【2】 ミランダ嬢との邂逅
「ミランダ、嬢……」
「おっと。やれやれ……」
視線を捕らわれてしまった俺は男の声を無視し、馬車を降りた。
ミランダ嬢は、馬車を降りた俺に気がついたのか、その美しい顔を向けてきた。まだそばかすが残る蕾だが、将来は美女という大輪の花を約束させるものだった。
「マックス様! お会いしとう御座いました!」
瑠璃色の目を輝かせる笑顔に、ハッと我に返った。気がつけば、手を伸ばせば彼女に触れられそうなほど近づいてしまっていた。
魅力的な筋肉と笑顔。汗ばむ頬に貼りついた髪の色気。
ミランダ嬢には、今までのギルドボールにはなかった、逞しさと美しさを合わせもつスター性があった。
だが俺は、このまま愛でていたい誘惑を振り切って、口を開く。
「貴女が、俺を監獄から連れ出してくれたのか?」
「あのその、はい!」
頬を紅に染めながらはにかみを見せるミランダ嬢の破壊力は、俺の記憶にはないほどだ。ぐらりと揺れそうな頭を振り、なんとか持ちこたえた。
「お願いです! わたくしのギルドに、所属して欲しいのです!」
「まさかとは思うが、貴女がギルドボールに出場するのか?」
「はい! 前例はありませんが、女性が出場できないという決まりもありません! わたくしには、ギルドボールで、なすべきことがあるのです! その為には、マックス様のお力が、どうしても必要なのです!」
乙女のポーズでにじり寄られ、思わず半歩下がってしまった俺だが、頭を冷やすべく大きく息を吐いた。
「仮にだ、このお願いを断ったら、俺はどうなる?」
「できれば断って欲しくはないのですが、このまま監獄へ送り返しされ、断頭台に登ることになります……」
「ハムレス公爵の差し金でか」
「……はい。わたくしの力では、マックス様を取り込むことでしかお救いできないのです」
悲痛な面持ちのミランダ嬢に、何かを隠している気配は感じられない。むしろ俺の行く末を真摯に心配してくれているのが伝わってくる。
どうして彼女が俺を助けられるのか。彼女は新興貴族だとの話だが、そこまでの力があるのか。
疑問はあるが、今それを考えても仕方がない。腕には手錠がはめられている。戻れば処刑が待っているだけだ。
ゆっくり目を閉じ、心を黒く塗りつぶす。
俺の背後に道はない。もがいても先に進めないことが確定している。黒く染まる未来には、彼女の灯が必要だ。
彼女が成したいこととはなんであろうか。男尊女卑のこの帝国で、ギルドボールの選手となること自体に反対が起きるだろう。
そのために、俺の力を欲っしているのかもしれない。俺を監獄から出すことで、彼女は退路を封じ賭けに出ているのかもしれない。断れば、俺も彼女も、処刑されるのかもしれないな。
助けられた以上、力になるのが仁義というものだ。それが美女ならなおさらだ、
静かに目を開ければ、女神が見える。そんな不安そうな顔をしないで欲しい。
「他の選択肢はないようだな」
パッと嬉しさを爆発させるミランダ嬢に手を差し出す。ガチャと手錠の鎖が鳴る。
「ミランダ嬢、その鎚を貸してくれないか」
彼女は突然のことに目を瞬かせたが、すぐに口もとに弧を描いた。
腕にかかる、ずしりと重い鋼の感触。
頭部がラッパ型なのは打撃面積を広め、バランスよく力を伝えるためだろう。
鋳物ではなく叩き固められた鍛造品。恐らくは名のある業物だろう。
「名をオースと言います」
ミランダの声がした。
「誓い、か」
彼女の覚悟のほどなのだろう。そこまでの志があるのか。
久しぶりの鎚の感触と使命感に、俺の心臓が歓喜の雄叫びを上げている。
柄を強く握れば、ブルブルと身体が震えはじめる。
ヒラメ筋が、大腿筋が、腹筋が、胸筋が泣き叫んで喜んでいる。
湧き上がる高揚感に、口角が吊り上がっていく。
これだ。
これが、生きているという実感だ。
俺は帰ってきた。帰ってこれたんだ。
煮えたぎる胸の熱。握る拳がミキと軋む。
俺はミランダ嬢をじっと見つめた。
「マックス殿、まだ手錠がかかったままですぞ」
背後からかかる男の声。振り返れば、やはりフードで顔を見せぬ男。手には金属の鍵を持っている。
この男が顔を見せぬ理由も、あるのだろうな。柔らかい口調の中にも威厳がある。使用人とは思えないが……詮索してもしようがないか。
「すまない」
鍵を受け取り、手錠の穴に差し込む。カチャと軽い音で手錠は外れ、ドスと落ちた。
「手が、軽いな」
両腕を天に突き上げる。雲がゆっくりと流れる空を見た。あの雲ほどの自由はなさそうだが、それでも生きる自由は得られた。
そして、ギルドボールをやる自由もだ。
改めて鉄鎚の柄を握れば身体中がうずく。
ミランダ嬢に視線を戻すと、その視界の端に鋼球が見えた。鋳物だからだろうバリがあるが、それは新品の証拠でもある。だめだ、血が騒ぐ。
「久しぶりだ」
ミランダ嬢の横を通り、鋼球に向かって歩く。踏みしめる土と草の感触。嬉しさで僧帽筋が盛り上がっていく。
鉄鎚を肩に担ぎ、鈍色の鋼球を前にする。公式球ではない。練習用だとわかる。
「それは、鍛錬用に多少重くしてあります」
ためらいがちなミランダ嬢の声。重くしてあるとは、わかっているじゃないか。
腹の底から湧き上がる熱に、口角が上がるのを抑えきれない。
「腕がなまっているか、確認しないとな」
担いでいた鉄鎚を両手で握り、腰の位置で水平に固定する。二回深呼吸をして息を止め、上半身を右に捻り鉄鎚を背まで回した。
「ハッ!」
気合と同時に上腕三頭筋が咆哮した。
大胸筋と大腿四頭筋が膨張し、捩じりを蓄えた腹筋群を解放する。
腕の振りに遅れた鉄鎚にはその重量と遠心力がのる。右足で地面に捉え腰の捻りで更なる加速を与える。
重い。この重さがたまらない!
「オアアァァッ!」
渾身の力で鉄鎚のヘッドをぶち当てる。硬い感触が手に伝わった刹那、鋼球に亀裂が入った。
「チッ!」
右手から左手へ鎚を掴む主導を変え、亀裂が入ったまま鋼球を打ち抜く。
ゴギャン
気の抜けた音で鋼球が砕けた。鋼の塊は爆散し、破片がばらまかれる。練習用故に脆かったか。
「鍛錬のおかげで、筋肉は衰えてはいないようだ」
振り向けば、口を開けて惚けているミランダ嬢が。美人というのは少し抜けている顔でも華があるのだな。初めて知った。
「力の加減を忘れてしまったようだ」
壊してすまん。苦笑いしか出せない。
「さすがハンマーキング、と言ったところか」
フードの男が手を叩き始めた。興奮したのか口調が変わってる。コイツも何者なのかわからないが、少なくともミランダ嬢をサポートできる地位にいる人物なのだろう。
俺にはそのくらいしか想像できない。
「流石です、マックス様!」
ミランダ嬢が、また目をキラキラさせてお願いポーズをしてくる。それをされると、言うことを聞かないとならない義務感が湧き上がってくる。これも彼女の人徳なのか。
「いいだろう。俺を存分に使ってくれ」
「あ、ありがとうございます! 初戦は二日後です! まだギルドメンバーはわたくしとマックス様しかいませんが、ふたりで頑張りましょう!」
二日後だと!?、という疑問は、目を潤ませて喜ぶミランダ嬢の前で、口にすることはできなかった。