【3】 足りないもの
二日後。俺の頭にはその文字だけが浮かぶ。
ギルドボールは五人の協力で勝ち進むものだ。規則上はふたりでも試合は可能だが、それでは勝てる見込みはない。
敵陣深く攻め込む者、遠距離から狙い撃ちする者、自陣の旗を守る者。五人にはそれぞれ役割がある。
鉄鎚で鋼球を廻しながら敵陣へ攻め込み、打ち込んだ鋼球で旗をへし折る。一見、簡単に感じるが、旗を狙った鋼球は容易に軌道を反らされたりする。俺は筋力でねじ伏せるが、他のやつらはそうもいかない。
仲間へのパスもタイミングを間違えれば敵に奪取される。甘い打球は逆に撃ちかえされ、カウンターを食らうことも珍しくない。だから五人の協力が必要なのだ。
俺は攻めも狙い撃ちも可能だ。ミランダ嬢は、見た限りでは狙い撃ちが適役だろう。うらわかき乙女を前線に送るのは忍びない。
ふたりで攻めることはできても旗は守れまい。
「ミランダ嬢、ひとつ聞きたいことがある」
「ハイ、マックス様、なんでしょう!」
彼女がにこやかな顔を向けてくる。一片の曇りのない瞳を見るといいにくくなるが、これは確認すべき問題だ。
「俺とミランダ嬢だけでは、試合には勝てない」
俺の一撃はそう簡単に止めれられるものではないが、それは鋼球をキープできればの話だ。残念だが、人数の不足は筋肉では補えない。一方的に攻められて終わりだ。
「それは、わかっております」
ミランダ嬢が小さな口もとをぎゅっと結んだ。理解はしているようでそこは安心だが、問題は全く片付いていない。
「試合は、どうする?」
「……二日後の試合は、勝てなくてもいいと思ってます」
「ほぅ」
面白いことを言う。だが彼女の目は本気だ。
「今度の試合は、私たちの存在をアピールをする場にします。派手に暴れ、マックス様が鉄槌王として復活したことを世に知らしめます。それが目的です」
ミランダ嬢の確信めいた声色に、俺の背筋がゾワリと疼いた。いやしくも頬が吊り上っていく。愉快な考えに、俺の筋肉たちがドクリと脈動する。
だが、それでは試合には勝てない。高揚する心を意志の拳で黙らせる。
「光栄なことだが、仲間がいなければ勝つことはできない。探すあては?」
「それは……」
彼女は俯いて黙ってしまった。俺を監獄から出すことだけを考えていたのかもしれない。
考えが甘いとは思うが、助けてもらった身で不満は言えない。
「あてはないということか」
「あの、申し訳ありません」
「俺は助けてもらったんだ。そこは俺が何とかすべきなんだろう」
「でも!」
ミランダ嬢が勢いよく顔をあげた。綺麗な髪が乱れてしまっている。女神にそんな姿をさせではダメだな。
「元いたギルド〝デンジャラス・ハンマー〟から引き抜くわけにはいかないな。侯爵が困るだけだ」
「え、えぇ、そう、ですね」
俺の独り言に、ミランダが曖昧な表情を見せた。言い難いことでもあるかのような顔だが、秘密の多い彼女を詮索しては訝しがらせるだけだろう。気にはなるが、ここは素知らぬふりが良さそうだ。
怪しまれないよう会話を続ける。
「あてがないこともないが……下野で燻っている腕利きの〝はみ出し者〟たちに声をかけるか」
「はみ出し者、ですか?」
ミランダ嬢が「はて」と小さく首を傾げた。さらりと落ちる金髪が肩からすべり落ちる様すら絵になる。
美しい……
む、見惚れてる場合ではないな。
「〝はみ出し者〟というのは、才あるが雇い主の言うことを聞かない一匹狼どもだ。腕は確かだが……」
「その者たちは、召集すれば応じてくれるのですか?」
ミランダ嬢の視線は鋭い。切り替えが早いってのは有能な証拠だ。
「金もそうだが、待遇しだいだ。彼らは素行が悪さで首を切られる。それを制御できれば――」
「ならば安心です! マックス様ならば、絶対に彼らの手綱を握れますから!」
俺の言葉を遮り、満面の笑みでゴツイことを言ってくれる。信頼してくれてるのか、俺をはめてるのかよくわからないが。
ミランダ嬢は新興貴族との話だが、やはりおかしな点が多い。そもそも死刑判決を受けた俺を、監獄から連れ出せること自体がおかしい。新興貴族のできることじゃない。
ギルドボールをやる貴族令嬢なんてのも聞いたことがない。お嬢様ってのはお淑やかに蝶よ花よと育てられてるのだろう。ミランダ嬢は、不敬だがそうは見えない。
彼女にはとんでもない裏がありそうだが、その一筋縄じゃいかなそうな塩梅に俺の身体が熱くなってる。肩の三角筋が興奮して震えが止まらない。
嬉しそうにピクつく胸筋と込み上げる感情を、鎚の柄を握る気合でねじ伏せ、ミランダ嬢を見つめる。
「わかった。しっかり首根っこを捕まえよう」
「はい! マックス様、よろしくお願いします!」
悪意なんてこれっぽっちもない笑顔を見せてくるミランダ嬢。わかっているのか、わかっていないのか。腹の底が見えない。
それはそうとして、ひとつだけ気に入らないことがある。これは是が非でも直してもらわないと一緒にはやっていけない。
「そのマックス〝様〟というのはやめてほしい。ミランダ嬢は雇う側だ。俺に対して様をつけるのはおかしい」
失礼にならない程度に語気を強めた。申し訳ないが、ここは俺の厳つさを利用させてもらおう。
「その、あの、呼び捨ては、その、もっと親しく……」
ミランダは両手の人差し指をごにょごにょさせて言いよどんでいる。
これは対外的にも問題だ。押し通す必要がある。
「何を躊躇してるのかわからないが、逆に俺が様をつけないといけない立場だ。ゴロツキと変わりないはみ出し者を使うんだったら身分ははっきりさせておく必要がある」
「そそそうですけど」
ミランダ嬢が下を向いてしまった。彼女が戸惑う理由がわからない。何かが彼女をとどまらせているようだが、俺にはわからない問題なのだろう。
ここは無理に押さずミランダ嬢の答えを待とう。
「わかりました、マックス様のことは〝マックス〟とお呼びいたしますが、私のことも〝ミランダ〟と呼んでください! 嬢もやめてください! 絶対です! それ以外は許可しません! でないと食事抜きです!」
「しかし、ミランダ嬢を呼び捨てには――」
「食事抜きです!」
俺の言葉の途中で、ミランダ嬢が金髪を跳ね上げ、顔を向けてきた。女神様が眉間にしわを寄せてお怒りだ。そのミランダ嬢が険しい顔で寄ってくる。
ちょっと、怖いな。
鉄鎚を前に構えて近づけないようにガードすると、わななく口と涙目で睨み上げられるという謎の剣幕を発揮しだした。どうしようもない状況で俺の筋肉も委縮して動かない。額から汗が止まらず、プレッシャーに怯まされている。
いや怖い。
これが、女神の怒りというものか!
「物心ついた時から憧れだったマックス様に、こともあろうに様呼ばわりされてしまったのならば、私の乙女の誓いが遠くなってしまいます!」
顔を真っ赤にしたミランダ嬢がグイグイ迫ってくる。暴れ馬に豹変したかのようだ。
乙女の誓いとやらがなんなのかは知らないが、俺は触れてはいけない何かを言ってしまったのか。
フードの男に助けを求めようとしたが既に姿が見えなくなっている。
……逃げたな!
「主従的な関係は理解できます。しかし、私も共にギルドボ-ルを戦う仲間なのです。だから私には、様などつけて欲しくはないのです」
「仲間と言ってくれるのは嬉しいが、なおさら様付けは――」
「それはダメ、ダメです! ぜぇったいに、ダメです!」
「わ、わかった。わかったからそれ以上は近寄らないでくれ! 俺は風呂にも入っていない!」
そこまで言いきり、ミランダ嬢に鎚を押しつけ握らせた。彼女は目を見開きハッと我に返った顔になる。息もかかりそうな距離に気がついたのか、数歩後ずさりして「あああのあの」と俯いて肩を震わせた。
俺は安堵に大きく息を吐く。体中の筋肉も安堵のため息をついた。
この娘は感情に振り回されやすいようだ。覚えておこう。
「興奮しすぎだ。耳まで赤い」
「だ、大丈夫です!」
ミランダ嬢は顔をあげたが、まだ真っ赤だ。襟元から除く首まで赤い。
流石に様子がおかしいと感づく。
「本当に大丈夫か?」
「問題ありません! マ、マックス。と、とにかく屋敷に戻りましょう」
ブンブンブンと金髪を振り乱して否定するミランダ嬢。本人に大丈夫と言われてしまえばそれ以上追及するのはマナー違反だ。
ミランダ嬢は、どうもすぐにカッとなる。年相応で可愛らしいと言えばそうなのだが、貴族としてそれでいのかと心配だ。
だが、彼女にとってギルドボールの仲間というのは特別な存在だ、ということはわかった。
過去に何があったのか知るすべはないし聞こうとも思わないが、ミランダは仲間を大切にする良い雇い主らしい。
それでいいじゃないか。
俺はそう思った。
「あの、マックス」
ミランダ嬢から声がかかった。顔を向けた先では、眉をしかめたミランダ嬢が鼻をつまんでいた。監獄じゃ風呂は週に一回入れるかどうかだったから臭うよな。
「屋敷についたら、まず体を洗いましょう」
「そうさせてもらうよ」
可愛らしく口を尖らせるミランダ嬢に、俺は苦笑で返すことしかできなかった。