ソウさんがお母さんのことさ大切にしとったんは、大事なことじゃなかですか?」

 そこまで言って、ミツははっと我に返ったように、

「すみません。命の恩人に、えらそうなことさ言って」

 と頭をぺこぺこと下げた。

「こちらこそ。変なこと聞いてすみません」

 ソウはあわてて言う。ミツの背中で揺られる赤子が、きゃっきゃと声をあげた。あらためて、ソウはミツへ向き直った。

「けど、本当に、ありがとうございます」

「まぁ! そげん顔したら、あかんです!」

 ミツは顔を真っ赤にして、語気を強めた。

「え」

「そげん可愛らしか顔ばしたら、女も男も放っておかんですよ」

「あの、ちょっと意味が……」

「ああもう。いけんいけん。ウチの人もかっこよかばってん、魂ばもっていかれるとこやった。あかんばい。もぅ~」

 ミツはパタパタと小走りで出入口へ向かった。大戸を開いて一歩出たところで、あっと思いだしたように立ち止まる。

「そいから、黒影さんば。よう見てあげてくださいね。あん()、寂しそうにしとりますけん」

 ソウが訊き返す間もなく、ミツは大戸の向こうで「もう、あかん。あかんばい」ときゃあきゃあと声を遠くしていった。



 翌朝。ソウは黒影、ナギと共にジッタの家を出立した。ソウは、ミツに言われたことを思いだして黒影のようすを眺めてみたが、とくべつ変わったようすはなかった。茶化したナギへ彼女が蹴りを入れるさまも、もうずっと見慣れた光景だ。

 意外なことがあったのは、その少し前の別れ際のことだった。黒影がジッタへ匂い袋――その中にある、レヴドの形見である金色の魔鉱石――を手渡した。二人の間で話はついているらしく、黒影は言葉少なに「頼んだ」と言い、ジッタはそれにうなずいた。

 農村が遠のいていくなかで、ソウはたずねた。

「よかったの? あれ。レヴドにたのまれたんでしょ」

「あずけただけだ。あとで取りに行く」

「そ。ならいいけど」

 彼女の横顔にどんな繊細な感情があるかは、計り知れない。


 さらに街道を通り、宿場町へ。何日か街道を進むと、いよいよ、山のふもとが見えてきた。黒影はあいかわらず口数がすくなく、多少いつもより不機嫌でいらいらしていた。ソウはいつものように、ナギとてきとうな話をしながら道中をすすんだ。

 山のふもとには、こじんまりとした街があった。いくらかの宿場があり商人も多く利用しているため、人の出入りはそれなりに見られる。魔鉱技術はあまり見られない田舎町といった風情で、それほど大きくはないものの、泊まる場所や食べ物がなくてこまる、なんてことはなさそうだった。

 ここを越えてさらに西へ行けば、明国(あきぐに)の首都フルールへ入る。予定通り、ナギとはここで一度別れることになった。

「ではでは、ナギはしばらく首都で待ってますねぇ」

 大きく緩やかに腕を振って、亜麻色の背中は街道へ消えていった。

「じゃあ俺たちも行こうか。お兄さんの研究施設は、ここから北へ半日くらいだよね」

 地図を広げてたずねる。

「黒影?」

 ややあって、鈍く「ああ」と反応がかえってきた。黒影はさっと向きを変えて北の道へ入っていく。

 ソウは、彼女の反応に首をかしげながらも、それについていった。

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