第三十七話
先刻、メンティア領より上り落ちた赤い稲妻を、国王エルガンダはガグランダからの侵略行為であると断定した。
そう素早く判断できたのは、当時王城には、神殿の司教であるグロムウェルと、研究所の所長であるハーロゥがいたことが大きい。
神殿が記録していた聖槍の力の詳細。そして、研究員としての論理的な推察が、聖槍の担い手である聖人、アースター・ヴァインが王国内にいることを指し示していた。
「――一体、第一と第三は何をしているのですか」
城の廊下を早足で歩きながら、シャーンはそう愚痴る。
国内に聖人がいるということは、国境検問を抜けてきたということだ。検問所は第三、防衛は第一の管轄だが、その二重の防備を、聖人は何ら騒がれることなく抜けてきたということだ。これを怠慢と言わずになんと言えよう。
「もしかして、そのどちらかに内通者がいるということ?」
あるいは、そのどちらにもいる。そう考えれば、聖人が容易に国内に侵入できた理由にも合点がいった。
どれだけ騎士の品位を貶めれば気が済むというのか。噛み締めた歯が軋むような嫌な音がたつほど、シャーンは苛立ちを露にする。
そんなシャーンが向かっていたのは、第二騎士団に与えられていた兵舎だった。
騎士団にはそれぞれ、小さいながら城内に兵舎が与えられていた。木造の二階建てで、冬は隙間風が入って過ごせるようなものではないが、城内待機を命じられる各団の騎士達はそこで待機することとなっている。
シャーンと共に王城に帰還した同僚達は、シャーンの命令で兵舎内待機を命じられている。もっとも、それは実質的な休暇という形であることは、誰の口から語られずとも察することのできるものだった。
舎内は鎧を脱いだ騎士達が休暇を団欒していた。ある者は広間で賭け遊戯に興じ、ある者は任務中にあまり飲むことのできない酒に酔い潰れ、またある者は仮眠室で惰眠を貪っていた。
そんな緩み切った空気を叩き破るかのように、シャーンが兵舎の扉を蹴り開けた。
「……副長、どうしました?」
普段浮かべている笑みとは異なり、眉間に皺を寄せたただならぬ表情に、騎士の一人がそう声をかけた。
静まり返った団欒を見渡し、シャーンは一つ息を吐く。そして深く吸い込み、全員の意識を締め直すように叫んだ。
「総員、傾注!」
裂帛としたシャーンの声が、その場にいた騎士達の本能を揺り起こし、全員が立ち上がり背筋を伸ばしシャーンを見た。
全員の視線が自分に向いたことを確認すると、シャーンは静かに語り始めた。
「……先刻、メンティア領に赤い稲妻が落ちました」
何らかの符丁のようにも聞こえるその言葉に、誰もが周囲の人間にその言葉の意味を訊ねる。そんな囁きを止めるようにシャーンが床を蹴る。
「神殿司教のグロムウェル殿と、研究所所長のハーロゥ殿によると、それは聖槍の力で間違いないようです」
先ほどの囁き声とは比べ物にならないほどのざわめきが場を埋め尽くす。それはつまり、敵方の最大戦力とも言える人間がエルダフィート内部に攻め入っているということを意味する。そのことに衝撃を覚えないほど、その場にいる騎士達はその誇りを捨てていない。
「あたしは、この事態を第一と第三が意図して起こしたものと考えています」
「い、意図して? どういうことでしょうか」
騎士からそのような質問が飛び交う。それに対してシャーンは毅然と答えた。
「つまり、この国の中枢のほとんどが敵方に落ちているということです。そうでなくては、聖人が容易に国境の守りを通り抜けられるはずがない」
同じ騎士であるが故に、国境の防衛が如何に堅牢なものであるのか把握していた。故に、シャーンの言葉には信憑性が存在した。
すると、騎士達は途端に義憤に駆られた。騎士として守るべきものを放棄した同僚に対して、彼らの誇りは熱い滾りを見せていた。
「もはや、この国を守るために動ける騎士団は我々第二騎士団しかありません。そのことを心得てください」
そんな彼らをより燃え上がらせる言葉をシャーンが告げる。上官の前でなければ、騎士達はその興奮を奇声によって表現していたかもしれない。
「そ、それで、我々は何をすればいいんですか?」
興奮冷めやらぬと言った表情で騎士の一人が訊ねる。するとシャーンは即座に告げた。
「まずは情報班に動いてもらいます。現在のメンティア領の状況と、聖人の動向。それと、国境辺りの情報を集めてください」
その命令に、情報班に在籍する騎士達が即座に動き始めた。
「防衛一班と二班は私の指揮下に入ってください。三班は情報班と共にメンティア領に行き、エルノア様と団長の捜索・保護を優先。四班と五班は城に残り、他の騎士達の動向に注意してください」
シャーンのその命令に、騎士達が慌ただしく支度を始めた。
この国を守れるのが自分達しかいない。その事実に、誰もが震えるほどの興奮を覚えていた。しかし、その中で最も興奮を抱いたのは、他でもないシャーンだった。
かつて晴也に言った言葉。英雄とは人に示してなるものだと。あるいはこの行いは、人に示す行いかもしれない。そんな興奮は、思わぬ絶頂の波に意識が攫われるほどに甘美なものだった。
自分が英雄になる。そんな夢物語が叶うかもしれない。そんな事実に、シャーンの中で歯止めは利かなくなっていた。
部下の手前、緩み切った表情を見せる訳にはいかなかった。何より、非常事態であることに変わりはない。シャーンは隠れるように兵舎の外に出る。口元を抑えるように手をあてがうが、それでも今のシャーンを誰かが見れば、笑いを堪えているようにしか見えないだろう。
「シャーン」
そして、そんな様子をエルメリアが見つめていた。名前を呼ばれたシャーンは慌ててエルメリアのほうに振り向く。突然のことに口にあてがっていた手を外す。驚いたように見開いた瞳と、興奮に歪んだ口元は、今のシャーンの心理が如何に歪んだものかを表しているようだった。
「……どうかしましたか、エルメリア殿下」
瞳を閉じ、口元を正すと、いつもの笑みを浮かべてシャーンはそう訊ねた。
「ねえ、シャーン。あなたはこれからどうするつもりなの?」
「どう、とは?」
「ガグランダが攻めてきた。お父さまはそう判断したわ。そうなれば、騎士団は対ガグランダに向けて動く。そこで、あなたは何をするの?」
愚問であった。何せシャーンは騎士だ。騎士とは国を守るために剣を執る者だ。であれば、国を守るために最大限の行動をするのは当然のことだった。
「あたしは国を守るために動きます。当然のことです」
「……じゃあ、なんで第二の人達に、他の騎士団の動向を注意するように命令したの?」
「聞いていたのですか」
趣味が悪い。自らの主ながらシャーンはそのような嫌悪感を抱き、表情を歪めた。
あからさまなその表情を見たエルメリアは衝撃を受けた。彼女の浮かべる笑みが、貼りつけたようなものであることは承知していた。何時か、彼女の心から笑わせてみせる。それは、密かに抱いたエルメリアの目標でもあった。しかし、それとは裏腹の、それでも心底からのその表情に思わず泣きそうになる。
「第二以外の騎士団は信用なりません」
「……それは、査問会でのことを言っているの?」
騎士団全体が、まるで第二騎士団長のグライダムを疑うかのような動きをしていた事実をエルメリアは把握していた。確かに、彼らの動きは不可解だ。あらかじめグライダムを疑うかのようなものの運びは、さながら仕組まれていたようにも見える。しかし、その意図は想像に易い。つまり彼らは、グライダムのいない場でシャーンに問うたのだ。お前は忠義ある者かと。
「彼らは自分達の有利に動けるよう、邪魔者である団長を排除しようとした。そんな輩達を信用することなどできますか?」
「邪魔者って……あなたは、彼らを何だと思っているの?」
「ガグランダの手先です」
近衛騎士候補であるシャーンとは長い付き合いであるエルメリアにはわかった。彼女は本気でそう思っているのだと。
確かに、エルダフィート国内にはガグランダと通じている裏切り者がいる。しかし、冷静に考えれば騎士団長全員が敵方と通じているなど現実的ではないのだ。
だというのに、本気でそう考えている。普通ではない。今のシャーンの状態は明らかに異常であった。
シャーンに駆け寄り、彼女の肩を掴む。いきなりのことに驚くシャーンにエルメリアは悲痛に告げる。
「お願い。今すぐ治療師の先生に診てもらって」
「……どういう意味です?」
「今のシャーン、絶対普通じゃないよ!」
冷静な判断を下せないとなれば、精神に作用する何らかの魔法にかかっているか、あるいは価値観や判断基準を洗脳によって書き換えられている可能性ある。そんな状態のシャーンを、エルメリアはほうってはおけなかった。
「あたしは普通ですよ、エルメリア殿下」
怒気をはらんだ声でそう告げると、シャーンは自らの肩を掴むエルメリアの手を無理やりに退ける。
手を退けたシャーンは、エルメリアを睨みつけるように一瞥し、すぐに何処かへと歩き始める。
「シャーン、なんで……」
そんなシャーンの後姿を、エルメリアはただ眺めていることしかできなかった。
*
オーセムの取引に応じたルーフィドは、彼が用意した早馬に跨りティカーレン川を目指していた。
ティカーレン川には、オーセムが用意した船がある。それを使ってルーフィド川を渡り、南の隧道建設地へ向かおうとしていた。
馬を走らせながら、ルーフィドはその馬の質を確かめていた。良い馬だ。ルーフィドは貸し与えられた早馬の良さに舌を巻いていた。一流の調教師の手によって手懐けられたのだろう。しなやかな走りはただ早いだけではなく、乗り手に負担を与えないものだった。
名馬と言っても過言ではないだろう。蒐集家にでも見せれば、相応の値が付くに違いない。しかし、軍馬としては二流だ。馬は消耗する道具なのだ。質が良すぎると固執を生む。
自分なら決して選ばない類の馬だ。そんなことを考えながら、ルーフィドは自分の後ろをついて来る男に意識を向ける。
ガグランダの影。エルダフィートの内通者ではなく、純粋に送り込んだ密偵。ヴァストンと名乗っていたが、恐らく偽名だろう。
ヴァストンがルーフィドについて来ていたのは、オーセムの命令だった。彼がどうしてオーセムの命令を聞いているのか。それがずっと気になっていた。
馬の歩調を合わせ、ルーフィドはヴァストンの隣に移動する。
「なあ、聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「あんた、どうしてあの胡散臭い貴族に従ってんだ?」
「何か問題が?」
「いや、そう言う訳じゃないが……」
ルーフィドは未だに、オーセムのことを信用できていなかった。何しろ、ガグランダの計画を推測で暴いた男だ。どのような裏をかいて来るかわかったものではない。
「彼は計画の初期の段階から協力していました。俺やあなた方が容易にエルダフィートに侵入できたのは、彼の功績によるところが大きい」
ガグランダが放った最初の蟻は、間違いなくオーセムだろう。彼が秘密裏にエルダフィート内で暗躍したおかげで、ヴァストンが活動する地盤ができていた。ヴァストンが南部の狩人として潜入していたのも、それが理由だった。
「なるほど。だが、それと信用できるのとでは、話が違うぞ」
どれだけ計画に尽力した人間であろうと、裏切るときは簡単に裏切る。何しろ、元よりエルダフィートという敵方の人間であるために、余計にそんな不安がルーフィドの脳裏に過っていた。
しかし、それはないとヴァストンは首を横に振った。
「彼は確かに油断ならない男です。ですが、彼と接しているとわかることがあります」
「わかること?」
「肥大した自尊心。そこから来る、出世欲です」
あるいは、そう言うものが無ければここまで暗躍などできないだろう。異常な精神構造でなければ、数年かけて国を裏切り続け、裏切りの手引きをし続けるなど常人には不可能なのだ。だが、オーセムはそれをやり遂げられるほどの歪な精神をしている。それだけの狡猾さと欲が存在した。
そこまでのことをしたあの男が、今まで積み重ねてきたことを自分の手で破綻させるとは考え難かった。
「俺が彼に従うのは、そんな彼が積み重ねた結果に従っているだけです」
信用に値するだけの結果を成してきた。彼がいなければ、エルダフィートへの侵攻はもっと遅れていただろう。それだけのことをオーセムは成し遂げた。
しかし、ヴァストン個人の考えをすれば、決して近づきたくはない人間だ。あるいは、そう言う人間は早めに始末するに限る。そんな風にも思った。裏切りの味を覚えた人間は、再び裏切る。嘘で事を成すような人間を信用するなど、ヴァストンにはできなかった。
「……なるほどね。まあ、言わんとしてることは理解した」
話を聞いたルーフィドは、ヴァストンという男も難儀だと憐れんだ。仕事でなければ、彼の命令になど従いたくもないだろう。国を容易に裏切るような相手だ。何時自分が裏切られ、身に危険が迫るかわかったものではない。あるいは、そう言う相手への楔として、ガグランダはヴァストンをオーセムに近づけているのかもしれない。ルーフィドですら気づくのが遅れるほどの気配の断ち方は、密偵や間者というよりも、暗殺者としての技術だろうとルーフィドは推察した。
そんなヴァストンが、今は自分についている。その意味をルーフィドは考えていた。オーセムに警戒されている、ということか。あるいはオーセムではなく、本国から警戒されているという意味か。どちらにしろ、意にそぐわない動きをすれば、ヴァストンがその刃を振るうということを意味しているのだろう。
聖鎚の英雄ともあろう自分が首輪を嵌められるとは。だがそれも、計画が済めば外れる。今は余計なことを考えず、南に向かうことだけを考えよう。
「……意外でした」
そう口にしたのは、問うまでもなくヴァストンだった。その言葉の意図がわからなかったルーフィドは首を傾げてヴァストンのほうを見た。
「何が意外なんだ?」
「英雄ルーフィドは、俺のような人間をむしろ嫌うとばかり思っていました」
「なんでだよ?」
ルーフィドは容易に嘘を吐く人間を嫌う。であれば、間者として大勢の人間に嘘を吐き続けるヴァストンとて嫌われて然るべきだろう。しかし、ヴァストンがルーフィドから感じるのは、そう言った嫌悪というより、同情心などと言ったものだった。それが、ヴァストンには解せなかった。
それを口に出すと、ルーフィドはなるほどと笑った。
「確かに、嘘を吐く奴は嫌いだ。信用ならないし、近づきたくもない。だけど、俺はそこまで頭が固い訳じゃない」
吐かなくてはいけない嘘があることを知っているし、嘘を吐くことが優しさであることだってある。故に、ルーフィドは嘘つきだからという理由で人を嫌ったりはしない。何が理由でその人が嘘を吐いているのか。嘘を吐いた人がどのような感情を持っているのか。それを自分なりに鑑みて判断しているのだ。
「じゃあ、なんであなたは、俺にそんなにも親しげなのですか?」
そう問うたヴァストンにルーフィドは当然のように答えた。
「そう訊ねること自体、お前が嘘を吐くことを是と思っていないっていう証拠じゃないか?」
ルーフィドのその言葉に、ヴァストンは何も答えることはできなかった。
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