神視が見せたもの。狐巫女の半生
これが、死ぬということなのだろうか。
あらゆる感覚が消え失せていくのを理解しながら、俺は考えていた。虚ろに目を開け、口からは血を垂らしたままという醜態をこの世に残すことになる。
最初は熱くて、だんだん寒くなって、今はもう何も感じない。
真っ暗で、音は入ってこない。苦しみからは解放された。
でも、後悔は尽きない。
鈴狐との約束を守れなかった。死なないって、言ったのに。もっと上手くやれたかもしれなかったのに。
俺はまた彼女を泣かせてしまった。契約主失格だ。このザマだ。
真噛と白鷺を置いてこんなにも早く先立ってしまった。酷く悲しませてしまった。
……ベル先輩を、助けられなかった。彼女は今も苦しんでいるのに、俺は……
そうして何も出来ずにいると、光が差し込んだ。天国でも本当にあったのだろうかと、見える物に意識を傾ける、
景色があった。暖かい昼下がり、何処か古い造りの庭園。
ひさしのある縁にはカーテンが揺れ、その奥に大きな天蓋付きのベッドがあった。
そこに誰かを寝かせ、見知った人物が付き添っている。
皺くちゃな手を握った狐巫女が、優しく声を掛けていた。
──心配しなくても大丈夫だよぉ。後のことは皆きちんとやってくれる。私も必要になれば手助けするからさ。
──助かるわ。……鈴狐、ごめんなさい。貴女には苦労ばかり掛けて。
──そんなことないって。私は他ならぬ貴女が契約した精霊獣なんだよ? 力になりたいの。私には遠慮せず何でも言って良いんだからね?
鈴狐は白髪の老婆と話をしていた。
それが誰なのかは、すぐに察しが付く。
──そう。じゃあ、ずっと考えていたのよ、鈴狐。あの日からずっと……
──アル……
──また貴族に戻って、シェークリア家に嫁いで、孫にも恵まれて、私の生涯は貴女と出会う前を考えればとても恵まれた。振り返れば、何一つ不自由のない余生だったわ。
──うん。
──でもね、でも……鈴狐……
やり取りを聞いていると、老婆の声は震え始める。悲嘆が聞こえた。
──……あの人の顔が……今でも、頭に焼き付くの……
──ガベルのこと?
頷く彼女。すすり泣く声で密かに打ち明ける。
それは、英雄と評され続けていた者の本音であり、弱音であった。
──あの人が、この世にいないのは、私のせい……私のせい、なのに……あの人……私を、あ、愛してる、って……
──違う。違うよ、貴女のせいじゃない。ガベルが望んだことなんだから、もう自分を赦そ? アルはこんなに頑張ってきたんだよ? 赦してくれるよ……
──……でも、この手は……あの人の血で染まった……忘れられない、忘れられないのよぉ。
老いても尚、その悲劇は心に刻まれていること、後悔の念を告白する。
──お願い。お願いだからアル、そんな悲しいこと言わないで。嬉しいこと、楽しいこと、幸せに思えたことだってあったでしょ?
──そう、かもしれない……だけど、頭の片隅では、それがちらついて……
──……どうしたらいい? 私に出来ることは何でもやる。アルが笑ってくれるように。
──私はもう、長くはないわ。きっとこれは、最後までなくならない。だから、もういいのよ。
──そんな、アルぅ……
──だけどね。こうも考えたわ。何十年、何百年後にまた、私は生まれてくるのかな、って。だから思うの。もしも、私がこの世界に生まれ変わるのなら、今度は後悔の無い人生を歩みたい。鈴狐とまた一緒で、こんな苦しい想いを、抱えずにやり直せたら……そればかり願って仕方がない。
──……
──また逢えたら、私と契約して友達になってくれる?
──……うん。必ず、必ず見つける……。そしたら、今度こそ契約主のアルがこんな風に泣かないように……幸せな一生を送れるように頑張るから。だからね、アル、その時は絶対生まれ変わってよね……約束だよ。
──ええ、貴女と私の約束……。
ベッドの上で抱き締め合う二人の光景が、歪み始めた。
視界が戻ったかと思えば、見慣れた自然と家屋の景色が映る。鈴狐の精霊結界の中にある境内。縁側に二人の背中があった。
片や狐巫女と、もう一人は小さな羽を生やした天使の姿。
──調子は如何ですか。大分ご無沙汰していましたね。
──うん、ボチボチ! まぁ此処にずっといたから特に大きな出来事はないかな。ハクロはー?
──今は人間界で暮らしています。会社を立ち上げているんですよ?
──カイシャって、あの人が集まって働くやつ?
──ええ、そうなんです。あちらでも精霊獣や荒魂のトラブルが絶えなくて、お力になれたらと思いまして。……シャリオの、願いにも繋がりますから。
──立派だね、ハクロは。やるべきことをどんどん見つけてる。
──大したことありませんよ。それより、今日はお願いがあって来ました。
お願い? と狐巫女はパチクリさせる。
──貴女のお力を貸してはいただけませんか? 他ならぬ人間界をもっと平和にして行く為に。
──私の、力を?
白鷺は頷いた。
──人間界と精霊界は、近からず遠い。平和を保ち続けるというのはとても大変なことです。リンコがいてくれたら、もっと色んな人を助けられるだろうと思いました。リンコがよろしければですが、そういうことに興味があれば、と。
長らく自身の領域で引き籠っていた彼女に対して、見かねた友人からの申し出だった。
小さく息をついて、考えた末鈴狐は答える。
──喜んで手伝いたいけど、ごめん。今は無理だよ。
──今は、ですか……?
──うん、待っているから。私を此処から呼び出してくれるのを。その時が来て、もしもその子がハクロの力になれるような子なら、必ず連れてくる。
──……でしたら、貴女の席は用意しておきます。いつでも待っていますよ。
かくして、狐巫女に天金の座を天使は授ける。
視界が一瞬歪んだ。新緑に溢れていた庭が、鮮やかな赤に色付く。
同じ縁側だが、並んで座る組み合わせが変わった。狐巫女の隣に襦袢姿の小鬼がいた。羅角さんだった。二人の距離はまだ、不必要にいがみ合わない近さだった。
──今日はどうしたの? ハクロと一緒に人間界にいるみたいじゃん。
──連絡を寄越しに来てやったんだよ。ヨトの奴のことだ。
──……あ。
──姿を消しちまって、花畑も枯れてた。あの様子だともう数十年は留守にしてる。
──……。
──元々、あそこはそんなに清浄な場所じゃねぇのに、無理して居座っていやがったもんだからな。恐らく……
──……そう。
密かに兎童女との交流を残していた彼は、定期的にこうして彼女の様子を報告しに来てくれた。
だが、羅角さんですらその所在が分からなくなってしまった。姿を消したことを知り、狐巫女は俯く。
──お前も、いつまでこうしているつもりだよ。
──どうかなぁ、一生かもしれないし、明日明後日には呼び出されるかも。
──真面目な質問と冗談ぐらい見極めろっつーの。
──あー、ラカクってば、心配してくれたのー?
あははは、と笑う能天気な様子に小鬼は息をついた。
──大丈夫。私はあの子と必ず会うって約束したんだから。しかも『神命』のお墨付きだよ?
──ウカが予言した、って話もオレからすりゃ眉唾物だけどな。ソイツが本当にアルファロランの生まれ変わりだって保証、何処にあるんだよ。
──んもう、意地悪。絶対分かるよー。運命ってやつだよ。
──……まぁ好きにしろ。忠告はしてやったからな。
──あ、待った。帰る前に、最近油揚げを自作して見たんだ。故郷で作っていたのを見様見真似で試したんだけどこれが我ながら力作でさぁ。せっかく遊びに来てくれたんだし食べてみてよぉ!
──あぁん? 別に構わねぇがホントに大丈夫かそれ。
また、景色が歪む。
夕空の下、庭を竹箒で落ち葉を掃く狐巫女。木枯らしの季節になっていた。
また一日が終わろうとしていた。彼女がそんな暮らしを続け、どれほどの年月が経ったのだろうか。
手を止め、息をつき、落ち葉掃きを再開した矢先のことだった。
庭先から突如として眩い後光が鈴狐を照らす。それは、何やら通り道のようになっていた。
するりと竹箒を落とし、目を奪われ茫然とした彼女は、すぐに一目散に駆け出した。
念願であった召喚の光に導かれ、小狐へと姿を変えた彼女は応じるべくして飛び込んでいく。
そこからは、身に覚えのある場面が羅列されていく。
暗くなった公園で、一人の少年が泣いていた。
居場所を失くした彼を自らの結界内に引き連れ、そこで共に暮らしていく一部始終が。
──私はさぁ、此処のこの時間の景色が一番好きなんだよ
やがて少年が成長し、生活を変えた人の世でも二人は共に居続けた。
ある日から、別の精霊獣と契約を共有する日が訪れる。他ならぬ少年の意思で助け出そうとした。
──お前を見殺しになんて出来ない。この先そのままだとどう転んだって悲しいだけだ。
それから遂に少年は自らの因縁とぶつかり合う時が来た。
再会した父親からの告白を受け、出会った当初と同じ挫折を味わう。
しかし、支えがあったことで少年は立ち直った。
──……母さん、家にはいられなくなったけど、俺、家族が出来たよ
妹との和解。白鷺との契約。それから数々の試練。皆、実際にあったことだ。
そういった回顧の泉に溢れた。止まらない。狐巫女が経た半生の記憶が、流れ込む。
そこには常に契約主の顔があった。他愛ない日常も、色んな出来事も、幸せに満ち溢れたものや、時には苦々しい物もひっくるめて。
そして一場面が大きく強調された。何気ない場面でありながら、後生大事にしている記憶。
夜更けの寝室。ふと目を覚ました鈴狐は、ベッドの上で小狐から人の姿に変え、少年の寝顔を覗き込む。
──……んん? 今、何時?
──あ、ごめん起こしちゃった。今は……二時!
──……ええ、それじゃ、まだ夜……
また寝息を立てて眠りについた彼を見て、んふふと愛おしそうに綻ぶ。
額にそっと口付けをして、寄り添うように囁いた。
──おやすみ。
ぼんやりとした視界と、水の中から聞こえるような誰かの声。
意識がおぼろげながら、覚醒した。此処は、何処だ?
「う、ぁ……うわァああああああああああああああああああああああああああッ!」
真噛の絶叫も、遠くから聞こえた。こんなに大声を出すところは初めてだ。
「ああああ……アルフが、アルフがぁ……いやァああああああああ……!」
白鷺の嘆きも、微かに聞こえた。こうして契約主を失うのは、二度目になってしまう。
「アルくん! アルくん! アルくゥゥンッ!」
そして、喉を枯らしても必死に名前を呼び続ける鈴狐の顔が目の前にある。
どうやら神視がまだ残っていた。虚ろに見ていた狐巫女の過去を、体験していた。
鈴狐達が、俺を呼ぶ。ノロマな思考が理解に追い付くと、己のすべきことが飛躍して警鐘を鳴らす。
動かないと。
動かないと。動かないと。このまま終わるな。
動け。今すぐ。
しかし何の為に? 決まっている。此処で死んだら三人はどうなる。
でもどうやって? どうだっていい。今すぐだ。
ああ、苦しい、辛い。知ったことか。死ぬ気で起き上がれ。
相反する想いとの闘い、停滞していた現状に逆らって、今一度再起動しようとしている。
徐々に頭が加速する。死力を尽くして、己の身体に働きかけた。
動け! アルフ・オーラン! その叫びは声に出ず、心が吠えた。




