第四十五話
突如赤雷が落ち、城の全てが燃えていた。
燃え盛る城の中を、エルガンダは彷徨っていた。
それが敵方の攻撃であることなど明瞭だ。そうでなくては、こんなこと起こるはずがない。城の中には騎士のみならず、使用人や料理人といった非戦闘員が倒れ、炎に焦がされていた。
天罰だ。そう思わざるを得ないほどに、城の中は地獄だった。
侮っていたことは否定しない。これほどの力を振るうことができるなど、知る由もなかった。間違っていたことも否定できない。聖剣を晴也に預けたままにし、城の中に残しておけば回避できた事態かもしれない。
それら全ては、エルガンダが人であったが故の失敗だった。神の威光というものをどこか蔑ろにしてしまっていたが故に侮りが生まれ、娘の死に父親としての自分を切り離すことができなかったために、この地獄が生まれた。
幸いだったのは、聖剣は逃げ出した晴也と共にあり、娘はその晴也と共に王城を出たと考えられている。
その二つがあれば、エルダフィートは生き続ける。城が焼け焦げ、エルガンダの身が朽ち果てても、その二つがあれば、エルダフィートの再興は叶う。そんなは自らの死後を、エルガンダは夢想する。
通路の窓枠から、外の景色を見る。夜の空には、未だ闇に溶け切らない赤雷が瞬いていた。そして更にその奥、国境のほうからは弾けたような明かりが断続的に夜を照らしている。争いが始まったのだろう。もはやエルダフィートの敗戦が確定した戦争が。
「――陛下、ご無事ですか!」
覚束ない足取りで廊下を歩くエルガンダに、一人の騎士が駆け寄った。ヴァーテインだ。彼は王都防衛の陣頭指揮のため、一時的に城の外にいた。そのため、城の炎に焼かれることなく無事だった。
「ああ、ヴァーテインだな。街は……城下町の様子は、どうだ」
「ご安心ください。民は皆無事です。あの赤き稲妻は城だけに落ちたのです。彼奴等は陛下の威光に、そうせざるを得なかったのです」
ヴァーテインのその言葉は、誰が聞いても強がりなのは明らかだった。ガグランダが本気でエルダフィートを潰しにかかって来た。王城を一撃で破壊したのは、王国民の心を須らくへし折らんとする意図の元だろう。
しかし、そんな強がりを言える人間がいることに、エルガンダは僅かな安心感を覚えた。事態は絶望的だ。そんな中でも、そうやって無理にでも前を向ける人間がいるのは、暗中の火としてとても頼りになる。
「……陛下、失礼ですが閣下――ジェリオス大臣はどうされました」
「死んだ、だろうな。他の大臣も即死だ。そしてカーマルは、余を庇って死んだ」
一瞬にして城全体を打ち壊し、燃やし尽くすほどの雷撃。それを城ごと直撃したにも関わらず、エルガンダが無事でいられているのは、カーマルが身を挺して守ったためだ。
エルガンダのその言葉に、ヴァーテインは涙を堪えるように俯く。彼にとってジュリオスは父のような相手だった。故に涙を流すのは何らおかしなことではない。しかし、今は涙を流す時ではない。騎士としての責務を果たせと、父は告げるだろう。亡き父の声を反芻しながら、ヴァーテインはその使命を果たさんとする。
「さあ陛下、すぐに脱出しましょう。今ならまだ間に合います。そしてここから、彼奴等に反撃してやりましょう!」
「……いや、もう間に合わんだろう」
ヴァーテインの肩を押し退け、エルガンダはそのまま先へと進む。最初、エルガンダの言葉の意味がわからなかったヴァーテインは、その言葉に痺れたように動きを封じられ、そしてすぐに彼の後を追う。
「何を言うのですか!? 陛下はまだご存命で、聖剣は今勇者が持っている。そしてその勇者は、今はここにいない。反撃の目はまだ残っています!」
「そうして反攻に出て、確実に勝てるのか?」
「勝ちます。勝たねばなりません」
「……そういうことを言っているんじゃない」
誰だって負けるために戦う者はいない。この戦いに備えてきた誰しもが、勝たねばならないという気概で臨んだはずだ。それを前に今更、勝たねばならないなどという根性論を述べるのはお門違いにも程がある。
「確かに反撃の目はあるだろう。だが、それは反攻に打って出られるだけで、勝ち目がある訳ではない」
「何をおっしゃいますか!? 陛下の慧眼と英知、そして聖剣の御力があれば、ガグランダの手勢を押しのけることも可能です!」
万全であればその通りであった。しかし、現実としての落城。多くの大臣は死に絶え、エルガンダとて無事とは言い難い。
エルガンダは自らの衣服をたくし上げ、胸元をヴァーテインに見せる。そのおぞましいモノに、思わずヴァーテインは目を逸らした。
胸元には大きな穴が開いていた。まるでその部分だけくりぬかれたように綺麗に消失しているその光景は、人としての終わりを意味していた。
「既に余は、死人と同義であろう。こんな人間がいたところで何ができるというのか」
「……何故、そのようなことに」
心臓を綺麗に消し飛ばした様なその穴は、作為的であるのは明らかだった。聖槍の力が遠方より振るわれたのは、赤い流星が夜空を翔けた位置からも明らかだ。その上で、エルガンダの心臓を狙い打ったかのようなその結果に、そんな言葉を零さずにはいられなかった。
一方で、心臓がなくなれば人間は生きていけない。だというのに、未だにエルガンダはその両足で立ち、剰え会話すらできていた。あるいはそのことに対しての言葉だったのかもしれない。
「別に驚くことではない。死に体に鞭を打っているだけだ」
遠い異国の地の逸話に、立ちながら死した戦士がいたという。不動の異名を持っていた彼は、数多の剣に切り裂かれ、無数の矢に射抜かれながら、決して倒れることはなく、死してなお多くの蛮族から国を守り続けたというものだ。あるいはエルガンダのそれは、その状態と同じということだろうか。
未だに信じられないと言った顔をするヴァーテインに、エルガンダは呟く。
「本当に難しいことではないんだ。ただ、王族の血とはこういう物というだけだ」
エルダフィート王国を勃興した初代国王は、王となる以前は聖地エルンティカを守る防人の一族だったと聞く。ある日、彼は神託を得た。この地に国を築きなさいと。その国が、やがて世界を救うでしょう。真偽はともかくとして、王国の歴史書にはそう記載されていた。
神託を得た初代国王は、その血に神性を宿したのだという。すなわち人ならざる力。そこから幾星霜と時が流れ、数多の血が混ざり合いその血に宿る神性は薄まった。しかしそれでも、心臓を失くしてしばらく経っても生き延びられる程度には、神威を有していた。
それが、エルダフィートという国が王を戴く理由。大いなる者に見初められた神の使徒、その末裔。人間よりも優れたモノを持つ故に、民を導く義務を帯びていた。
「だが、幾ら私達王族の血が特別製でも、致命傷であることに変わりはない。故に、残った命は有効に使わなくてはならない」
「どうする、おつもりですか?」
ヴァーテインの言葉に、エルガンダは笑って見せた。青ざめ弱々しい表情だが、しかし剛毅に浮かべるその表情は、王というにはあまりにも勇ましく、覚悟を決めた男の顔だった。
「王が国にできることは、何時だって民を信じることだけだ」
そう語ったエルガンダは、再び歩き始めた。
もはや止めることは叶わない。そう感じ取ったヴァーテインは、せめてその最期を見届けるためにその後を追った。
エルガンダがやって来たのは、城の地下にある、放棄された研究施設だった。
黒煙と炎に埋め尽くされたそこを、ヴァーテインが起こす魔法の風でどうにか人が通れるようにして先へ進むと、奥には巫女などが舞を踊る祭場に似たものがあった。
「ここで待っていなさい」
ヴァーテインにそう告げると、エルガンダはゆっくりと祭場に上り、その中心に立つ。
もはやエルガンダの意識は風前の灯だった。意識は朦朧とし、視界は黒く閉ざされロクに見ることも叶わない。手足は感覚が無くなるほど冷たく、動かすことも難しくなってきた。
そんな状態で、エルガンダは自らの血を祭場に捧げる。すると、まるで何かが起動したように、祭場に刻み込まれた紋様が不気味な赤色に輝き出した。
そこにあるのは、巫女が神に舞を捧げるための祭場ではない。それは祭壇。人が神にモノを捧げるための原始的な装置。巫女という神の意図と通じる架け橋がなかった頃に、それでも人が神と繋がろうと画策し、獲得した禁忌の技術。
儀式の中には、人身御供という生贄によって神に願いを届けるものがある。しかし、それは神がわかる形で魂を捧げなくてはならない。巫女というものがまだない時代では、そのような効率的な手法は望めない。故に、祭壇に捧げる贄は大量に必要だった。すなわち、何人もの人間を殺し、そうした果てに神の琴線に触れるか否か。そう言う、綱渡りのような技術だ。
未だにそんなモノが、城の底に安置されているのは、やはり王族の血に関係していた。
「エルダフィートの王として、王冠を戴いた後の最初の仕事は、ここで身を捧げることだ」
王とは民の信頼の上に成り立つ。それは紛れもない事実だ。しかし、エルダフィートが神託によって勃興し、その血に神性を宿すのなら、人以上に認められなくてはいけないモノがある。言うまでもなく、初代国王にその任を託した神だ。
「この祭壇の上に横たわった私に、先王の血をかける。そうして、血に帯びるこの国との繋がりを私に委譲し、父の血を浴びることで、神に私が次代の王であることを報告する。なんとも前時代的な、生臭い儀式だ」
しかし、そうして得られるものは絶大だ。その儀式を終えると、エルガンダは確かに感じることができた。血に流れる、神に託された王という責務の重さ。そこから根付いた、この地との繋がりの深さ――つまり、エルダフィートの王になるというのは、この国そのものと繋がるという意味でもあったのだ。
「神性、神の力などと言うが、言うほど万能な権能でもない。国は私に力を与えるだけで、それの使い方を教えてくれる訳でもない。何より、こんな力にどんな意味があるのかもわからなかった。だが、今はこういうときのためにあったのだと思わざるを得ないよ」
もはやエルガンダの目には何も見えていなかった。今、自分が立っているのか倒れているのもわからないほど体の感覚はない。それなのに、エルダフィート王国という形だけは確かに感じ取ることができた。まるで、土地と一体化したように引き延ばされた感覚が、エルガンダには少しこそばゆく感じた。
エルダフィート王が神から与えられた唯一の権能。それは、国民へ王の意思を伝えるというものだった。
*
西部、グリムシャニスにて前線の陣頭指揮を任されていた第三騎士団長のノイエルは、急展開を迎えている事態に困惑していた。
「何故城が燃えるのだ。何故山が割れるのだ。何故、それを見計らったように奴らは攻めてくるのだ!?」
そんなことは問うまでもないことだった。全てはガグランダが企てたこと。王城を燃やしたのは聖人の担う聖槍の力。山を割ったのは、英雄の担う聖槌の力だろう。そう考えなければ、人の常識では測れない事態だ。
「クソッ、聖人のみならず英雄まで王国に潜入しているなど聞いてないぞ。南部の山を割ったということは、監視塔騎士が掘っていた隧道を再利用でもしようと考えてるんだろう。だとすれば、手薄な南側から王国は制圧される……」
南部、東部と侵攻が進めば、西部は現在国境から攻め入ってくるガグランダと挟み撃ちをされる形になる。
幸いなことに、前線基地として利用しているグリムシャニスの後ろには、第五騎士団長が率いる西部監視塔が防衛線を築いている。すぐさま挟撃されるということはないだろうが、王国の陥落が秒読みであることは間違いなかった。
「これまで、ということなのか」
今起こっているのは、戦争というにはあまりにも空虚だ。どれだけノイエルが体を張ろうと、その果てにあるのは選ぶ余地もないほどに敗北だ。もはや、そんな戦いに命を懸けるほど、ノイエルは愚かにはなれない。
今ここで、騎士全員に戦闘を中断させ、降参の合図をガグランダに送るのが賢明な判断だろう。
そんな考えが脳裏を掠めたときに、ノイエルの内側に何かが繋がった。
否、それはノイエルだけが感じたものではなかった。エルダフィート王国に住み、そこにあるものを食し、繋がった民の全てが、何者かとの繋がりを感じ取っていた。
「余は、エルダフィート王国国王、エルガンダ・エルダフィートである」
「陛下!?」
自分の内側から響くその声に、思わずノイエルは背筋を伸ばす。
一体何がどうなっているのかノイエルには理解できなかった。しかし、今自分の内側で繋がった何かの正体は、内側で声が響くエルガンダであると確かな実感があった。
「余は今、燃える王城の地下の祭壇にて、我が身を捧げ、王国の土地と繋がることで、エルダフィート王国の民全てに我が意を伝えている。これは、神より与えられた、唯一の権能である」
ジワリと染みわたるように、エルガンダの言葉が脳へと伝わっていく。他者と繋がるというのは、快楽的な恍惚感を与え、ノイエルは無意識の内に自分が興奮していることに気づいた。
「今は、我が国は危機的な状況にある。それは、誰しもが感じることだろう。そして、この果てにあるのは、紛れもない敗戦だ。それは、もはや避けられぬものだろう」
城が絶望的な状況である中、このような形で王の存命を把握できたことに、僅かな希望を覚えていた。だというのに、その王自ら、今度は国民全員を絶望へと突き落とすようなことを述べた。
「その上、今余は死の淵にある。もはや助かることはないだろう。この繋がりもいつまで持つかわからぬ。故に、ここで述べることは二つだけだ。一つは、余の亡き後、王位を娘に譲るものとする。すなわち、死したエルノアに代わり、我が次女、エルメリアが次代の王である」
あるいはそれは、国民にとって衝撃的な事だっただろう。自分と繋がる王が死ぬこと。既にエルノア王女が死んでいること。そして、未だ成人していない幼いエルメリアが王位を継ぐこと。雪崩のように告げられる王の声は、どれだけ口を開こうと止めることはできず、ただ一方的に、王の遺志を告げられた。
「そして二つ目。この戦争でエルダフィートは破れる。最悪は、エルダフィートという国そのものが無くなるだろう。だが、我が民よ。それでも生き続けよ。国が無くなり、全てを奪われたとて絶望してはならない。諦めた果てに至った死に、故国などありはしないのだ」
「――では、我々にどうしろと言うのです」
自分の声が届かないとわかっていながら、ノイエルはそう問わずにはいられなかった。
国を守るために命を懸けると誓った。だというのに、その果ては確定的な滅亡。騎士として国を守れなかったという汚名を背負いながら生きるなど、騎士としての名折れに他ならない。
「敗戦により、そなたらは多くの絶望と困難に立ち向かわなくてはならない。騎士達は国を守れなかったという恥辱すら浴びることになる。貴族は今までに得た地位と財を失い零落するだろう。それでも生き続けよ。何度でも言うが、絶望と諦観の果ての死に、この国はないのだ」
「それではどこにエルダフィートがあるというのです!?」
滅亡したエルダフィートに還るには、滅亡する前にこの地で永劫の眠りにつくか、あるいは死後の世界にそれを求める以外にない。
誰もが求めるその答えを、エルガンダは告げる。
「生き続けよ。そうして生き伸びたそなたらが、余のエルダフィートである」
その言葉を最後に、ノイエルの内側で感じていた繋がりが途切れた。
エルガンダがそんなことを言うのに身を斬る思いをしたことなどすぐに考え至ることだ。ガグランダに負け、エルダフィートが滅ぶ。連綿と守って来た王国を、自らの代で途絶えさせてしまうという屈辱を、その一身で背負わなくてはならないのだから。
それでも、エルガンダは民に信頼を示した。例えこの地に栄えるエルダフィート王国が滅ぼうと、潰えることを意味するのではない。この地で生まれ過ごし、生き延びた人にこそ、エルガンダが背負い、守って来たエルダフィートがあるのだと。それがあれば、やがてエルダフィート王国を再興することができると、そう信頼を示したのだ。
「――ズルい男だよ。あんたって人は」
思わず素の口調が出てしまうほど、ノイエルの頭は麻痺していた。
そんな信頼を示されたら、絶望して死のうだなんて思えない。戦いの果てに敗れ、責務を果たせなかった恥辱に塗れようとも、自分の中にあるエルダフィートのために、生き続けなくてはいけない。そう思わざるを得ない。
生きなくてはならない。生かさなくてはならない。そのためには、守らなくてはならない。
今にも消えそうであったノイエルの――いや、ガグランダと戦う騎士達の戦意という炎は、起爆剤を放り入れたように激しく炸裂する。
本部である天幕の外に出たノイエルは、その場にいる騎士達に告げた。
「総員、陛下の意思は届いたな! ならば、我々がここからやるべきことは一つ! 生き残るための戦いだ! エルダフィートに生きとし生ける民達を、守るための戦いだ!」
ノイエルの言葉に、その場にいる騎士達が威勢よく声を挙げる。誰もが、エルガンダの言葉に火がついていた。敗北したその先にあるエルダフィート。自分達の中に宿るエルダフィートを守る。その義務感に駆られていた。
「剣を抜け! エルディンを起こせ! もはやここからは作戦などありはしない。生き残るために全てを使え! 守るために命を燃やせ! そして、みな生きて帰るぞ。この国に!」
その場にいる全員が、先ほどよりも強い声を挙げた。
*
国民との繋がりが切れた瞬間、エルガンダは祭壇の上で倒れていた。
ヴァーテインはそんなエルガンダの体を抱きとめていた。もはや体は氷のように冷たい。それでも、僅かな呼吸に、か細い命の温もりを感じた。
「見事なお言葉でした」
ヴァーテインのその賛辞に、エルガンダは青ざめた表情で僅かに笑んだ。
力強い遺志とは裏腹の、死へと向かって弱り落ちていく姿に、ヴァーテインは思わず目を背けたくなる。それでも、決して目を背けることなく、最期までその姿を瞳に収める。それが、この場に立ち会った騎士ヴァーテインの役目であるためだ。
「――どうして」
地下深くの儀式場。再び炎と黒煙が部屋の中に入り込み始めたその部屋に、女の声が響いた。部屋と通路を繋ぐ唯一の出入り口のほうを見ると、そこには全身に酷い火傷を負ったシャーンがいた。
「クレイヴェス・メリネア。生きていたのか」
ジルバに倒されたシャーンは、王城の医務室で眠っていた。つまり、ほぼ無防備な状態で赤雷の力にさらされたということに他ならない。それで生きていたことに驚いていた。
シャーンが無事だったのは、赤雷が落ちる前に目を覚ましていたからだ。そして、赤雷が城に落ちた瞬間、強烈な熱から身を守るために、苦手なガンテダの魔法と、熱を逸らすフィグマの魔法を駆使し、どうにか生き延びたのだ。
そんな彼女は、ヴァーテインのことなど目にも入っていない様子で、倒れ伏すエルガンダに問うた。
「それほどまでに深くあたし達のことを信頼しているのなら、どうして団長のことを――グライダムさんのことを信じてくれなかったんですか!?」
シャーンとてエルダフィートの民だ。故にエルガンダと繋がり、そして彼がどれだけ自分達のことを信頼しているのか理解した。それ故に解せなかった。それほどまでの信頼を寄せているのなら、何故グライダムを信じてくれなかったのか。どうして裏切り者だと認めてしまったのか。
その問いに、エルガンダは弱々しく答える。
「私は……グライダムのことを、今でも信じている」
「嘘! だって、あなたは団長に捕縛命令を出したじゃない!」
目覚めてすぐに、部下の騎士からその通達を聞かされていた。それに酷く戸惑ったことは覚えている。それでもシャーンは信じていた。騎士としての民を守ることを教えたグライダムが、エルダフィート王国を裏切ることなんてないと。
「嘘では、ないさ。……彼の忠誠は、向けられている私こそが、一番理解している。彼とて人で、過つこともあるだろう。それでも、最後は――」
その先の言葉は掠れ、シャーンは愚か近くにいたヴァーテインですら聞き取れなかった。それでも、その言葉からはグライダムへの強い信頼が伺えた。
「ならせめて、その証拠をください! あなたが団長を信じているっていう証拠を!」
それが酷く不遜な願いであると、もはやシャーンには理解できるほどの余裕はなかった。それを咎めるように口を開こうとしたヴァーテインの服の裾を、エルガンダが弱々しく掴み止めた。
「……ならば、そなたに頼もう。信頼のおける、グライダムの弟子であるそなたになら、任せられる」
そう言うと、エルガンダはシャーンを手招きする。それを見たシャーンは、恐る恐ると言った様子でエルガンダに近づいた。
「手を」エルガンダのその言葉に、シャーンは自分の手を差し出す。
すると、エルガンダは胸の穴を抉るようにする。苦悶に吐き出しそうになる悲鳴を堪えながら、そこから血をかき出すと、それをガンテダの魔法で石に変え、シャーンに渡す。
「いつか、エルダフィートを再興するとき、我が血がエルメリアに必要になるときがくるだろう。詳細はヴァーテインに伝えた。古く生臭い儀式だが、もしその慣例も継いでくれるのなら、あるいは神も再び、我々をお認めになるかもしれないのでな」
いくらシャーンがエルメリアの近衛騎士候補であったとしても、グライダムの思想を色濃く継ぐ騎士であることに違いはない。つまり、裏切りの思想が滲んでいる危険性がある人間だ。そんな客観的事実を、シャーンは把握していた。そんな相手に、そんな大事な物を渡す。それはシャーン自身への信頼の裏に、グライダムへの信頼が見えていた。
受け取った血の意思を握り締めたシャーンは、深々と頭を下げた。
「その役目、確かに果たしてみせます」
シャーンのその言葉を聞いたエルガンダは、唐突の浮遊感に襲われた。
体が空へと引っ張られるような感覚。今まで感じていた四肢の冷たい感触は途端になくなり、霞み掛かった意識は途端に晴れやかになる。
これが死か。エルガンダはそれをすぐさま悟った。
エルメリアの晴れ姿を拝めないことが未練であった。しかし、彼女の道程は、神の坐する楽園の端にて、先にそこの席に着くエルノアと共に見ることにしよう。
死を受け入れたエルガンダは、途端にその表情を和らげる。笑みにも似たその表情で、彼は掠れ、言葉にすらなっていない声でこう告げた。
――未来のエルダフィートに、幸あれ。
第四十五話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。




