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【1】 監獄へのスカウト

 今日も俺は生きている。

 投獄され、冷たい鉄格子の中で。

 格子の向こうの松明だけが照らしてくれるこの狂った時間の中で。


「九百八十五ォッ!」


 日課の腕立て千回まであと少し。床についた手に汗が落ちる。

 殺人罪で投獄されて早半年。試合中の事故であることが明らかになるのを待ち、肉体維持の鍛錬は欠かさない。

 上腕三頭筋が歓喜に震え、前鋸筋が軋んで吠える。

 肉体から湧き上がる熱い波に頬が緩んだ。


 今日も俺は生きている。

 栄光のギルドボールに戻れることを信じ、俺は耐える。


 五人の仲間(ギルド)と歓喜に沸くスタジアム。

 鍛え上げた肉体と偉大なる鉄鎚で、仲間とともに直径一メートルの鋼球を敵と奪い合いながら攻め込み、敵陣に聳えたつフラッグをへし折る。

 永すぎる平和に飽きたエミュレス帝国の民のための、筋肉の娯楽。

 名のある諸貴族が競ってギルドを持ち、その人気を己が名誉とする、ステータスとしての娯楽。

 選手(ハンマニスト)として名をあげれば、地位も富も得ることは夢ではない。男子たる者、一度は憧れる。

 それが、ギルドボール。


 コツン。


 硬質な足音が耳に入った。規則正しい、几帳面そうな靴の音だ。


「飯には早いが……」


 檻を照らす炎が揺らいだ。だが俺は、それを無視して腕を伸ばす。

 日課は必ず完遂させる。それでこそ鍛錬だ。


「九百九十九ゥ、千ンッッ!」

「……見事なものですね」


 わざわざ待っていたのか、終えたと同時に声をかけてきた。足音同様、几帳面な奴だ。

 鉄格子に向かって胡坐をかき深く息を吐く。全身から汗が噴き出て湯気が立った。腕で額をぬぐい顔をあげれば、ローブ姿でフードを頭からかぶった人物が目に入る。枯れた声から察するに、それなりの年齢の男だろう。


「いかなる時も腕立てとスクワットを欠かさないと聞いておりましたが、なるほど、素晴らしい肉体です」

 

 フードの奥から品定めの視線を感じ、身体が粟立つ。俺にそんな趣味はない。


「くれてやるケツはないぞ」

「ふふ、さすがはギルドボールの雄、マックス〝鉄鎚王(ハンマーキング)〟殿」

「薄汚い我が家へようこそ、と歓迎したいところだが……」


 何しにきた、とフードの奥の顔を睨みつける。


「マックス殿、貴方をスカウト(解放)しに参りました」


 俺の威嚇なぞ歯牙にもかけず、男は悠々と頭を下げた。





 檻から出された俺は手錠と目隠しをされ、馬車で揺られ続けた。石に乗り上げて跳ねまくる馬車がどこに向かっているかなど、知る由もないが、鼻をつくのは青臭い空気。

 監獄は帝都の外れにあったはずだ。街に向っているのではないらしい。

 スカウトとか言っていたこの男の目的もわからない。殴り倒して逃げることはできるだろうが、その後を考えれば容易には動けない。

 牢から出すというのは口実で、ひっそりと処刑をたくらんでいるのかもしれない。顔を隠しているのが、俺にそう告げているように思えてならない。

 どうなってるんだ、まったく。


「どこに、連れていくつもりだ」


 向かいに座っている男に声をかけた。


「断頭台でないのは確かです」

「断頭台だと? ギルドボールの試合での事故で投獄はされたが、俺は死刑じゃなかったはずだ」

「えぇ、昨日までは」

「昨日まで……だと!? どういうことだ!」

「マックス、二十五歳男性。エンゲル侯爵所有ギルド〝デンジャラスハンマーズ〟所属()()()半年前、ギルドボールの試合中に相手を殺害した罪で収監。間違いは御座いますか?」


 男の声が凄みを増した。


「言っておくが、あれは仕組まれた()()だ」

「ですが、相手が死亡したのは確かです」

「ギルドボールに危険は付き物だ。鍛え方が甘い奴はただじゃすまない」

「確かに。一メートルの鋼球の直撃を受けては、怪我では済みますまい。勇敢にも身を挺してフラッグを守ろうとした相手は、爆散したようですな」


 冷酷ともいえる男の言葉に、その時の光景が頭によぎる。

 あれは、ハムレス公爵のギルド〝キリング・ピエロ〟との試合だった。敵陣深く攻め込んだ俺が放った会心の一撃で、鋼球が相手のフラッグをなぎ倒すはずだった。

 俺の鍛え抜かれた肉体から放たれる一撃を、阻止できる奴はいなかった。だがそいつは、仲間に背中を蹴られ、フラッグを守るかのように押し出された。

 そして、死んだ。


「不幸だとは思うが、あれは事故だった」

「ハムレス公爵はそう受け取っておりません。勇敢にも旗を守ろうとした選手を殺した、と。マックス殿が収監されてから、裁判のやり直しを要求しておりました。それが叶い、貴方は裁判にかけられようとしております」

「ギルドボールはお偉方のステータスではあるが、芸術やら宝石やらもそうだろう。ギルドボールはその一部でしかないはずだ。何故そこまで俺にこだわる?」

「彼がこだわっているのは貴方ではなく、貴方の雇い主であったエンゲル侯爵です。鉄鎚王(ハンマーキング)の二つ名を持つ貴方を死に追い込むことで、侯爵の顔に泥を塗りたいのでしょう」

「ふん、偉い人の考えることは理解ができないな」


 エンゲル侯爵は俺たちの活躍を素直に喜んでいるようだった。賭け事に伴う八百長や事業を巡っての対立とか、裏では色々あるんだろうが、少なくともあのハム何とか公爵は俺たちの命にはこれっぽっちの価値も見出していないんだろう。

 ハンマーキングとおだてられてもしょせん俺は平民だ。使い捨ての駒でしかない。


「ふむ、そろそろですかな」


 馬車の騒音が小さくなっていき、身体が前に引っ張られる。ゴトリと音をたて、馬車が止まった。


「目隠しを取りましょう。あぁ、すぐに目を開けない方がよろしいかと」


 シュルと擦れた音がし、緩く閉じた瞼のその向こうが明るくなる。


 ガッ!


 突然轟いた、鉄同士を叩き付ける懐かしい爆音に耳を奪われた。これはまさしく鋼球に鉄鎚を叩きつける音。

 まさか!

 俺は我慢できず、目を開いた。そして音がする方の馬車の窓に顔を寄せた。


「いけぇぇ!」


 穏やかな草原の中、ひとりの女性が雄叫びをあげ、身の丈ほどの長さの鉄鎚を振りかざしていた。鮮やかな青い半袖と足の付け根まで剥き出しの衣装が草に緑に負けない存在感を出している。

 腰まであろうかという金髪を振り乱し、伸ばした腕で鉄鎚の遠心力をフルに利用し、ギルドボールに使う鋼球に、今まさに打撃を加えるところだった。

 右足を軸に腰を捻り身体を回転させ、腰だめに構えた鉄鎚に捩じりで蓄えた力を伝える、理想的なフォームだ。

 太ももまで露わにされた足は、しなやかさを保ちつつ鍛え抜かれた筋肉を見せつけている。

 

 ガッ!!


 彼女が放った鋼球は地を這うように飛び、目標と思われる大岩に吸い込まれていく。衝突から数瞬遅れた轟音で馬車が揺れた。

 さりげなく髪をかきあげる彼女は自信に満ちた笑みを浮かべ、俺の目が離せなくなってしまった。


「美しい……」


 思わず漏れた声にフードの男が笑う気配がしたが、そんなことはどうでもいい。あの鍛えられた肉体の素晴らしさの前には、男の嘲りなど無に等しい。

 体の造りの違いから、ギルドボールのメンバーには男しかいない。女性は子を産むという摂理の中にあり、筋肉の発育も抑えられているからだ。


 だがあの女性は、まだあどけなさも残る横顔ながら、引き締まった肉体を、これでもかと俺に見せつけてくる。

 積み重なり、膨れ上がった筋肉はただのだ。極限まで鍛えし筋肉は引き締まり細くなる。

 しかしてしなやかさは失わない。袖無の服からのぞく二の腕の盛り上がりもささやかなもので、女性らしさを失ってはいない。


 美と筋肉。

 絶品ともいえる素体。それが俺の前にいる。

 嫋やかな曲線を保ちながら軽く笑みを浮かべるその姿は、まさに美の神ライルレーンそのものだ。武骨な俺では、邪神ンダルグがせいぜいだ。


 見惚れた。

 女性としても、その神々しいまでの肉体美にも。

 

「あの方が新興貴族であらせられ、貴殿の新しい雇い主となる、ミランダ様です」


 フードの男の声が、俺の耳にやけに大きく聞こえた。

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