第三十三話
思えば、女性に贈り物をすること自体が初めてのことだった。
海洋石のイヤリングを購入し、宝飾店の外に出た晴也は、改めてそれをエルノアに渡すのだと思うと、体ががちがちに固まってしまった。
感謝の気持ちを伝えるだけのことだ。言うならば気持ち程度の茶菓子を渡すのと大した差はない。理屈ではそうだとわかっているが、如何せん晴也の体は緊張に体が強張っていた。
同じほうの手と足が同時に前に出ている様子を見て、グライダムは呆れたように嘆息する。
「今から緊張してどうする。そんなんじゃ、殿下に耳飾りを渡すなんて夢のまた夢だぞ」
「それはそうだけど……」
別に今は緊張なんてする必要ないのだ。だというのに、晴也の体は強張ってしまう。自分の感謝の気持ちを形にした結果がイヤリングだ。しかし、これを受け取ったエルノアはどう思うだろうか。そう考えると不安になる。そして、もし迷惑だったら。そう考えると、心臓が止まりそうになる。
深く深呼吸をし、ひとまずそれを思考の外に追いやるように、懐にイヤリングの納まった小さな箱をしまう。
「それで、どうする? 一応勇者シオタの目的は終わったことになるが」
「んー、まだ時間もあるだろうし、噂の商会のお店を見てみたいかな」
「イーブラム商会、か」
晴也はこの世界をエルダフィートという国しか知らない。そんな晴也にとって、イーブラム商会は唯一、この世界の他の国のことを知る絶好の機会なのだ。
一方のグライダムは、果たしてこの時機に晴也をイーブラム商会と引き合わせてもいいものか考える。イーブラム商会がガグランダ公国と通じているのはグライダムも把握している。しかし、今エルダフィートに帰国した意図がわからなかった。
グライダムが知らされているのは南部監視塔と隧道の建設という計画だけ、それが破綻した際の次の計画は知らされていなかった。
あるいはもう一人の内通者――ガグランダとの関係上グライダムの上司に当たる人間であれば把握しているかもしれない。しかし、それを伝えないということは、今はグライダムが何か動く時機でないということだ。
不用意に近づくべきではない。しかし、ここで断って変に思われるよりは、丁度良い距離感を保てる今接触させるべきだろうか。
「そうだな。自分も外国の品には少し興味がある。覗くだけ覗くか」
二人の意見が合うと、すぐさま二人はイーブラム商会が出店している店へと向かった。
「ところで、聞いてもいいか?」
歩きながらグライダムが晴也に訊ねる。
「どうして海洋石の耳飾りにしたんだ? 石の大きさだったら胸飾りのほうが良かったし、意匠が凝ってたのは指輪だった」
「ああ、それ。んー、別に大した意味はないんだけど……エルノアさんには、これが一番似合うかなって思ったんだ」
晴也が選んだイヤリングは、見本として見せられた他の品に比べる海洋石の大きさが小さかった。それでも質の高い物であることには変わりないが、単に大きさや価値という意味では、イヤリングが最も低い。
しかし、エルノアが着けているのを想像すると、下手な主張をしている他の物よりも、金色の長い髪の隙間からちらりと見えるイヤリングのほうが、エルノアの魅力をより引き立たせているように思えたのだ。
そんな説明を口にして、晴也は思わず照れた。まるで自分が、エルノアのことばかり見ているような気分になって気恥ずかしかったのだ。
「殿下のことをよく見ているんだな」
「見てるって言うか……ここに来てから、エルノアさんと一番長くいるから」
何より、一目見た瞬間から晴也の目は勝手にエルノアのことを追いかけていた。恋情、というにはどこか温度が低いが、しかしそう否定するには些か根拠のない、半透明なものだ。
青いものだ。晴也の様子にそんな感慨を抱いたグライダムは、途端に胸に暗いものが射した。自らの行いは、そんな未熟な想いを、蕾のままに踏みつける行いかもしれない。そう思うと、隣にいる少年が憐れだった。
エルダフィートの滅亡。ガグランダに協力するということは、それに加担していることに他ならない。そして、それに王家の血筋は邪魔になる。この戦争でガグランダが勝利を収めれば、エルダフィート王家はその傍系の血筋まで根絶やしにされるだろう。あるいは、戦争で晴也自身が命を落とすこともあり得る。
彼のその想いは、花開く前に地に落ちる。もはやそれがほとんど定められている。
自分にそんな憐憫を向けられていることすら憐れだ。何せ彼は、グライダムがガグランダと通じている裏切り者と知らずに信頼の色を見せている。
どこか憂いを見せるグライダムの瞳に、晴也は首を傾げる。何か妙なことを口走ったかと先ほどの言葉を思い返すが、小恥ずかしい思いをするだけ、そんな目をされるようなことは行ってないと思える。
「グライダムさん?」
「……いや、何でもない。早く行こう」
晴也の言葉にグライダムはそう返し、歩く足を少しだけ早める。それを追って晴也も早足で歩き始める。
しばらく道を歩いていると、前に人が壁のように並んでいるのが見えた。まるで満員電車の中のようなすし詰め状態を野外で見るとは思わなかった晴也は、思わず足を止めてしまった。
「流石イーブラム商会だ。まさか、これほどまでに客を待たせるとは」
「客って、あそこにいる人達、全員イーブラム商会を見に来た人ってこと!?」
驚きだ。エルダフィートにとって外国の品というのが貴重であることは理解していたつもりだが、まさかここまでの賑わいを見せるとは思わなかった。
これは店の中を見ることは叶わないか。そう思って諦めたところで、そんな肉の壁を掻き分けて中から出てきた青年がいた。
長身痩躯の男性で、青みかかった銀髪をした青年。顔立ちは精緻で、街中を通れば思わず二度見してしまうくらいに整っている。そんな、思わず視界の真ん中に収めてしまうような魅力を持った青年だった。
しかし、晴也が彼に注目したのはそんなことが理由ではなかった。晴也の内側で疼く奇妙な感覚。親近感というには弱く、恐怖というには浅い。虚ろな違和感。だというのに、それを抱いてから晴也は、そこにいる青年に警鐘を鳴らし続けていた。思わず、腰に佩いた聖剣の柄に手を伸ばしてしまうほどに。
「――あなたは」
そしてその青年――アースターは、晴也を目にした瞬間に理解した。そこにいる人物は、自分やルーフィドと同じ、神器に認められた者であると。すなわち、エルダフィートの聖剣に認められた勇者であると。
昼時を告げる鐘がグリムシャニス中に鳴り響く。
これが、晴也とアースターの邂逅。そして、エルダフィートの存亡を決める、戦端でもあった。
*
イーブラム商会の長であるマーケリィと共にエルダフィート入りし、時機が来るまでグリムシャニスに潜伏することとなったアースターとルーフィドは、商会の仕事というものを甘く見ていた。
店に来た客に対して、要求された物と金銭を交換する。それが、店先での仕事だと思っていた。しかし、実際は違う。店に来る客はその誰もが必ず値引き交渉をしてきて、目を話せば商品を盗まれる。交渉を手早く済ませるために相手の要求に応じれば、商会に損益が発生して見込み以上の収入が得られなくなってしまう。
客からも雇い主からも睨まれ続ける。そんな板挟みの戦場は、如何に百戦錬磨のルーフィドとて耐え難いものだった。
彼がそうであるのなら、神殿の司教でしかないアースターには余計に苦しい物で、押し寄せてくる客を見ると、次第に息苦しくなるようになってしまった。
まさか、戦う以前にこのような試練を与えられるとは思わなかった。アースターは今日も今日とて必死に接客に勤しむが、それでもさばき切れるものでもない。ルーフィドを除く他の店員が五人と取引を結ぶ間に、アースターとルーフィドは一人の客すらも満足いく商談ができないでいた。その度にマーケリィに助力を請い、毎度のように叱られている。
素人なのだから致し方ない。そう言っても、怠慢な者に塩は与えられずとマーケリィはその日の食事を人質にしてくる。
聖人と英雄だからとあれほど低頭な態度をしてきたというのに、いざ商売となると、マーケリィという男は随分と大きな態度をとる。あるいは、誰に対してもそう言う態度がとれるからこそ、イーブラム商会という一つの大きな組織を背負うことができるのかもしれない。
どうにか一人の客をさばいたアースターは、一度店の裏手に戻っていった。
店の中にある休憩所に、ルーフィドの姿はない。今はマーケリィと共に外回りに行ってくると先ほど聞かされた。時機が良ければその立ち位置はアースターが得るはずだったというの。内心でルーフィドのことを恨みながら、アースターは休憩所の椅子に腰かける。
アースターがエルダフィートに潜入したのには、理由がある。一つは、エルダフィートの視線を国内に引き付けることだ。現在のエルダフィートは、裏切り者の存在によって政治的視点の内側を注視している状態にある。これを、物理的な視点においても内側に集中させる。つまり、エルダフィートの防御力を低めるために、アースターはこの場に派遣された。
もう一つは、いわば予備の計画だ。アースターはそうガグランダ大公から聞かされていた。しかし、効率という面で考えれば明らかにその計画のほうが本命と思えた。エルダフィートの貴族に、王族を殺させるなんていう主計画は、些か難度が高すぎる。
水差しの中の水を木杯に注ぎ、それを一気に飲み干して喉を潤す。
店は押し寄せる客の熱気で、非常に室温が高かった。その上、その熱気を直にぶつけられる立場にあり、ただ話しているだけだというのに、アースターの体に汗を滲ませた。
そろそろ昼時を告げる鐘が鳴る。それはつまり、アースターに与えられた休憩の時間が始まるということだ。
褒められたことではないとわかっていながら、アースターは早めに裏に戻り、気分を変えるために裏口から店の外に出ていた。
ともあれ昼食がてら、お茶でも飲もう。そう考え、ここ最近行きつけの喫茶店へ行こうと表通りに出る。
「すごい人だ……」
表通りには未だにイーブラム商会の店に入ろうとする人で溢れかえっていた。道路という秩序を無視するかのように押し固められた人の群れは、しかし入店と退店が絶え間なく行われている。無秩序の中にある秩序。煩雑の中にある規則性。誰かが決めた訳でもないのに、そこにいる人々の共通認識としての暗黙の了解が存在していた。
あるいはこの街にいる人間の特色なのかもしれないが、それでもそのような光景は、少なくともガグランダでは見られるものではなかった。ガグランダでこの光景を再現しようとしても、すぐに横入りや喧嘩、窃盗や傷害に発展するだろう。
この街の人々は、他者の行いに寛容なのだろう。それ故に無秩序に陥っても誰も咎めない。一方で、他者に対しての一定の思いやりもあるために、最低限の秩序が保たれる。絶妙だとも思う。国民性としては、素直に褒めずにはいられなかった。
一方で、このような光景を作り出しているのが、外国の品を見たい、買いたいという欲求が根底にあることにアースターは嘆く。
鎖国的な状況にあるエルダフィートの国民が、外に触れられる数少ない場。その一つがイーブラム商会の商品だ。誰もが、そんな物に集る。これも決して、ガグランダでは見られない光景だ。
誰もが外の世界に焦がれている。その熱に喘ぐように、人々はこうして集っている。
彼らは神敵だ。神の敵は滅ぼさねばならない。一方で、目の前にいる彼らは、あるいは救いを望んでいるのかもしれない。エルダフィートという狭く息苦しい籠から、エルシェ教という誤った価値観から、解放されたいと望んでいるのかもしれない。もしそうであれば、ロジェンカの司教として、そして神に選ばれた聖人として、彼らを救うべきなのかもしれない。
不要な煩悶だ。アースターは首を振る。例え救いを求められようと、アースターが救える人間の数には限りがある。神に選ばれた聖人と言えど、所詮はただの人でしかない。あらゆる者を救えるほど全能ではないのだ。
そんな諦観に心を浸しながら、人だかりを掻き分けるようにアースターは進む。人々はアースターの姿など見えていないかのように店のほうへと動き、非常に歩き難い。人の熱気と肉の壁に身を削られながら、どうにかアースターは人だかりを抜ける。
一呼吸吐き、前を見る。
そこに、一人の少年がいた。
黒い髪に黒い瞳。この辺りの国では珍しい容貌の少年だった。少年は驚いたようにアースターを見つめ、無意識的に腰に佩いた剣に手をかけていた。
「――あなたは」
少年――晴也を見た瞬間に、アースターは理解する。彼は同類だと。自分と同じ神に選ばれた存在。レイクスの選別を乗り越えた、聖人や英雄に並び立つ者。すなわち、エルダフィートの勇者だ。
アースターは晴也の隣にいる騎士の男を見る。人相に覚えがあった。名前は確かグライダム。事前に教えられた、ガグランダにと通じている内通者だ。
この時機に勇者との接触は想定されていない。何か計画に変更があったということか。様々な考えがアースターの脳裏に過る。一方のグライダムも、アースターと晴也の態度に、予想外と言わんばかりに目を見開いている。
晴也は今すぐにでも剣を抜かんとしている。些かそれを抜かれれば、アースターとて応戦しなくてはならない。
聖剣との戦闘で、果たして周囲に気を配っていられる余裕があるか。アースターには未だ、晴也が聖剣の力を引き出したという情報は与えられていなかった。故に、晴也がどのように戦うのか全く情報がない。そのような状況で、周囲に気を配れるほどの余裕は得られなかった。
「……あんた、何なんだ」
低く構え、警戒心を強く露にしながら晴也がそう誰何する。
何、と問われるとアースターはどう答えるか悩んでしまう。この段階で正体を明かすべきか。しかし、そうなれば戦闘は必至だろう。彼からすれば、アースターは侵略者なのだ。一方で、誤魔化すのも無理だろう。アースターの中にある感慨は、同じように晴也も抱いているものだ。同類に対する共感、とも言える感覚。それがある限り、どれだけ嘯こうが晴也はアースターに対して警戒し続けるだろう。
「ワタシは――」
アースターが口を開いた瞬間、アースターと晴也の間に岩壁がせり上がる。ガンテダの魔法だ。ディンの起こりを感じさせない滑らかな魔法の使い方は、熟練の戦士のものだろう。つまり、その魔法を使ったのはグライダムだ。
「ちょっ、グライダムさん――ッ」
唐突の魔法行使に周囲がざわめき立つ中、岩壁の奥からそんな声が響く。そしてしばらくすると、岩の陰から晴也を抱えたグライダムが建物の上へと跳躍するのが見えた。
「……逃げた?」
好都合と捉えるべきか。いや、悪手だろう。アースターは現在の状況を鑑みる。
アースターと晴也の邂逅は、計画ではもう少し後を想定されていた。時機としてはガグランダからの命令が下り、ルーフィドが行動を始めたあたり。そこで、アースターかルーフィドが晴也と相対し、聖剣の力を引き付ける。そう言う手筈だった。
しかし、この時点で接触してしまった。そうなれば、晴也はアースターの存在を警戒するだろう。あるいは、即座に王国中に聖人がエルダフィート内にいることが伝わるかもしれない。そうなれば、ガグランダの計画の主軸が折れる可能性がある。
何より、グライダムがあのように動いた時点で、彼は晴也に追及されることになる。そうなれば、アースターの正体が露見するのも時間の問題だ。
「なら、先手を取るまでか」
想定外の事態で流れが変わるのなら、その流れを掌握できる側にいる必要がある。アースターは左腕を空へと上げる。
ディンを操ると、アースターの周囲に赤み掛かった雷がぱちりと瞬く。そして次の瞬間に、空へと向けていた掌から、同色の光の玉が空に向けて放たれた。
緩やかな動きで空へと放たれた光の玉は、ある程度の高さに達すると、稲妻が落ちかのような轟音が響き渡る。
この計画に従事している者に向けられた、緊急事態を知らせる合図だ。それを送ると、アースターは全身よりディンを放つ。彼の周りに赤雷がバチバチと瞬くと、彼はさながら瞬く光のような速さで空へと飛び上がる。
屋根の上に着地すると、先のほうに晴也を抱えるグライダムが見えた。グライダムはディンで強化した身体能力を最大限生かし、グリムシャニスを囲う壁を飛び越えようとしていた。
「街の外に出る? ……なるほど、そういうことですか」
グライダムの意図を察したアースターは、そう考える自分達は偽善だと嘲笑し、強く踏み込んで再び宙へと飛び出した。
アースターが地面を蹴ると、小さな稲妻が落ちたような音が周囲に炸裂する。屋根に着地しては再び飛び出し、落雷を轟かせる。赤雷をまとったアースターの姿は、青空に赤い星が流れているかのようだった。
第三十三話を読んでいただきありがとうございます。
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