番外:アリスが見た光景。退魔士の頂
「……学生が此処にいてはいけない。ご友人が心配していたぞ。すぐに退くんだ」
今日初めて、『北斗』に所属する退魔士の男……天朧に声を掛けられた。落ち着いた調子で私を諭すその低い声には、現場での自分がどうするべきかを促すことに強い説得力がある。
「は、はい」彼の言うことに従う。本当に黒い衣装と天狗の仮面をしていてどんな人柄なのか窺えない。
訓練場の騒ぎに同級生のレイチェルとロベルタと一緒に駆けつけたのだが、予想をあまりに上回った強大な荒魂の暴走で二人の精霊獣は傷付いた。
私は中位クラスの虎土がいたので、教師陣達との連携に加われた──生徒は避難しろと叱咤を受けたが戦力としての自負があった私は退かなかった──が、人質を取って火を吐き散らす火蜥蜴に攻めあぐねていたところで、彼はやってきた。
そしてその一部始終を私は目の当たりにする。
黒い羽衣を翻し、女の子の姿をした精霊獣と共にその場を制圧する有り様は、思わず危険を忘れる程に鮮烈に映った。
退魔士は己の精霊獣を前衛に置き、援護を主体とした立ち回りを行うのがセオリーだ。それはまだ学生の授業でも習う大前提。
しかし天朧はその通説を丸っきり無視して躊躇いなく接近した。あんな恐ろしい怪物の咆哮を前にしても全く動じなかった。
狼少女の猛攻と連携し、あろうことか人の身で荒魂を彼は圧倒する。なんと、素手で火蜥蜴を打ち倒し、瞬く間に人質を引き離して退けた。
これが頂点。私が目指した遥か先に立つ者。
ふと、こんな状況で頭によぎったのは同じ『北斗』にいながら実戦に出れていない実の兄の顔。
あの小狐はライアンの精霊獣に圧勝していたのを目の当たりにしたが、それとは次元が違い過ぎる。
彼もこんな退魔士を目指していた筈なのに、その差は歴然としていた。
いや、この人と兄を比べるのも失礼だと思い直す。いつまで経ってもアクションを起こさない。どうしてそんなに勝手なのだろうか。
ともかく天朧という指標を間近で目の当たりに出来たのはとても幸運なことだと、不謹慎ながらに考えた。
戦闘は場外に移行してしまい、私はその先の出来事を見ることは出来なかったが、被害を広げることなく調伏してしまったそうだ。
本物の実戦の世界を垣間見た後、学校は休校となってレイチェル達と合流する。二人の精霊獣も彼女達自身も無事で何よりだった。天金も現場に来ていて治療を施してくれたと言う。
私達はすぐには帰宅せず、商店街のカフェに入って席に着いた。
栗毛のレイチェルは、今回の反省を口にした。その両腕の中で治癒によって怪我ひとつない鼬が寝息を立てている。
「あたしもまだまだなんだねぇ……天朧に叱られちまったよ」
「あの人も怒るんだ。何て?」
「無謀と勇敢は違う。自分の力量を省みろ、ってさ」
「……それは、耳が痛いわね」
正直言って荒魂が上位クラスとなると、私達はまだまだ敵う相手ではない。実際に戦って良く分かった。
「少し驕っていたのかもしれない」
眼鏡少女ロベルタは、控えめながらに発言した。引っ込み思案ながら、時折鋭い指摘をする。
「街中に出た下位の荒魂を倒して、退魔士の活躍と変わらない気でいた。でも、本当の荒魂の調伏ってそんなに簡単なことじゃなかった。あれからしばらく経ったのに、まだ思い出す度に身体が勝手に震える」
カタカタと音が鳴っている。ティーカップの取っ手に掛けた指が小刻みにブレていた。あの火蜥蜴の鳴き声は、確かに私の脳裏にも焼き付いている。今夜は、眠れるだろうか。
「退魔士って、すごいよね。あんなのに立ち向かえるなんて。自信ないよ、私」
「ロベルタ……」
「逆に言うとさ」精霊獣を抱きながらレイチェルは強い口調で言う。立ち直りが早く、今回の件を次に活かそうとしている様子が窺える。
「アレを乗り越えて、初めて退魔士の世界に踏み入れられるってことじゃん。ねぇ、ロベルタだってなりたいんでしょ? あたしらさ、それぞれきっかけは違うだろうけど本気で目指してることには変わりないじゃん。今回の失敗で、簡単に挫けちゃうのかい?」
「でも、私はこの子をまた危険な目に遭わせたくない……」
テーブルの上で大人しくしている梟を腕で包み、消え入りそうな声で言う。
「木梟が傷付いたのを見て、改めて気付いたの。荒魂との闘いは想像以上に危険が伴うんだって。もしこの子が死んじゃったらと思うと、私……!」
「無理強いはしないわロベルタ。退魔士を諦めるというのも、れっきとした選択肢だと思う」
「おいアリスぅ、あたしらの中で一番のアンタまで及び腰かよー」
「でも、この街では、いつ何処で、危険なことが起きるか、分からない。ロベルタも知っているでしょう?」
区切りをつけて、私は強調する。最近この都市では荒魂が頻繁に現れている。
遂に今日は学校にまで被害が及んでいた。もう、対岸の火事などではない。
「別に誰かを守る為でなくても良い。けれど、もしかしたら今後は関わろうとしなくてもいつか自分の身に……いいえ、自分の大切な人にまで危険が振り掛かるかもしれないわ。貴女は何もせず、それに抗う術を持っていれば良かったと後悔する時が来ないことを祈るだけ? ロベルタの木梟は、他の人の精霊獣よりも強い。だからもっと強くなれば、今以上に強力な荒魂から守れるようになるんじゃないの」
「……」
「そういう才能がある人は、この都市で暮らすならそういう術を身に着けるべきよ。たとえ何を目指そうとも」
極論でズルい言い方だと思う。彼女の梟が傷付かない為にもそうした方が良いと促しているのだから。
眼鏡の奥で瞳が葛藤に揺れている。恐れと理性がせめぎ合っていた。悩む時間が要りそうだ。
「二人がこれからどうしようと、あたしは諦めないね。今後も荒魂を調伏して、鎌居とあたし自身を強くしていく。天朧の見る目を変えさせてやるんだ。……そして、あの人にも」
レイチェルには過去の出来事で見返したい人がいるらしく、多分学校の中で一番退魔士になることを視野に入れている人物だ。
「……ほんとは、分かってる。私だって『北斗』に入りたいんだから」
ロベルタだって詳しくは知らないけれど、退魔士組織への進路を望んでいる。いざという時の意志の強さを知っている私から見ると、きっと彼女は此処では諦めない。
そういう意味では、私は不純な動機だ。
退魔士を目指して勝手に家を出た兄を越え、その過ちを認めさせることを思い立ったのがきっかけだ。
それとシェークリア家では令嬢というだけで大して役に立てなかったコンプレックスを相まって、荒魂という脅威と戦い平和の貢献をするその職業は輝いて見えたのだ。
私は中位の精霊獣虎土を呼び出し、才能があることを知ってその目標は現実味を帯び始める。
張り合う必要もないのだということを理解するまでは、そう思っていた。
「まぁ、流石に天朧のレベルまでは無理だろうけど。あの人の相棒……天金さんは凄かったね。私達の精霊獣をあんなに早く治療しちゃうんだもの」
「そういやあの男、随分駆け付けるの早かったよな。学校の中で起きたんだから要請から対応するのに時間食うだろ普通? 余程近くにいたんだろうな」
「そうね。とても迅速な対応だった。あれがプロなのかしら」
不意に挙がった話題に私の思考の時間も途切れる。
確かに、少し変だ。いくら何でも学校外から駆け付けるにしては早過ぎる。
「まぁS級退魔士が来てくれたのは運が良かったなぁ。あたしらの精霊獣もこうして綺麗さっぱり怪我を治してくれたわけだし」
「いいえ、もしかしたらあの人がいたのは……学校に近いところじゃない」
そう口を開くと、二人の意識はこちらに集った。
「私達が校内アナウンスを聞いて、大して時間が経ってない内に天朧はやって来た」
「何言ってんだよアリス。あの人テレビで街中を軽々と飛び回ってるじゃん。そうやって普通の退魔士より早く来れるんだよ」
「ねぇレイチェル、彼が貴女達のところへ駆け寄った時、何処から来たの」
「そりゃ、あたしら訓練場の出入り口にいたから渡り通路で繋がった校舎の……」
言い掛けて、彼女は言葉を止めた。
そう、聞く限りでは天朧は学校内を通って現場に来ていた。もし校外から急行するとすれば、そこから出て来る必要はない。
「考え過ぎじゃない?」
少し控えめにロベルタが口を挟む。
「外部の人なんだから学校の構図なんて分からないし、もしかしたら一度教員か誰かに詳しい場所を聞く為に立ち寄ったのかもしれないと思うんだけど」
それは考えにくい。火蜥蜴の所業によって訓練場には火の手があがり、煙が空に立ち昇っていた。たとえ地理に詳しくなくても、十分目印になった筈だ。
「いや、仮にアリスの推理が正しかったとしても、まっさかー」
冗談に受け取った栗毛の少女がケラケラ笑う。全く疑う気にもなっていない。
「そうよアリス。天朧ほどの有名人が校内の人間の可能性だなんてそんなことある訳ないでしょう」
「でもロベルタ、全く無いと言い切れる? 彼は素顔も素性もまるで分からない。となれば理屈上はどんな立場にだって成り済ますことが出来るじゃない。教師や私達と同じ……」
「いやいやいや」左右に手を振るレイチェル。
「流石にドラマの見過ぎよ……」ロベルタにまでハッキリと言われた。
この学校内の誰かが天朧ではないのか。そんな話は二人にあり得ないと一蹴される。
やがてそんな話題も遠のいて行き、お開きとなった。
けれども私の中でその考えは片隅に残り続ける。もし天朧が学園内にいるのだとしたら、果たして一体誰なのだろうか。
きっと男性の中で精霊獣を見せていない人物だ。狼少女と天金を引き連れているとすれば、目立つ筈だから隠している。
そんな思考展開の中で、ふと調べるのに最良の手段があることに気付く。
同じ『北斗』の人間に聞けばいい。そうすれば潜入事情にもいくらか精通している筈だと。
もし、兄が知っていたのなら問い詰めることでその秘密に近づけるかもしれない。
……ナンセンスね。
すぐにその考えは撤回した。C級の彼にまでそんな重要な情報が出回っているとは思えない。
そもそも教えを乞おうと考えるのもどうかしている。仮にアルフ・オーランが快諾するにしたって、私自身が話して貰うことを許せない。
レイチェルとロベルタに真っ向から否定されたって良い。確実に違うと断定できるまで、私は確かめてみせる。
あの姿を一度目にしたからには、ハッキリとした目標として彼を追う。そう胸に誓った。
次の章から兄と妹の関係に大きな変化が……?




