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【4】 侯爵との再会

 俺たちが馬車に乗り込んだ時に、いるはずのあのフードの男の姿はなかった。どこに行ったのか、御者は口を割らない。

 わからないことが多すぎるな。


「出して」


 ミランダの合図で馬車が動き出す。

 狭い車内で、俺はとミランダと向かいあって座った。青い半袖の服に太ももまで露わな彼女の姿はあまりに扇情的だ。おまけに汗で服が貼りついたようになっていて、身体の線がもろに見えてしまう。半年禁欲状態だった俺には、拷問よりもきつい。


 むさくるしい男に囲まれてはいたが女神のような女性の傍にいたことなどなかった俺だ。慣れるまでには時間がかかりそうだが、これも生きるためだと割り切るしかない。

 そうしないと、俺が破裂してしまいそうだし、別な罪状で処刑されてしまうかもしれない。


 俺は彼女を視覚に入れないよう、ずっと窓の流れる景色を眺めていた。

 開け放った窓からは湿気のある青い匂いが入ってくる。交わす言葉もなく、車内にはガタゴトと車輪の音だけが響く。

 草原を抜け、林を横目に見る。

 陽の光を浴び、生を謳歌している木々を、ずっと眺めていた。

 投獄される半年前には、当たり前すぎて気にもしなかった景色が、今は新鮮に感じる。


「生きてるってのは、それだけで素晴らしいことなんだな」

「……そう、ですね」


 俺のひとりごとに答えてきたミランダの声は、どこか寂しげな色を孕んでいるように感じた。


「すまない、なにか気分を害するようなことを言ったのなら謝る」

「いえ、大丈夫です」


 彼女のはにかみも、どこか陰がさしているようにも見える。

 貴族令嬢とやらも、男尊女卑の風潮の中では楽でもない、ということか。 自由にギルドボールをしていることで、周囲からやっかまれているのかもしれない。

 ミランダの成したいことと、何か関係があるのかもしれない。俺が何かしらの力になれればいいのだが、しょせんギルドボールしか取り柄がない馬鹿な男だ。


「そうか、ならよかった」


 ぎこちなくも笑顔を向けてやることしかできない自分に、もどかしさが募る。そんな葛藤を吹き飛ばすように、草原を走ってきた風が車内を通り抜けて行った。





 草原から馬車で十分ほどの距離にミランダの屋敷はあった。それは、林を切り裂く一本道の先に、水をたたえた堀に囲まれ、堅牢そうな石造りでふたつの塔を備える、色気もない灰色の壁をもった、どう見ても砦だった。

 だが建てられてからだいぶ経つのだろう。砦には蔦が自由に這い、灰色のキャンバスに緑の絵の具の線を引いた、絵画のような趣があった。


「帝都防衛のために建てられたのですが、十年前に用廃になった砦なんです」

「それを屋敷に?」

「えぇ、多少手荒に扱っても、壊れませんから」


 天使の笑みで薄ら寒い言葉を吐くミランダ。その〝多少〟という言葉の限度が知りたいが、黙っておく。

 俺のイメージする貴族令嬢とはだいぶかけ離れているのだが、ミランダは何者なのだろう。

 馬車が堀の前に止まった。ここから先は歩け、ということか。御者が扉を開けた。


「橋が古くなって馬車の重さに耐えられないんです」


 ミランダが恥ずかしそうに告げた。

 別に恥じることではないだろう。俺はそんな御大層な人間じゃない。


「先に降りよう」


 俺は返事を聞く前に馬車を降りた。


「えっと、手を貸していただけると」


 ミランダが扉の向こうでもじもじしていた。貴族令嬢はエスコートなしでは降りられない、ということにまで頭が回るわけもなく彼女を置き去りにしていたらしい。

 スマートなやり方など知るわけがない俺はとにかく手を差し出した。


「あ、ありがとうございます!」


 控えめな笑みだが緊張が見て取れる。俺の顔も厳ついからな。年頃の令嬢からしたら怖さしか感じられないだろう。


「中に入って着替えましょう」

「あぁ、その後に今後について話し合いがしたい」

「今後……」


 突然ミランダが遠くを見始めた。このくらいの年ごろの女性は、こうなってしまうのか?

 彼女くらいの歳には既にギルドボールに全てを捧げていたからな。俺には理解できない。


「ミランダ?」

「……は、はい! 末永くヨロシクお願いいたします!」


 俺が声をかけると、彼女は頬を赤らめながらぺこりと頭を下げた。何か考え事でもしていたのだろうか。


「え、あ、やだ! さ、さきに行って身体を清めておきます!」


 ミランダは声を置き去りにしながら、脱兎のごとく橋を渡っていった。


「この屋敷について何も知らないのだが」


 置いていかれた俺は肩を落としつつ、彼女の後を追いかけていった。





 湯を浴び、こびりついた汚れをそぎ落とし、張りのある筋肉を取り戻した俺は用意された紺色の上等な服に袖を通した。測ったかのように俺の身体にフィットする。


「何故ピッタリなんだ?」


 疑問が湧くものの、使用人だろう女性に案内され、大きな部屋に続く扉をくぐった。

 石造りだったはずの壁や天井は美しい木目に変わっていた。天井には細工が施されたシャンデリアと、それを補うためだろう壁に燭台がある。

 開放的な大きさの窓には、レースのカーテンがかかっていて、なるほど高貴な屋敷と遜色ないと思うくらいには、格調高く品を感じた。元が無骨な砦とは到底思えない。

 木目も美しい大きな円卓と、そこに収まる彫刻が施された椅子。百九十センチを超える身長の俺が寝てもはみ出さないほど長い、柔らかそうなソファ。

 その調度品にも驚いたが、一番はそこにいるエンゲル侯爵の姿だった。


「侯爵!」


 黒い髪を油で撫でつけ、優男の顔に、やや疲れを見せつつも、元の雇い主、エンゲル侯爵がそこにいた。

 細身の体を仕立ての良い黒の上下で身を包み、胸にはタイを欠かさない、いつもの侯爵のスタイルだ。浮かべた笑みに皺が増えたのは四十を超えたからか、それとも心労なのかはわからないが、無事な様子に俺は安堵した。


「久しぶりだね、マックス。牢に閉じ込められていたからもっとガリガリになっているかと思っていたけど、徒労に終わったようで安心したよ」


 ソファに体を預けていた侯爵が優雅に立ち上がる。


「お久しぶりです」

「お互いにな」


 差し出された右手を握る。俺が収監される前よりも少し骨ばった気がするのは、気のせいではないだろう。やはりハムレス公爵とのいざこざが続いていて、心身ともに疲れているのだと予想するのは容易かった。


「まぁ、座ってくれ。といってもここの主はそこのお嬢様だがね」


 侯爵が俺の背中に笑顔を向けた。振り向けば、そこには恥ずかしげに首を傾げるドレス姿のミランダが。

 金髪を結い上げ、載せられた銀の髪飾りが良く似合っている。薄くだが化粧を施された唇は、水も弾いてしまいそうなほどぷりんとしている。


 首から手までを隠す袖丈の紺色のドレスは、ちょうど俺に用意された服と同じ色だ。ふんわりと膨らんだスカートは床で広がり、少女を超えた肉付きの良さが俺の目を惹く。

 何がとは言わないが、意外にでかい。


 先ほどのむき身の肉体美はないが、淑女を香わせる綺麗さを纏っていた。ちょっとはにかんだ笑顔があざとくも見えるが、逆にそれが俺をひきつけてやまない。


「マックス。あまり女性をジロジロ見るものではないぞ? それにまず男として言うべきことがあるだろう?」


 クックックと喉を鳴らす侯爵の含み笑いが、俺を正気に引き戻した。悪巧みを思いついたガキのような笑みで俺を見てくる。


「む、俺としたことが」


 ゴホンと咳払いでごまかす。顔が熱いが、ばれてはいないだろう。


「非情に、良く似合っていると思う」

「ありがとう、マックス」


 もっと甘い言葉でも吐ければよいのだが、俺はそのようなものは知らぬ。ハンマーキングと呼ばれるようになって貴族が催す夜会に行ったこともあるが、ダンスなどという高貴な踊り(社交辞令)には縁などなかった。

 もっとも、作法も知らぬ俺が浮きまくっていたせいもあるが。

 それでもミランダはにこりと、作り物ではない笑みをくれた。優しい女性だ。


「お越しいただき、ありがとうございます、エンゲル侯爵閣下」


 ミランダが視線を侯爵に変え、スカートをつまみ、優雅に礼をした。

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