決戦の風雲。取り出された面
雨はあがっていた。空には曇が残っている。
鬼の戦闘が繰り広げられて二時間。騒動が落ち着いたと思った矢先に、風雲急を告げている。
異変がまた起こっていた。
轟々と、厚雲に覆われた都市に不吉な音が響き渡る。雷鳴にしては鈍重で、飛行機にしては遠い。
何処からその音がきているのか、一体その正体が何であるのか、誰も知りようがない。
市民もそんな未知の現象に不安を抱き、また災いが襲い掛かるのではないかと怯えていた。
実際、その危惧する事態は本当に起ころうとしている。
「鬼の王シュテンは儂から奪った瘴気を用いて荒魂より高次の存在を産み出し、攻め入ろうとしておる。」
その異変の正体を羅角が不在となった校長室で、兎童女は語る。
いろんな話を夜兎から聞いた。
ベル先輩に呼び出され、悪漢達をあしらった直後、鬼達に二人共々棲み処へ引き込まれたこと。
それから羅角さんが乱入して戦闘があったこと。
すると戦争で倒した筈の咒天が彼の手によって羅角さんが迎撃されてしまったこと。彼女の契約主であった英雄オメガベルの肉体を得て生き長らえていたこと。
そして、ベル先輩を利用して恐ろしいことを企んでいるということ。
「推察するに目的は、混沌そのものであろうな」
「どういう意味?」
「儂らの棲む精霊界とこちらの人間界、行き来出来る者も限られ、中々大きな交流が出来ておらぬことは知っておろう。太極図の白と黒で想像するとよい。互いが点として混ざる程度の影響下で両世界は調和を保っておる」
『神命』の宇迦様からも、俺は似たような話を聞いた。
神霊獣と呼ばれる彼が精霊界を見守り、絶大な力を誇ることも良く知っている。
「じゃが、あやつは神霊獣と対なるモノを作ると言っておった。つまり、性質からして調和を乱す存在じゃ。そしてこれまで一度たりとも人間界の制圧後、その処遇について全く口にしておらんかったことをよくよく考えてみれば、導き出されることは明白じゃよ……」
「滅ぼすつもり、なんだね」
「恐らくは」俺の回答に彼女は頷く。殺し合い、過去には助けられ、不思議と縁のある兎童女とこんな風に話し合える日が来るとは。
由々しき事態だ。家屋の中でも聞こえる心音にも似たこの不吉な鼓動が予兆であるというのなら、破滅をもたらす災厄はもうすぐやってくる。
「今すぐそこへ向かって止められませんか」
「そうするにはもう遅い。時間を稼がれ、既に誕生してしもうた。今頃、奈落を発ってこちらに向かっておるじゃろう。少し前よりも鼓動が大きくなった」
「ベル、どうなった? 助け出せない?」
「ハッキリ言って儂にも分からぬ……無事であるかも、のう」
先輩のことは彼女であっても想像がつかないと。それを聞いて俺は硬く拳を握るしかなかった。
「しかし為すべきことは決まっておる。奴等は間違いなくこの地にやってくる。そこを迎え撃つ。この身に代えても、止めよう。それが唯一儂に出来ることじゃからな。覚悟も、出来ておるよ」
「ヨト、そんな悲しいこと……」
「リンコ、こればかりは譲れん。儂の巻いた種じゃ。責任をとらねば」
やり取りをしていると、ノックもせずに扉が開け開かれた。この場に物凄い剣幕で女性教師が入ってくる。剥ぎ取るように眼鏡を外し、教壇の向こうにいた兎童女に詰め寄る。
「オルタナ先生?」
「責任、ですって? よくもそんなこと言えますね……!」
「オルタナ、落ち着いて。ヨトはもう……」
「何故貴女がこの部屋を我が物顔で陣取っているのですか!? 此処はマスターの部屋、あの人がいた場所です!」
鈴狐の制止にも構わず、彼女は大きな声を出す。悲嘆が吐き出された後、残っていたのは怒りであった。
夜兎は突然の糾弾に目を見開いて息を止めた。身に覚えのない相手である以上戸惑うのは無理もない。
「この者は、一体」
「……ラカクの契約主になられた方です」
「そうか、あやつの……」
天使がそう端的に教えたことで兎童女は悟る。
自分が原因で小鬼が犠牲になった事実を。
「申し開きもない、儂はぬしの繋がりを奪い去った。その恨みは然るべきことじゃ。詫びが欲しければいくらでも詫びよう。跪こう。気が済むまでこの身を好きにして構わんよ」
「そんなもので許されるとでも……!」
「思わぬさ。儂自身、同じように怨恨に身をやつしておったからのう」
夜兎は思い知っている。今度は立場が被害者から加害者に変わった。
「しかし、オルタナとやら。今こうしている内にも危機は迫っておる。それが終わるまで、もうしばしその情動を抑えては貰えぬか?」
「都合の良いこと言わないで! 散々混乱を持ち出してきた張本人の癖に!」
彼女らしからぬほどヒステリックに吐き捨てた。
夜兎は聞き入れる姿勢で口を閉ざし、そのまま項垂れる。しかし、その態度が余計苛立たせるようだった。
「終わるまで、ですって? 抑えろ、ですって!? 笑わせないで頂戴! 貴女のせいでマスターは私の前からいなくなってしまった。私にとって、あの方の為にこれまで生きていたというのに、マスターを失ったこの先に待つものなんて何もない、生きている意味なんてない!」
「……」
「マスターのいない世界、私だけが生き延びた世界、そんなところで生き続けるなんて……私、私はぁ……あ、あああああ、わあああああああああああああ……! マスターぁああああ──」
その場で泣き崩れる先生を白鷺と真噛が介抱に回る。小鬼との契約が途切れ、非力になってしまった彼女では言い募るだけで精いっぱいだった。
あらためて、己と同じように喪失の苦しみをぶつけられた兎童女は、
「儂は、これより不条理なものをぬしらにぶつけてきたのか……」
「ヨトの場合、負の感情は瘴気の悪影響もあった筈だよ。だからそんなに追い詰めないで」
背後で肩に手を置く狐巫女の言葉に頷いた。
それから床に膝を突き、兎童女は同じ目線で声を掛ける。
「これだけは約束させておくれ。あやつが闘えぬ分、儂がその役目を果たそう。ぬしの言う通り、都合のいい話やもしれぬがのう」
言い残して、彼女は校長室を出た。俺も空気を読んで退室する。
「夜兎」
「おぬしもアルフ、というんじゃな。男であったとは、儂も大分見境なかったようじゃの」
「うん。あらためての挨拶になるけど、よろしく」
そうだった。こっちには面識があっても、彼女にとっては初対面も同然だ。
「……殺そうとした相手に随分と親し気に話すのじゃな」
「もう過去の話だよ」
「儂はその過去に囚われてこの有り様よ」
自虐的に夜兎は笑う。そして廊下を歩いて行く。
「刻が来るまで、外におる。ぬしも用事があれば済ますとええ」
割れた窓ガラスからひょいと飛び降り、彼女は姿を消した。此処高いのに。
俺は体育館から最寄りにある保健室へと足を運んだ。此処には今回の騒ぎで怪我をした一般人が手当てを受けている。と言っても、重傷者は既に白鷺の手で治されている。
ベッドで休むアリスとその脇の床で伏せ寝する虎の姿があった。二人も鬼との闘いで善戦し、名誉の負傷をしたがもう傷はない。
すると、妹はゆっくりと瞼を開けた。
「にい、さん?」
「調子はどう?」
「白鷺さんのおかげでもうバッチリよ。雨でずぶ濡れになって風邪を引きそうになったけど」
言ってクスリとアリスは笑う。その様子を見て一安心する。
「それはよかった。大分、無茶したみたいだから」
「兄さんの活躍と比べたら、大したことはしてないよ。それに私なんかより、虎土の方が凄く頑張ったから」
布団から出した手で、自身の契約する虎の精霊獣を撫でる。真噛が言うには、戦闘跡からして大分壮絶だったらしい。
「さっきもレイチェルとロベルタが見舞いに来たの。元気そうだったわ」
「二人も頑張ったんだね。皆、良い退魔士になれるよ」
自分以上に彼女達が誉められたことが嬉しいのか、笑顔で何度も頷いた。
まだ安静にしているように伝えた後、俺は校舎の被害がどうなのか見て回った。
未曾有の嵐が過ぎたように壁は剥げ落ち、格子は変形し、大きな欠落が至るところで目立っている。
生徒達も校庭を行き交い、家族と連絡をとる者、座り込んで途方に暮れる者、何かできることはないかと奔走する者と様々であった。
避難先で親しい知り合いとも再会を果たす。見慣れた三人がこっちに来た。
「皆、無事だったんだね」
「こっち戻ってきたのか。大変なことになったなぁ、アルフ。試験は中止になるってさ」
友人でありクラスメイトのダリオは黒い燕を乗せた肩を竦めた。
「先輩も無事でよかったです」
「お兄さん、アリスとはもう話したのー?」
梟と鼬の精霊獣をそれぞれ抱えるロベルタとレイチェル。二人の制服には少しほつれがあり、戦闘に参加していた名残があった。
「うん。ごめんよ、来るのが遅くなって」
「気にすることないって。またこの学校に天朧が来てくれたみたいなんだ。ほんとあの人はここぞとばかりにすぐ駆け付けてくれるよなぁ」
「そうなんだ。それならよか──」
脈動がまた空の上で起こり、会話を一瞬途切らせる。
「……何だろうな、これ」
「また鬼達が襲ってくる前触れなんじゃないかって、皆怯えています」
「あたしら、いつそうなってもいいように近辺を見回っているんだ。この街を守る為にも、闘うから。アリスのお兄さんも、その時は協力してくれない?」
「勿論。俺も鈴狐達と闘うよ」
同意を見せた。これから襲ってくるモノの正体を、打ち明けた方がいいのか躊躇しながら。
ただし、彼女達が闘ってはいけない相手であるのは明白である。力の有無とかそれ以前の話だ。
だって、それはあのベル先輩でもあるんだ。仲間同士での争いを強いるなんて酷な真似、出来るわけもない。
それから俺は三人と別れ、そろそろ鈴狐達と合流しようと踵を返した。
そこで携帯に着信。知らない番号だったので、怪訝に思いながら電話に出る。
『そちらはどうなっている』
「……何で俺の番号知っているんだよ」
挨拶をすっ飛ばした聞き覚えのある男の声につい切りそうになった。
『今、そちらへ車を走らせていたのだが渋滞で身動きがとれなくなった。徒歩で向かっている。鬼の殆どは殲滅されているそうだが、詳しい続報がメディアに入ってこない。しかし、こうして繋がるということは学園は無事なんだな?』
「アリスの身を案じろよ。俺が平気でもそうはいかないだろう」
『お前がそこに居てこうして会話をするということはその線はありえんな』
何だその妙な信頼の仕方は。俺は画面を横目にしかめ面になる。
『で、この異変について見当はついているのか』
「ついてはいるが教えてやる義理はない」
『ならば結構。全霊でことに当たれ、邪魔したな』
「偉そうに……そういえばこの前のケーキ──あ、オイ! ……切られた。リダイヤルしてやろうか」
ゼムナス・シェークリアとの通話がそうして打ち切られる。目的がさっぱり分からない。
──そして、空に動きがあった。まだ夕暮れになるのは早いのに、夜のような暗がりが降ろされる。
想定よりも早くアレは訪れた。汽笛にも似た何かの鳴き声が都市を覆いつくす。
雲の海を渡り、空を泳ぐ鯨の姿を視認した。
地上にはまだ遥かに遠いのに、既に大きさが規格外であることが見て取れる。
それを見上げる人々は天からの使いか、はたまた災厄なのか、とにかくこちらへゆっくりと降りようとしている動きに、ただ畏れる以外になかった。
「アルくん!」校舎から俊敏に飛び出した小狐が俺のもとへ。
「こっちも見えてる」
小鳩と狼少女も外に出る。そして、兎童女も屋上からこっちに降りて来た。
「あれは……スイネです。わたくしには、分かります……あんな風にされてしまうなんて」
「翠音って、先輩の……?」
白鷺の震えた声が、残酷な事実を告げる。彼女の精霊獣が堕とされた存在であるのは、よくよく考えれば導き出される話であった。
ということは間違いない。アレが咒天の作り出した荒魂……あるいはそれ以上の脅威であると。
都心部の方へと着陸しようとしている大鯨を追うべく俺達も動き始めようとした。
「──なんだよ、アレ」
茫然とするダリオの声が足を止めた。何人もの生徒が校庭に集まっていた。
「なんか薄暗くなってない?」
「おい、空に浮かんだ鯨、見えるか!?」
「大き過ぎない?」
「まさか、また敵なのか?」
「冗談だろ」
「だってこの心臓みたいな音、アレから聞こえてくるんだぞ!」
「襲ってきたらひとたまりもないよ!」
「逃げよう!」
「逃げるって何処に!?」
たちまち混乱になる最中、俺の手を引く感覚があった。
「アルフ、避難しよう。あんなの、俺達じゃ手に負えない」
「……ダリオ。でも、行かないと」
「こんな時に何処行くんだ!? 天朧とか天金さんとか、もっと力のある人に任せるんだよ! 確かにお前は『北斗』の人間かもしれない。でも、あんな奴等を前に出る幕なんてないって!」
身を案じて呼び止める彼を見て、俺は鈴狐と見合わせる。
それから真噛とその腕に収まっていた白鷺にも。
「頃合い、かな。いつかは話す時が来るかも、とは思ってたんだ」
「アルくんが選ぶならそれでいいよ。友達だもんね」
「わたし、平気」
「後押しいたします。アフターケアはお任せください」
皆、頷く。
「その鳩……前に屋上にいた奴だよな? 話せたのか」
「ダリオ。アリス達をお願い出来る?」
「藪から棒になんだよ」
「先輩を助けに行かないとならないんだ。だから此処、頼んだよ」
「ベル先輩を? でもお前……」
彼等の前で小狐と小鳩が、変化を解いた。その正体を目の当たりにしてざわつく。
「それ、鈴狐ちゃん、なのか……え? 天金、さん? それに鳩の方は白鷺さん……? どういうことだ……」
「隠してて、ごめん」
言って、面を取り出した。口を開けて固まるダリオに背を向け、装着する。天朧の姿になる。
身に纏う黒の衣を翻し、俺は言った。
「鈴狐、真噛、白鷺、夜兎、行こう」
四人の人型精霊獣を率い、一斉にその場から飛び去る。
「──~ッ、とんでもない暴露してくれたなこの野郎!」
遠退く学園から、悪態が聞こえた。しかし心なしか声音が弾んでいる。
「きちんと戻ってこいよ!? 聞きたいこと話したいことは山ほどあるんだからな!」




