因縁の行く末。八十禍津神の胎動
※視点が変わります
意識を取り戻し、うっすらと瞼を開けた兎童女は間を置いて瞬かせた後、驚いて身を起こした。
すぐさま辺りを見渡し目元に手をやる。
視力が、戻っていた。視覚が伝える情報が懐かしい。
瘴気に蝕まれ、長らく目が見えなかった彼女に光が戻っている。
それどころか貫かれた筈の腹部も完全に塞がり、まるで此処があの世ではないかと疑う程に混乱を極めている。
その回答は傍らにいた。
「目を、覚ましましたか?」
「ハクロ、か……?」
「はい。わたくしです。ご無沙汰しています」
そっと優しく声を掛けてきたのは、かつて共に旅をする仲間であった精霊獣、白鷺であった。夜兎は自分が彼女によって治癒されたのだと理解する。
しゃがみ込んでいた天使に抱き起こされ、兎童女はいきさつを思い出す。鬼の王咒天に手を切られ、瘴気を抜かれて深手を負い、命からがら逃げ出し、あろうことか狐巫女に助け出されたことを。
ベルを置き去りにして。その塗り替えられない事実に奥歯を噛む。
校内の廊下に一同はいた。学生服に戻ったアルフと巫女服姿の鈴狐、そして真噛も。
近辺の戦闘は収束。あれだけの数を誇っていた鬼の姿は残っていない。殲滅された。
少し離れた体育館が避難所として機能し始めたことで、対応に追われた人の姿がちらほらと見掛ける。こちらはその死角となって密かに集まっている。
ちなみに虎土やアリスら怪我人は、既に治療を終えている。その直後に鈴狐の手によって此処に運び出されたのが夜兎であった。
ところどころ崩落している此処は立ち入りがない為、色んな意味で都合がよかった。
「荒魂であったとお聞きした貴女が元に戻り、息を引き取る直前でしたので、貴女の意思とは関係なく回復させていただきました。相当な深手でしたが、完治されているかと」
ですが……とそこから続く話を彼女は言葉を濁す。言わんとしていることは、夜兎自身も把握していた。
「それでも儂は、長くは持たんであろうな」
「……あくまで延命というだけで、長らく瘴気に蝕まれた肉体はわたくしの力であっても」
ごめんなさい、そう暗い面持ちで天使は謝った。
謝るでない、そう穏やかに夜兎は応じる。
「それより、説明してもらわねばのう。リンコよ」
そして、別の相手に意識を向けた。本題を切り出す。
ゆっくりと立ち上がり、白鷺に「ま、まだ立ってはいけませんっ」と安静にさせようとするのを手で拒み、毅然とくってかかる。
やるべきことは他にもあることは分かっていた。だが、最悪それはこやつらに丸投げすればいいと彼女は自棄に判断する。どうせ、遅かれ早かれ死を迎える身だ。
何より因縁は、終わっていない。柱に寄りかかっていた狐巫女は目を合わせない。
狼少女もいつでも動けるように傍らに立ち、アルフもことの行く末を見守っている。
「死にかけた敵を運ぶとはどういう了見じゃ。塩を送ったつもりか? それともまんまと利用され、裏切られた哀れな儂に同情でもしたかえ?」
「……」
「言っておくがのう、儂はこんなことでぬしに感謝をするつもりも許す気もないぞ。此処で決着をつけてもよい。どうせ、儂の願いは叶わぬ」
「……」
「先程もそうじゃ。人質にとられたこの身を前に動けぬとは、なんたる体たらくよ。素直に死なせておけばよかったのに。儂を虚仮にしておるのか? 敵としても味方としてもお粗末過ぎるわ。何とか言ったらどうなんじゃ、のう……何じゃ、その顔は」
真顔で黙秘を続ける彼女であったが、よく見ると引き結んだ唇は小刻みに震えていた。
強い葛藤に堪えている。それが分かった兎童女は戸惑いと苛立ちが半々な反応を見せた。
「それにさっきのは聞き間違いでなかろうな……友達、じゃと? 今更寝惚けたこと言うでない! 殺し合ったじゃろうが! ラカクは死んだぞ! 儂がベルを連れ出したことでのう! ぬしをありったけ呪ったぞ! あの時犠牲になるのがそちらの契約主であったらと! 今でもそう思っておる! 儂でなくぬしらが苦しめとな!」
捲し立てる。積年の身の丈をぶつけるように。
「お人好しも大概にせい。そんなことで守れるか? そやつを」
言って彼女はあらためてアルフ・オーランを見た。直接手に掛けた前世の英雄を重ねる。
すると静かに、細い声で鈴狐は言った。
「……守るよ、この子も、貴女も」
「やめい」
拒絶に対しても彼女は首を振る。感情の鎚をうまく振り下ろせず、歯を食いしばった。
「……昔からそうじゃ! ホントは気が弱い癖に! 意気地なしの癖に! 繊細な癖に! 泣き虫の癖にッ! 意地を張る! 寛大で! 昼行燈で! 八方美人であろうとする! 気丈に振る舞おうとする! そういうところがいけ好かんかった!」
「寛大なんかじゃ、ない。私は、臆病なだけ。我儘なだけ……」
言って、狐巫女は背を柱から離した。夜兎に歩み寄る。
退き下がろうとして、まだおぼつかない足取りで倒れそうになる兎童女に手を回す。
そうして一方的に抱擁した。夜兎はもがく。
「は、放──」
「もう、やめようよぉ」
絞り出された涙声が、動きを止めた。
「ラカクがやられて、ヨトまでいなくなるのなんて、た、耐えられない……償うから……いくらでも、恨んでもいいから……! せ、せっかく、戻ったのにぃ……こんな辛い争い、したくないよ……ヨト、と……そんな風に、終わるなんて、嫌だよぉおお……!」
「な、にを今更……」
「……う、うん……本当に今更だよね。放っておいて、酷いよね……辛かったよね、苦しかったよね……寂しかったよねぇ、何もしてあげられなくて……ごめ、ん、ごめんなさい……!」
「っ」
「それでも……今からでも……遅くないなら……わた、私、ヨトと一緒に……!」
弱々しく訴える。相手も硬直したまま聞き入っていた。
謝罪の言葉を繰り返す。鈴狐自身、何かをしたわけでもないのに。
ガベル自身が自刃を望んでいた事実を、未だに受け入れられなかった兎童女の逆恨みだというのに。
それは夜兎自身も、分かりきっていたことなのに。
「少しでも、長く生きて、ヨト……! お願い……おねがい、おねがい……!」
「……け、が……たわけが……放せ、たわけが……!」
声の震えが夜兎にも伝わる。
「泣き虫が、移ってしまう……じゃろうが……」
「……ヨトぉ」
「まっこと、ぬしには……呆れるのぅ……アレだけ、傷付けた儂を……ぬしは……!」
「ぅええええ、ヨトぉおおおお!」
二人の嗚咽が重なり、校舎の中にひっそりと響き渡る。
長らく凍てついていた関係が、ゆっくりと温められていく。
傍目で白鷺は鼻をすすりながら目を拭い、俺達はこれから争う必要はなくなったことを確信して息をついた。
※
黒い泡は膨張し続けていた。
洞穴には収まることが出来ず、そのまま奈落の底を埋め尽くし、地表にまで達しようとしている。
鬼の王はその様子を地上に立って眺めていた。順調である。
真下にいた鬼達はそれに押し潰されたようで、少し前に絶命の叫びがあったことを鬼の王は記憶を反芻させた。
「まぁ、些末なことだ。人間界で陽動させている捨て駒達もそろそろ限界だろうな。これで、御守の必要もなくなったと考えておこう」
既に仲間への関心を失くし、目の前の成果にだけ注力している。夜兎から培った瘴気を操る技術によって調整し、本来であれば自滅する筈の規模を育て上げた。
ドクンっ、と。
地盤に脈打つような鼓動が伝わる。時折起こり始めていたそれは、周期を徐々に狭め、心臓のように繰り返す。
そして、遂には気泡の立つ音が連鎖したかと思うと、黒い泡は球体を崩した。
まるで胚の成長と見まごう変化を起こし、瘴気の中で徐々に中身がシルエットを象って行く。
おお、と王は感嘆を漏らした。誕生の刻が来た。一人と一匹に膨大な瘴気を与えてそう長い時間は経過していないのだが、妖術によって変化が加速された成果である。
山の如く大きな魚影を認識した途端、湖面から跳ね上がるように、それは空を昇る。
漆黒の大鯨が、終末のラッパを鳴らす。低く重厚な鳴き声は、精霊界中に広がっただろう。
移動の余波で風が吹き荒れ、周辺の平地にひび割れが起きた。
すかさず咒天は跳ぶ。自身を比較すれば米粒大の差がある大鯨のヒレに乗り、嗤う。
出来栄えを間近でしげしげと眺め、手を置き、満足していた。
これが神霊獣と引けを取らないという確信を得て。
「成功だな。八十禍津神の完成だよ。──おや、アレは」
何かを見つけた彼は、鯨の頭頂部を目指す。
「何だ。そんなところにいたのか。良い特等席じゃないか、なぁ?」
搭乗していた先客に向け、彼は気さくに声を掛ける。
ぬかるみにでも深く嵌ったように両脚が鯨の中に埋もれ、虚ろな顔で天を仰いでいるベル・カーデナルであった。意識もないようで、呼びかけに反応を示さない。
「核に必要なだけだったんだが、せっかくだ。衣装を飾ろう。皆から聞いているぞ、君は人の世で歌を生業にしているそうじゃないか。ならば趣向を凝らそう。この世に破滅を謳う導き手として、相応しい恰好に……手前味噌ながら」
手をかざすと、制服姿であった彼女に大鯨と同じ漆黒のフェザードレスが着飾られる。
「ははッ、お似合いだね。では人間界へと出発しようか。腑抜けた調和を乱す者よ」
空を泳ぐ大鯨は、そうして雲の上を越えて姿を消す。




