氷霧
街が凍った。
比喩でも何でもなく文字通りの意味で、だ。
先ほどまで喧騒轟々であった商業都市リッコはまるで時が止まったかのように静かであった。
一瞬の静寂の後、人々は皆揃ってその場から駆け出した。
騒がしくも楽しげな喧騒が、悲鳴と怒号に変わる。人々が逃げる理由。それは人類に仇なす天敵が現れたからだ。
その天敵の名は…
「魔王軍だぁぁぁ!」
「イヤァァァァ!」
「助けてくれぇ!!」
「にげ、にげろぉ!!」
「ま、まて私の商品がっ」
「息子! わたしの息子はどこ!?」
「待て押すな! うわぁ!」
「どけぇ!」
誰もがその場から逃げようと人を押しのけ、押しのけられながらも駆け出す。一目散にその場から逃げ出そうと。
俺はそんな人々とは対照的に立ちながら、この事態を引き起こした者を睨んでいた。
これ程の大規模な氷の魔法を扱える者。
あれが誰だなんて嫌でもわかる。
「八戦将スウェイ・カ・センコ! 何故ここに……!?」
「し、知っているのですかアヤメさんっ?」
「あぁ、ちょっとね! 見たら分かると思うけどあいつは氷を操る! 俺の所にいた魔法使いの職業を持つ仲間は、有利な炎だったのに何一つあの氷に阻まれて攻撃は届かなかった!」
氷という使い手が中々いない魔法を扱う者。人の職業に例えるなら『魔法使い』でも更に上、称号だと『大魔法使い』は確実の相手。
それが今この街にいる。
何故ここにとは思うが、答えは簡単だ。
目的は明らかに侵攻だ。でなければ辻褄が合わない。
「どうするッ……!」
どうする。
どうする!?
相手は八戦将、魔王軍が誇る幹部の一人だ。その力を誰よりも俺はよく分かっている。『爆風』ですら聖剣の力と仲間の力があって初めて討伐出来たのだ。
聖剣はない。
技能が使えない。
仲間もいない。
そんな相手に俺が勝てるのか?
「いや、迷うことはない。人に危害を加えると言うのなら俺は一人でも多くの人を救うだけだッ!」
その為に『救世主』を目指したんだ!
此処で逃げ出したらいつ戦うんだ!
目の前の人を救えなくて何を救うんだ!
決意を胸に向かおうとする俺に新たな悲鳴が飛び交う。
「うわぁぁぁ! 魔物だぁぁ!!」
スウェイに呼応するように空から現れた魔族と魔物。彼らは人々が逃げ惑う中、凍っていない建物を破壊し始めた。
「いけない!」
すぐさま行こうとするも今人々は無秩序に逃げ惑っている。俺なら壁や屋根を利用して突破出来る。だけど此処にはアイリスちゃんがいる。アイリスちゃんを置いていくのは危険過ぎる。
「アイリスちゃん失礼するよ」
「えっ? わわわっ」
<カゥ!?>
アイリスちゃんをお姫様抱っこして、ジャママもアイリスちゃんのお腹の上に乗せる。露店が張ったテントで跳躍しながら屋根の上に登ると、周囲に魔物がいない事を確認して、彼女を下ろす。
「直ぐに戻る。少し待っていてくれ」
「えっ、あっ、もうちょっと抱えてくれても……」
アイリスちゃんのぼやきは聴こえず、俺はすぐさま人を襲おうとしていた魔族の下へ走り出す。
魔族は兵士を圧倒していた。剣を持った兵士を痛めつけ、勝ち誇っている。
「ぐっ、つ、強い…」
「ゲヒャヒャヒャ! 弱い人間は惨め、憐れだなぁ。恐れ慄け! 俺は魔族のカマーー」
魔族が何かを喋るよりも早く、俺は背後から剣を抜いて首を切断する。死んだことの分からない魔物の頭はキョトンとしたまま地面に落下した。俺は念の為壁を蹴って跳躍し、残った身体の心臓も破壊する。
魔族も魔物も、種類によってはとんでもないほどの生命力を発揮する。それを防ぐ為の措置だ。
首も心臓も失った魔族は力なく倒れた。
魔族を倒して着地すると対峙していた兵士がポカンとした顔で此方を見ていた。
「彼らを安全な所へ」
「……あ、あぁ、感謝する!」
兵士は自らが苦戦した相手が速攻で倒された事に放心していたが、直ぐに自らの役割を思い出して市民の避難を開始させた。
その際に俺は兵士の一人を捕まえて尋ねる。
「すまない、今の状況はどうなっている?」
「どうもこうも大混乱だ! 魔物と魔族は冒険者と我々兵士が今対処している! しかし目撃情報はあるが数が掴めず、その分殆どの戦力が分散してしまって余裕がない。例のこの街を凍らせた相手には精鋭部隊が向かっていったというが……状況が分からない!」
「そうか、わかった」
礼を言って、すぐさま俺は屋根の上に跳ぶ。見渡す限り付近には魔物はいない。
ならこの辺りは大丈夫だろう。
俺はもう一度アイリスちゃんのいる位置に戻って来た。
「アヤメさん!」
「アイリスちゃん、今すぐこの場を離れるんだ。今なら周りにいた魔族はこいつらしかいなかったから危険が少ないだろう。だけど混乱が激しい。人に巻き込まれないように注意していくんだ」
「アヤメさんはどうするんですか!?」
「俺は……奴らと戦う。そうすれば少しでも犠牲になる人々が減るだろう」
技能のない俺では一度に広範囲の魔法も使えないから一体一体地道に倒す事になるだろう。だが、それでも倒せば被害に遭う人が減るんだ。
ならしない手はない。
ぐっと手を握る。握っている剣の感触がはっきりとわかる。
あの時の事を思い出す。
魔族に襲われ、瓦礫の山と化した街並み。大切な人を失い泣き崩れる人々。絶望が空気を支配していた。
そんな悲劇を繰り返させる訳にはいかない。
「危険です! だってアヤメさんは"絶技"があるとは言え技能はないんですよ!? 魔族は、どれもこれも強力だと聞きます。先程みたいにうまくいくとは思えません!」
「危険は承知の上だ。それに同じく兵士達も人を守る為に魔物と戦っている。危険なのは彼らも俺も変わらない」
「だったらわたしも!」
「ダメだ。…正直アイリスちゃんを守りながら戦えるか自信がない。だから安全な所にいて欲しい。そうだな…ダルティス工房の近くが良いと思う。今門から外に出ようとすると人混みに押しつぶされそうだ。あそこは街の中では、重要区画としての壁がある所だからね。防御力も高い」
「でも…アヤメさんに何かあればわたし…」
ジワリと大きな瞳に涙を浮かべる。
分かっている。
彼女は俺の事が心配なんだってことを。
分かっている。
これは俺のわがままなんだってことを。
「安心しなよ。これでも俺は腕には自信があるんだ。それにあんな八戦将のうち三人とも戦って生き延びたんだ。なら今回も生き残る。絶対にさ」
それが気休めに過ぎない思いながらも、俺は態とらしく胸を張った。
生き残る保証なんてない。
勝てる確証もない。
だけど俺は向かうんだ。
何故なら俺は救世主だから。
そうありたいと、あの日この娘の前で、俺自身が誓ったのだから。
「ぐすっ……きっと何を言っても貴方は止まらないのですね。わかっています、でも心配なんです。あの時は間に合いましたけど、今度は間に合わないかもしれない。そう考えると胸の奥がぎゅーと、ぎゅ〜って痛くなるんです」
「アイリスちゃん…」
「だから約束してください」
くっとアイリスちゃんが顔を上げる。
涙を堪えつつも、懸命に笑おうとしていた。
彼女は小指を立てる。
「ゆびきりです。お互いが約束する時に誓う儀式なんですよ。知ってますか? エルフの約束を破ったら、わたしが死ぬまで祟りますよ」
「それはまた、物騒だね」
「はい、物騒です。だから、わたしに貴方を怨ませないでください。わたしに、貴方を嫌わせないでください。どうか、生きて帰ってきてください。……約束ですよ」
俺は頷き、彼女の小指と指を合わせた。
ーーゆびきりげんまん、うそついたら針千本の〜ます。ゆびきった
詠うような、そんな口調で俺はアイリスちゃんと約束した。
必ず生きて帰ると。
「わたしは今からアヤメさんに言われた通り"ダルティス工房"に向かいます。何かあったらこれで連絡してください。例の猫みたいな魔族から奪った通信機なら会話出来るのです」
「あぁ。アイリスちゃんも何かあったら連絡してくれ」
「はい。えっと…お気をつけて」
「うん」
俺は頷いた後、一緒にいるジャママに屈んで視線を合わせる。
「ジャママ、君が頼りだ。アイリスちゃんに何かあったら助けてやって欲しい」
<カゥ…。………ガゥッ!>
「良い子だ」
勇ましく吠えるジャママに俺は笑みを浮かべた。
これでアイリスちゃんは大丈夫だろう。ジャママなら魔物がいる位置を避けて、工房まで着くことが出来るはずだ。
「アヤメさん! 信じています! だから、負けないでください!」
「あぁ!」
アイリスちゃんの声援を背に受けながら、俺は戦場へと飛び込んでいった。
<ゴバボボボォォォォ>
気持ちの悪い魚のような魔物が周囲の建物を破壊しながら人々を追いかけ回す。魚のような見た目とは裏腹に四足歩行で、硬い鱗を持っているのか建物を破壊しながらもビクともしていなかった。
魔族と違い理性を感じさせない瞳。
魔獣にはない、人を害する。その目的のみで行動している。
魔物は、魔王が創りし人類を滅ぼす尖兵だ。
魔族と違い、魔物には瘴気と呼ばれるこの世を汚染する物質を放つ。奴らが出した瘴気はいずれこの土地を汚染し、生命の気配のない土地へと変貌させるだろう。
こうしてジワジワと人類の領域を侵していく。
普通であれば怖い。心が折れ、身がすくむだろう。
だが俺には一切そんな感情は浮かばなかった。あるのは冷静な怒り。
罪のない人々に対して危害を加えようとする魔物への純粋な怒りだった。
恐怖なんてなかった。
聖剣がないだとか、技能がないだなんてもうどうでも良い。
だって望んだ場所にいるのだ。
自らそこを身を投じたのだ。
ならば何を恐れる必要がある! 何故臆するだろうか!
「"緋華"」
<ゴバボボボォォッ!!?>
俺は上空から魔物の頭目掛けて突き穿つ。
だが、魔物の硬い鱗のせいか上空から落下を加えて尚、剣は半分程しか入らなかった。
けど、半分とはいえ入ったのだ。
<ゴボボボッ!!>
「ぐっ!」
魔物が暴れる。左右に大きく揺れて俺を吹き飛ばそうとした。
俺は剣の柄をきっちり握り振り落とされないように踏ん張った。
硬い鱗を持つ? 確かにそうだろう。
だが、内部までもそうだとは言っていない。
「暴れるのもそこまでだ。ーー"月凛花"」
ぐるん、と。
剣を持ち直し、横薙ぎに一閃する。
魔物は、肉を裂き、骨を断たれた事で生命活動を停止した。
『剣士』の上位技能、【皇一閃】。
その威力は空気を裂き、鉄を斬り、断絶させる。この技能を防ぐ事が出来る人間も、魔族もそんな多くない。一説には空間をも刈り取る事が出来る技能とも言われる。
それを模倣した俺の"絶技"。
勿論、【皇一閃】の威力と比べたら差があるのは百も承知。
硬い鱗の上からなら弾かれただろうが、"緋華"で剣が入ったのならば、肉を斬り裂く事が出来る。
ズゥンと倒れ伏した魔物から離れて降り立つ。魔物はまだまだいる。
<ブィィィンゴォォン!>
<ギュゴゴォォン>
「そうだ、俺に来いッ! 俺を見ろッ!」
魔物達は俺を脅威と見なしたのか、殺到する。
それで良い。
そうすれば奴等から市民達が逃げる時間を稼ぐ事が出来る。
だからこそ、こんな派手に現れたんだ。
剣を構え、俺は襲って来る魔物を一刀両断する。
「来いッ! もう誰にも被害は出させない!」
誓いを胸に、俺は戦場を駆け巡る。
スキル【皇一閃】
所謂、物凄い剣の横薙ぎ。因みに扱えたのはグラディウス。彼はこの技で片っ端から魔物を斬り刻みました。
"月凛花"は硬い相手だと突破できませんが、【皇一閃】はそんなの関係ねぇと、今回の硬い鱗の魔物も真っ二つに出来ます。強いな、グラディウス。




