第十八話
男はヴァストンと名乗り、自らの住まう小屋へと二人を案内した。
夜の闇をかすかに照らすのは、油を燃料にか細く燃える照明。それは城や監視塔、王都を照らす魔法の照明とは打って変わり、懐かしさを抱かせ、思わず安堵の息を吐いてしまう。
「大したもてなしはできないが、とりあえず座れ」
部屋の中に二人を招いたヴァストンは、肩に背負った弓や矢筒を置き、部屋の奥へと消える。
晴也とエルノアはお互いに顔を見合わせ、並び合って椅子に腰かけた。しばらくするとヴァストンが奥の部屋から戻って来た。その手には鍋を持っている。
「その格好から察するに、二人は貴族様なんだろ? その上訳アリだ」
黒袖黒穿きの上に頭巾を被った二人を見ながらヴァストンはそう口にする。その言葉に警戒心を露にする二人だが、それを一瞥したヴァストンは口を開いた。
「警戒する必要はない。あんたらにどんな事情があろうと、聞いたりしないし、告げ口もしないさ。貴族様の問題に首を突っ込んだって、良いことはない」
それを聞けば、彼が貴族という言葉に付ける敬称が皮肉であることが窺えた。これがこの国の、貴族に対しての認識なのか。それとも彼だけかひねくれているのか晴也にはわからなかった。しかし、事情を聞かず、助けてくれるというのなら甘えない手はない。
「事情を聞かずに助けてくれるのならありがたい」
「助ける訳じゃない。森を余所者の血で汚したくないだけだ」
そう言いながらヴァストンは、調理用のかまどに火を灯す。何ら道具を使ってないところを見るに、魔法で火を起こしているのだろう。しかし、薪が燃え始めれば魔法は使わず、自然のままの火を頼る。
城で一度、どのように料理を作っているのか気になって見たことがある。料理にも魔法が用いられていた。火加減を調整できる魔法の道具。水と火の魔法の力を利用して材料を蒸す蒸し器。風と水の魔法で食材を保存する倉庫。その光景は、どことなく日本の一般的な家庭に見られる台所風景に似ていた。しかし、鍋を火にかけているヴァストンの姿は、一昔前の文化のやり方のように見えた。
かまどの脇に置かれていた入れ物の中からパラパラと調味料と思しき粉を複数入れ、お玉で鍋を掻き回すヴァストン。そんな彼の背中を見ながら、エルノアが訊ねる。
「ヴァストンさん、一つ伺ってもよろしいですか?」
「どうして魔法をもっと使わないか、だろ」
訊ねようとしたことを先んじて口にされたエルノアは、驚いたように目を見開く。こちらを見たヴァストンは、まるで嘲ているように見える下手糞な笑みを浮かべながら答える。
「別に驚くことじゃないさ。俺のこの暮らしぶりを見れば、誰だってそう訊ねるのさ」
鍋の中身をお玉で掬い、味見をするヴァストン。納得いかないのか、表情を少し歪め、再び入れ物の中の調味料を入れてかき混ぜ始めた。
「魔法を使う生活は便利さ。俺だって、必要なときは使うぜ。かまどに火を起こすのが安全にできるし、さっきのヴォンターみたいな食える場所のない害獣共を殺すときだって使う。けど、魔法を使わなくてもできることには、極力使いたくないのさ」
再び鍋の味見をして、頷く。今度は納得のいく味になったのか。二度ほど中身を回し、お玉を話して体をこちらに向ける。
「俺は王都に行ったことはないが、すごいんだろ。やろうと思えば、魔法の力で夜に昼をもたらすほどの明かりを生み出すことができる」
「ええ、エルディンの量の問題で、それをすることはできませんが、国民全員のエルディンを用いれば理論上は可能です」
「へえ。まあ、そこまでいかずともさ、部屋の中を魔法で明るく照らすことくらいはできる訳だ。俺だって魔法を使う。夜に昼をもたらすことが理論上可能なら、夜の部屋に昼をもたらすことが容易なのはわかる」
夜に昼をもたらす。なんとも想像し難い光景だが、晴也は東京のネオンの明かりを想像した。目を凝らす必要もなく夜道が照らされるあの光景は、確かに夜に昼をもたらしていると言っても過言ではないかもしれない。晴也はエルダフィート王国に来てそんな様子を見たことはなかったが、エルノアの話しぶりから察するに、やろうと思えば可能であるらしい。
「明るければ、人は何かしようとするだろ。それこそ、寝る間も惜しんでさ。そうじゃない奴もいるだろうが、暗くないから働くって奴は絶対にいる訳だ。貴族様ならそう言う連中を知ってるんじゃないか?」
「……」
「果たしてさ、それが本当に正しいことなのかね? 神様は俺達にこの便利な力を与えてくださったけど、こんなことのために使うものなのかね? そう思うと、俺は下手に使えなくなるのさ」
そう持論を語ったヴァストンは、再び鍋のほうに体を向けた。
夜に昼をもたらす魔法。それは間違いなく、自然としてはおかしなことなのだろう。しかし、晴也はそれが実現している世界を見てきた。確かに、ヴァストンのように昼も夜も働き詰めの人間はいる。コンビニエンスストアなど二十四時間営業だ。しかし、それでも多くの人は昼と夜と世界を区切って生きている。例えそのバランスが崩れても、どこかで帳尻が合う。
正しい形ではないかもしれない。しかし、正しくあろうとするのが人間なのだと晴也は思った。
つまり晴也は、ヴァストンの持論に基づいたこの魔法を極力排した生活は、どこか行き過ぎているように思えたのだ。
「――よし、できた」
鍋の中から仄かに湯気が立ち伸びる。鼻孔をくすぐるのは空腹を刺激する匂い。思えば今日は一食も食べていない。昼頃に起きた晴也にありつける食事はなかった。
「貴族様が普段食べるような豪勢な物じゃないのは我慢してくれ」
そう言って鍋の中のスープを木製の器に注いだヴァストンは、それと木製のスプーンを晴也とエルノアの二人に渡した。
「いただきます」
そう口にして、晴也はスープを掬い口に含む。
城で食べたものに比べれば薄味だ。それでも、野菜から染み出た旨味や僅かに加えられた調味料の風味が、空っぽの胃袋を優しく満たしていた。
「美味しい」
「そうかい。貴族様の舌に合ってよかったよ」
そう言いながら、ヴァストンは自分の分のスープを掬い、それを食べ始める。
「……もう一つ、聞いてもいいですか?」
食事も半ばを迎えた頃に、エルノアが訊ねた。
「先ほど、ヴォンターを屠ったあの魔法。ガンテダですよね?」
「……夜闇の中で見切ったのか? エライ目だな」
魔法を用いて強化した矢。言葉にしても違和感はない。それがどうしたことだろうと晴也は口の中の野菜を呑み込んでエルノアのほうを見る。
「この辺りがヴォンターの棲家であるのなら、その近くに住んでいるあなたに相応の実力があるのは不思議ではありません。けれど、暗闇の中、正確にヴォンターを射抜いた。それも、ガンテダで加工した矢で。……正直な話、単なる狩人の腕ではない。そう考えています」
ガンテダ――大地に類するという意味のある魔法の言葉だ。しかし、それで強化なり囲うなりした矢でヴォンターを倒すことの何がおかしいのか、晴也にはわからなかった。そんな晴也にエルノアは説明をする。
「先ほどの彼の魔法は、鏃をガンテダの魔法で加工していた。硬い魔法の岩で、鏃を強化したのです。その結果、鏃は通常の二倍以上の体積になり、重心の均衡が崩れ、まっすぐ飛ぶはずがないのです。訓練すれば、狙った場所に射ることもできましょうが、それを夜の闇の中で行うのは不可能です。しかし、彼はそんな不安定の矢を、夜の闇の中で、正確にヴォンターを射抜き、木に縫い付けた。並大抵の技術ではありません」
それを聞いて晴也が最初に思ったのは、嫉妬だった。
どう足掻いても自分が持てない物を、ただの狩人が持っている。それも、卓越したものを。これを嫉妬せずにはいられなかった。
自分は聖剣に選ばれたというのに、魔法が使えないという持たざる者。誰もが望むのは、あの程度の獣を一蹴する程の実力。しかし、日本で生まれ育った晴也に、それができる程の戦闘能力などありはしない。
日本で生まれて幸せだったと思う反面、こうなった結果を鑑みると、もっと戦う技術を教わるべきだったと恨みがましく思ってしまう。
「……それで、ヴァストンさんはなんでそんなに弓が上手いわけ?」
そんな嫉妬を散らすように、晴也がヴァストンにそう訊ねる。するとヴァストンは困ったように頭を掻く。
「こっちはあんたらの事情を詮索しないのに、あんたらはこっちの事情にずかずかと踏み込むのな」
そう言われて、思わず晴也は口籠った。ただでさえこちらは助けられた身分。その上事情も聞かずにだ。そんな人間が、相手のことを根掘り葉掘りというのは厚かましいにも程がある。しかし、エルノアが続けて口を開いた。
「あなたほどの実力があれば、国の騎士団でそれなりの地位を得ることもできます。王国騎士団は、試験に合格すれば平民でも入団が許されます」
「ははっ、そういうところが貴族様の考えだな。都合よく考えすぎ」
今度こそ、ヴァストンはエルノアを嘲笑った。
「騎士団に入ることくらいはできるさ。だが、入った後はどうだ? 貴族様よりも優秀な平民がいることを、貴族様方は許すか? 許さないだろ。奴らはありとあらゆる手段を使い、自らの汚点を拭い、その原因を作った平民を封殺する。経歴のためなら奴らはなんでもするからな」
「エルダフィートの貴族に、そんな外道はいません」
「現実見ろよ。あんたら貴族様は、本当に国民のことを見てるか? 国民が何を思って日々を生きてるか知ってるのか?」
まるで国民を代表するかのような言葉に、エルノアは言い淀んだ。それが答えと言わんばかりに、ヴァストンは言い放つ。
「国のことを悪く言いたくはないが、この国は平民に生き辛いんだよ」
王族や貴族、あるいはそれに仕える者。そういう上流階級の人間に囲まれて過ごしてきた晴也には、入り込む余地すらなかった。
*
その日はヴェストンの家に泊まらせてもらうことにした。
先に部屋で眠りについたヴェストンと晴也を余所に、エルノアは一人家の外に出ていた。
森の中の開けた場所。ヴァストンの家はそこに建っていた。そこから見える満天の空は傑作で、思わず地から足が離れてしまうほど吸い込まれてしまうほどの美しさを誇っていた。
星詠みの巫女であるエルノアには、その星空は美しいだけの景色以上の意味を有している。今年も豊穣の巡りが星空に見られる。去年に引き続き、今年も各地で質の良い野菜や麦が取れるだろう。
良いことだ。そう思う気持ちに偽りはない。しかし、そんな野菜や麦を育てる農家、平民達のことを、エルノアは知らない。国王になるために努めてきたエルノアは、しかして国に最も重要な民のことを疎かにしていたのだと、ヴァストンの言葉を聞いて初めて思い至った。
民を無下にする王があってはならない。しかし、あのように語る民がいる事を、父は知っているのだろうか。妹は知っているのだろうか。そんな悩みを打ち明けるように、エルノアは星を見上げる。
星は答えない。星を通して見受けられる神の意思に、人への関心はない。それを自覚すると、思わず悲しくなる。神が造りたもうた人は、しかして神が見守るに値しないということだろうか。
悲愴的になっていることを自覚して、エルノアは鼻で笑う。
神が人の意を介さないことなど幼い子供でも知っている。神の作為を星の巡りから読み取れる星詠みの巫女だからと言って、自惚れていたのだろう。
切り替えてこれからのことを考える。
ヴェストン曰く、近くに村があるらしい。よく騎士が巡回に来ると言っていたため長居はできないが、それだけ騎士の動向を見ているという証左でもある。
そこで情報を得て――どうするのか。
エルノアの考えが止まる。この行動に出たのは半ば勢いだった。冷静さを欠き、エルメリアや第二騎士団への当てつけに等しかった。しかし、ここまで来たならば何かを得なくてはならない。けれど、何を得ればいいのか。
晴也は言った。エルメリアや第二騎士団の面々を見返すためにと。そんな気持ちがない訳ではない。しかし、それをしたからと言ってエルノアの評価が上がる訳ではない。政治は個人間の情でするものではない。全体の総意によって執り行われるものだ。総意を乱さんとするエルノア達の今の行いに、王としての資質を見出せというのは土台無理な話なのだ。
王になりたい。そう語りながらも、その行いは正反対だ。その事実は滑稽で、思わずエルノアは笑みを浮かべてしまった。
「――何か楽しいことでもあったの?」
ヴァストンの家のほうから声がする。そちらを向くと晴也の姿があった。
「いえ……ただ、自分は子供だなと思って」
エルノアの隣に来て地面に座り込んだ晴也が空を眺める。その星空の美しさに呑まれたように感嘆の声を上げる晴也に思わずエルノアは笑う。
「俺にとってエルノアさんはとても大人だよ。それでも子供なの?」
過分な評価だ。身に余る晴也の言葉に首を振ってエルノアが答える。
「私は王になりたかった。生まれたときからそう王に相応しくあれと育てられたから、そうなろうと努めてきたから。何より、父に憧れたから。だから頑張って来たつもりです」
あるいはこの感情は、憧憬というには些か歪んでいるかもしれない。何せエルノアにとって、父は理解できない相手だ。そんな相手への感情は、憧憬というより忌避か興味だ。父のようにはならんとする反抗。父のようになりたいという願望。それらがない交ぜになったエルノアの感情は、何処か複雑で歪だ。
それでも、王になりたいという感情は現実だ。なりたくて努力してきたつもりだ。しかし、結果はこの有様。個人の感情を優先してしまう様など、愚かしくて目も当てられないほど子供だ。
「ヴァストンさんに言われたこと、気にしてる?」
それが致命的であったことは自覚している。けれど、本来であればもっと早くに気づくべきことだったのだ。王を目指すのなら、民のことを真っ先に考えなくてはいけない。表面をなぞるのではなく、彼らを理解しなくてはいけなかった。エルノアにはそれが足りていなかった。
「あの人はちょっと過激なんだよ。だから、エルノアさんが気にすることじゃない。それに、あの王様がそういう形にしてるんだから、きっとそれが正しいんじゃない?」
晴也には難しいことなどわからない。政治など興味すらなかった人間だ。だから、そのようなことしか言えなかった。今までそれで大きな問題がなかったのなら、そのやり方は概ね正しいのだ。そして、その考えは確かにその通りでもある。しかし、とエルノアは首を振る。
「例えそうであったとしても、それに納得するだけの、自分なりの考えを持つべきなのです。ただ流されるだけの王に意味はありません。王は国という流れを作らなくてなりませんから」
ようは行動力の問題だ。疑問があれば動く。動いて確かめて、自分なりの考えを持つ。それが必要なのだ。特に、王になる前の今のエルノアには。そうでなくては、国という大きな流れを生み出すことはできない。ここ最近でエルノアは、それを強く実感していた。
戦争への準備として聖剣を求める王国。自分よりも確かな才能を見せる妹の姿。それらを見れば、嫌でも実感せざるを得ない。
「……私は、王に相応しくない」
そう思わざるを得なかった。
落ち込んだ様なエルノアの姿を見て、それでも晴也は笑った。
「なら、よかったじゃん」
思いもよらない晴也の言葉に、エルノアは驚いた。慰めの言葉を求めていた訳ではないが、それでも晴也であれば、そう言う言葉を口にすると思っていた。しかし、実際に彼が発したのはそんな言葉だった。
「よかったって……」
その言葉の真意がわからなかったエルノアは、戸惑ったようにそう口にする。すると晴也が答えた。
「いや、自分に何が足りなくて、このままじゃダメだって今わかったんならよかったなってこと。そのまま王様になって失敗したら大事だろ? だから、今のうちにそれがわかってよかったってこと」
思わぬ反応に、エルノアはどう返したものかと戸惑った。しかし、そんな彼女よりも早く晴也は笑みを浮かべて言った。
「今からでも遅くないよ。むしろ、まだ王様になってないんだから、遅いなんてこと絶対ないだろ? だからさ、なろうよ。王様に。俺、そう言うことよくわかんないけどさ、エルノアさんが王様になったら、きっとすごくいいと思うんだ」
晴也の言葉に、鼻の奥が痛むのを感じた。
王たるべし。そう教えられてきて、努めてきた。しかし、大臣の中にはエルメリアのほうが次代の王に相応しいと声が上がっていたのを知っている。次第にその声が大きくなり、エルノアが次代の王である証拠は、エルメリアの姉という点しかなかった。
だからそうやって、自分が王になることを乞われるなんて初めてのことだった。
それが嬉しくて、そんな想いが溢れ出しそうになるのを必死に堪えて俯いた。
俯くエルノアを見た晴也は、自分の力の無さに歯噛みする。
本来であればエルノアがそう自らを責める必要はないのだ。聖剣を引き上げ、その担い手も同時に見つける。その偉業を成したエルノアが、どうして暗い森の中で、泣きそうな顔をするのか。
――自分のせいだ。
晴也が聖剣の力を引き出せなかったために、エルノアの価値は損なっている。無能な勇者を呼び出した、無能な王女として。そんな流れが、エルノアを呑み込んでいる。
そんな自分が、どんな顔をして彼女の力になると言えよう。自分の全ての言葉が、彼女の首を絞めるのだ。
晴也は星を見上げる。今はどんな星の位置にあるのか、晴也にはわからなかった。それでも、もしその先に神がいるのならば、願わずにはいられなかった。
エルノアを支えられるだけの力が欲しい、と。
そんな二人を見下ろす視線。闇夜を飛び交う夜鷹のものか、あるいは別のものか。それを知る者は、この場にはいなかった。
第十八話を読んでいただきありがとうございます。
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