表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第二章 そして錨が上がる
17/54

第十六話

「一度休憩にしましょう」

 時は戻り、アズローの聴取を行っている尋問室で、エルノアはそう口にした。

 アズローの表情からは疲労の色が伺えた。強く叩きつけられるグライダムやシャーンの言葉に、彼は精神を随分とすり減らしている。

「休憩、ですか」

 エルノアの言葉に、シャーンがそう口にした。眉を顰めている様子を見れば、エルノアの意見に反対であることなどすぐ見て取れる。そして、それは表情の変化が見えないグライダムも同意見であることを、エルノアは察していた。

「休憩もなしにこれ以上聴取を続けるのは非効率です。何より、馬車の損壊の容疑者はアズローだけではありません。あとがつかえています」

「それは……」

 何か言い掛けて、シャーンは口を噤む。やはり、馬車の損壊に関して何か知っているのは、彼ら第二騎士団なのだろう。しかし、ここでそれを指摘するのは要らぬ衝突を招くだろう。

 エルノアが休憩を進言したのは、アズローの調子を考慮してではなく、彼らの真意を問いただすためだ。

「そうですね、お姉さま。確かに、色んなことを一度に聞いても、パッと出てくるわけないですものね」

 賛同したのはエルメリアだった。笑みを浮かべて手を合わせるその様は、彼女が何を考えているのか、一切悟らせてくれない。その様子が、どことなく自分の父と重なって、エルノアは思わず奥歯を噛みしめる。

「ですがエルメリア殿下。あとのためにも、ここできっちり吐かせておいたほうが――」

「シャーン」

 ただ一言、エルメリアはシャーンの名を口にした。それを聞いて、シャーンは口を閉じ、エルノアの言葉に従うことにした。

「……では、しばし休憩しよう。だがアズロー、貴様はここで待機だ」

 話がまとまると、グライダムがアズローにそう言った。それを聞いてアズローは小さく頷き反応した。

「あの部屋は息苦しいわね、参っちゃった」

 尋問室から出たエルメリアの最初の一声はそれだった。そんな部屋にアズローがまだいるというのに、あっけらかんとした物言いに苛立ちを覚えながら、エルノアは口を開いた。

「エルメリア、あなたは何をしているの」

 まっすぐとエルメリアにそう訊ねる。するとエルメリアは首を傾げた。まるでエルノアの言っていることの意味がよくわかっていないような様子に、エルノアは強く拳を握り締めた。

「エルノア殿下、これは作戦なのです」

 エルメリアへの問いに答えたのはグライダムだった。彼はエルノアに、南部監視塔に怪しげな動きがあると掴んだことと、エルメリアの協力のもと、馬車を壊したことを説明した。

「すべてはこの地で何が行われているのかを探るため。ひいては王国のためです。何卒、ご容赦ください」

「そのことを疑ってはいません。騎士の行いは須らく国への忠義であると心得ています。しかし――」

 解せない。それならば正々堂々と調べればいいのだ。だというのに、わざわざ搦め手を使ってこのような場を設ける必要はない。

「何故、そのことを私に黙ったままでいたのです。何らかの意図があるのなら、しかと告げるべきではなかったのですか」

 最も解せないのはそれだった。騎士団長(クーラーレーン)であるグライダムならば、それを忘れていたなどということはないだろう。つまり、意図して報告をしなかったということだ。

 そんなエルノアの言葉に、エルメリアが小さく笑った。

「確かに、お姉さまの言う通り前もって報告はするべきでした。けれどそれは、些細な問題じゃない?」

「些細な問題?」

「ええ。だって、あの壊れた馬車を見れば、それくらいは察することができたでしょう?」

 そんな馬鹿な。そう口にしようとしたが、エルノアにはできなかった。何せ、エルメリアがそれを本気で言っているとわかってしまったから。

 エルノアを見るエルメリアの瞳には、確固たる自信が見えた。自分であれば、壊された馬車を見ただけで、ここまで察することができると。

「……エルメリア、あなたはあの馬車の何を見て、第二騎士団の意図を察するというのです」

「何って、第二騎士団の練度と監視塔騎士の練度を比較すれば歴然じゃない? 監視塔は前線基地で、それの運用に関して言えば監視塔騎士のほうが上手。けど、騎士一人ひとりの練度を考えれば、第二騎士団の監視を掻い潜って、馬車を壊すことは不可能。騎士個人、あるいは集団の練度を鑑みれば、自ずとそう言う答えが出てくるでしょ?」

 そう説明されて、エルノアは思わず納得した。

 要所要人の警護をしている第二騎士団は、言わずもがな警備と対人制圧の知識と経験に富んでいる。一方でほとんどを第五騎士団の人員で構成されている監視塔騎士は、基地管理や運用の知識はあっても、対人戦闘の経験は乏しいだろう。警備の専門家の目を掻い潜って、馬車を損壊させるほどの実力がない。そう考えれば、確かにあの馬車からそれを読み取ることはできるかもしれない。しかし、エルノアはそこまで断定的に考えることはできない。

 もしかしたら、あるいは。そんな可能性が頭の中を過ってしまう。

「……もしかしてお姉さま、わからなかったの?」

 エルメリアのその言葉を聞いた瞬間、エルノアは彼女に対して抱いていた後ろめたさが何なのか理解できた。

 嫉妬だ。エルノアにはなくて、エルメリアが持っているもの。物事を見通す慧眼。国王である父譲りの、王者の目。エルメリアはそれを持っていた。

 見せつけられれば、自覚せざるを得なかった。胸裏を焦がす炎を自覚すると、胸の内がより熱を帯びたように感じた。耐え難いほどの熱。叫び散らしたくなるほどの感情。

 それを必死に堪えて、エルノアは口を開く。

「ええ、わからなかったわ。だから、次からはちゃんと報告して」

 エルノアの言葉を聞くと、エルメリアは驚いたように目を開く。そんな彼女の様子がエルノアの癇に障る。彼女に悪気がないのはわかっている。しかし、その無責任な信用を押し付けられると苦しいのだ。

「……ごめんなさい、ちょっと体調がすぐれないから、少し部屋休んでるわ。後の聴取はエルメリアに任せていい?」

「それは、うん、大丈夫だけど」

「それじゃあお願い。少し横になれば良くなるから」

 それだけ言うと、エルノアは早足でその場を後にし、自分の部屋へと向かった。

 握り締めていた拳は、いつの間にか掌の皮膚を裂き、血が滲んでいた。


    *


 自作自演の馬車損壊。不穏な動きをする監視塔騎士。それらの事情を聴いた晴也は、より明確な敵の存在を意識するようになった。

「……エルノアさんは、監視塔の騎士達が何をしていると思うの?」

「わかりません。エルメリアや第二騎士団は、監視塔騎士は何者かに賄賂を受け取っていると考えているみたいですけど……」

 賄賂。その言葉に、これが晴也の想像もつかないほど政治的な問題なのだと感じた。それでも、何者かが騎士を使って良からぬことをしようとしていることだけはわかる。エルメリア達はその良からぬことを暴くために行動している。ようやく晴也は、事の重大さを呑み込めた。

「それでエルノアさん。俺はどんなことをすればいい?」

 改めて晴也はそう訊ねた。ここまでの話を聞けば、その良からぬことに関連することでああることはうかがえる。しかし、そんな難しそうな問題を、晴也が力を貸したとて解決できるとは思えなかった。

「これから私は、監視塔を出て騎士達の動向を探ろうと思っています。その協力を、シオタ様にはお願いしたのです」

「外に出てって、他に人は? ジルバとか」

「ジルバはこちらに控えさせます。彼女はきっと、私を引き留めるでしょうから」

 エルノアの安全を考えればそうするだろう。事実、それを言われた晴也も、エルノアを止めようと口を開きそうになった。そうしなかったのは、彼女が辛そうだったからだ。

 思い詰めたようなエルノアの表情は、何かバランスが崩れたら、一瞬にして瓦解してしまうような脆さを思わせた。そんな彼女が始めようとしていることを晴也が止めることなどできない。

「でも、一緒に行くのが俺一人じゃ危ないと思う。いざ襲われたら、ちゃんと戦えるかどうか……」

 晴也は腰に佩いた聖剣を見る。その力を振るうことができれば、晴也は自信をもってついていくというだろう。しかし、それもできなければまともに戦える実力もない晴也が、エルノアのお供を務められると思えなかった。

「安心してください。この辺りはスーリロム領。犯罪件数は他の領に比べて特に低いですから」

 思えば、ここに来る馬車でエルメリアからそう説明されたのを思いだした。スーリロム領の特徴は治安が良いところだと。治安が良いというのがどの程度のことを言っているのかまではわからないが、それでも、他の場所よりは、晴也一人でも歩きやすい土地柄なのかもしれない。

「そっか……それなら、俺一人でも大丈夫か」

「はい。それに、私も魔法が使えますから、いざというときには戦いの役に立てると思います」

 そう言いながら、エルノアは腕に力こぶを作るように見せた。彼女の細腕にこぶなど出来ていないが、それでも彼女のその腕が、非常に頼もしいものに晴也には見えた。

「それじゃあ、どうやって外に出る? 流石に、正面から堂々とはいかないでしょ?」

「そうですね。監視塔には必ず、要人を逃がすための隠し通路があるんです。それを利用しようと思います」

「隠し通路か。それなら、誰にも見つからずに外に出られそうだ」

 方針を決めた二人は、すぐに準備をし始めた。二人は外で顔を隠せるよう、頭巾(ローブ)を監視塔の備品から借り、それを持って隠し通路がある、エルノアが泊まっている部屋に来た。

「監視塔の全ての貴賓室には、隠し通路へ入れるようになっているんです。確か、寝台の下に隠してある鍵で、隠し扉を開けられたはず……」

 そう言いながら、エルノアは床に膝をつき、ベッドの下に手を伸ばして探る。しばらくベッドの下を探ると「あった」と小さく呟き、ベッドの下から細い棒のような物を取り出した。先端に妙な文様が刻まれたそれは、恐らく魔法の道具なのだろう。城で晴也が良く使っていた水の出る金具にも、似たような文様が刻まれていた。恐らくそれが、術式という物なのだろう。

 鍵を見つけたエルノアは、次に部屋に備え付けられていた棚を動かそうとした。晴也と二人で棚を横にずらす。しかし、そこにはごつごつとした石壁が続いているだけで、は扉が隠されていそうなからくりは見受けられなかった。

「棚の裏の石壁、その下から三段目の石材のどれかが……これだ」

 屈んで積み重なって壁になっている石材を指でなぞる。そしてその内の一つを、エルノアは強く押す。すると、エルノアが手を当てている部分の石材がいきなり凹んだ。

 凹んだ石材の左隣には、鍵穴と思しき穴があり、エルノアはそこにベッドの下から取り出した鍵を入れる。鍵穴に差し込んで何度か回すと、鍵と鍵穴の術式がかみ合い、エルノアのエルディンを用いて魔法が発動する。

 隠し通路へ通ずる扉は、幻惑の魔法によって隠されている。人の視覚を阻害し、周囲と同じ景色を見せるようなものだ。エルノアが見つけた鍵と鍵穴は、それを一時的に無効化するための魔法を起こすものだ。

 魔法が起動すると、鍵穴のすぐ隣の壁が歪み、ゆっくりと薄れていくと、そこに人が屈んで入れる程度の大きさの扉が現れた。

「これが、隠し通路への扉?」

「そうです。私も実際に使うのは初めてなので、どういう物かは知らかなかったんですけど」

 エルノアはそう言いながら現れた扉を開く。扉が開くと、そこから僅かに風が吹く。仄かに森の匂いがするのは、その先が森に通じているからだろうか。

 二人は狭苦しい扉を潜る。扉の先は部屋の床よりも少し低くなっていた。靴の裏から感じる硬い凹凸の感触が、そこが手入れのされていない石の上であることを窺わせる。

 そこから隠し通路に進むには、扉と同じように屈まなければ進むことができなかった。晴也が先導してその通路を進んでいく。佩いた聖剣の柄や鞘がガリガリと壁に当たり煩わしく思えた。何より、進むごとに暗く先が見えなくなっていく通路に、果たしてこの先に、本当に出口があるのか。そんな不安に駆られた。

 そうやってしばらく進むと、狭い通路が終わりを告げる。四方に壁があるという圧迫感が無くなり、晴也は頭上に注意しながら、恐る恐る立ち上がる。どうやらしっかり立つことができるほどには広いらしく、晴也は掌についた埃を払った。

「フィグマ」

 エルノアが魔法の言葉を呟くと、彼女の掌の上に炎が浮かんだ。炎は周囲を薄明るく照らした。

「洞窟?」

「そのようですね。恐らく、魔法で掘削したのでしょう。崩れないように所々に魔法による補強が見受けられます」

 洞窟の中を一瞥したエルノアがそう呟く。薄暗い洞窟の中を晴也が見てもそんな様子窺い知ることもできないが、エルディンを扱えるエルノアがそう言うのだからそうなのだろう。

 足元を注意しながら、エルノアが灯す明かりを頼りに洞窟を進んでいく。ゆっくりと、しかし一直線に上っていく洞窟に、やはり人の手によって作られたものなのだと晴也は思った。

「……そう言えばさ」

 洞窟の中を歩きながら、晴也は思い出したようにエルノアに訊ねた。

「さっき、ジルバに随分ときつい態度だったけど、何かあったの? その、エルメリアさん達と」

 普段のエルノアの様子を考えると、ジルバに対する態度は些かきつすぎた。そんな晴也の質問に、少し黙ってからエルノアは口を開いた。

「……誰かに対してではなく、自分に対して腹が立ったんです」

「自分に? なんで?」

 そう聞いてすぐに、それが不躾な質問なのだと察した。すぐに答えなくてもいいと口にしようとして、それよりも先にエルノアが続きを話し始めた。

「エルメリアには理解できたことが、私にはわからなかった。もっとしっかり見て、考えていればわかったはずのことを」

「それは……」

 気にし過ぎなのではないかと思った。今回はたまたまエルメリアのほうが先に気づいただけで、その場所にエルノアがいても同じことをしただろうと晴也は考えた。

「私はいずれ王位を継ぎます。エルメリアではなく、私が継ぐのです。私はそのために努力してきました。巫女として見出されたのは想定外でしたが、王として有用な力を得たと考えれば儲けものでした」

 そうやって語るエルノアは、晴也の中で組み立てていたエルノアの印象とは違った。

 エルノアは王位継承権第一位の人間だ。しかし、それにあまり固執していないのだと勝手に思っていた。晴也が見てきたエルノアは、王を目指すにはあまりにも清らかなイメージだった。しかし、今のエルノアには、そう言った印象とは正反対の、獰猛なまでに王位を狙う、肉食の獣のように見えた。

「しかし、最近は思うんです。エルメリアのほうが王に相応しいのではと」

「エルメリアさんが?」

 思わずそう呟いてしまった。

 確かに、今回のようにエルノア以上の観察力があるという点は確かだろう。しかし、晴也にはそれだけだった。何より、実際に彼女と話した印象は、無邪気というか幼いというか。王女として相応の知識はあるようだが、責任のある立場に相応しいかと言われて頷くことはできない。

「エルメリアは要領がいいんです。勉強したことはすぐに覚えて、礼儀作法も私よりも早く身に付けました。私は物覚えが悪かったので」

 どこか自嘲するようなエルノアの笑みが、少し痛ましいものに見えた。

「何より、行動が早いんです。そしてそれは、王として重要な要素だと私は考えています」

「行動が早いことが?」

「ええ。エルメリアは今回の件を把握して、すぐに第二騎士団を動かして馬車を壊しました。そんな即断を、私はできないでしょう。私は優柔不断なんです」

 そして、とエルノアが続ける。

「王として、決断も行動も迅速であるべきです。王が迷えば家臣も迷います。国を動かす頭が迷えば、国民は不安を覚えます。不安は火種となり、何時しか国そのものを燃やす。賢王は迅速でなくてはいけない。私はそう教わりました。……そう言う点でも、私よりもエルメリアのほうが向いているんです」

「で、でもっ、エルノアさんだってこうやって行動してるじゃん。実際に動き始めたのはエルメリアさん達よりも早いはずだろ?」

「ええ。けど、早ければいいというものでもないのです。正しい判断ができなければ、結局は愚王ですから」

 確かに、王として間違った判断をすれば、苦しむのは国民だ。早さを重んじるあまり、正確性に欠いた政治をされては溜まったものではない。それはきっと、今のエルノア自身を貶める言葉なのだろう。怒りに身を任せて行動したことへの戒め。晴也はそれを感じていた。

 しかし、果たしてエルノアのこの行動は愚かなのか。考えてみれば確かに尚早な行動ではあったかもしれない。今のエルノアも、冷静になってそれを実感しているのだろう。そういう意味では間違えている。

 しかし、だからどうした。間違えているとしても、それがそのまま愚かになる訳ではない。何より、エルノアのこの行動を正当なものにする方法が一つだけあるのだ。

「見つけようっ、エルノアさん!」

 晴也の大きな声が洞窟の中に木霊する。いきなりのことに肩を揺らして驚いたエルノアは、俯けていた顔を上げて晴也を見る。

「監視塔の騎士が何をしてるのか。彼らに賄賂を渡したのが誰か。それを全部突き止めてさ、そんで見返してやろう! 第二騎士団はエルメリアさんに頼ったけど、それよりも早くエルノアさんが問題を解決すれば、誰だって認めるでしょ? エルノアさんのほうがエルメリアさんよりも優秀だって」

 終わり良ければ総て良しということわざがある。どれだけ愚かな行動をしても、結果を出せばいいのだ。世間は結果を重視する。エルノアの行いで、監視塔騎士や賄賂を渡した人物の暗躍が明るみに出れば、間違いなくエルノアが評価される。

「で、ですが、提案した私がこういうのも何なのですが、二人で何か手掛かりが見つかりかも……」

 冷静になったエルノアが、弱々しい声でそう言った。しかし、そんな彼女の声を遮るように晴也は言った。

「俺がいるッ!」

 正直、この言葉に大した力がないことくらい晴也は自覚していた。それでも、今のエルノアに対して、晴也は何かしたかった。それができなくては、この世界に呼ばれた意味がないと思った。

「俺が決して、エルノアさんの価値を損なわせないッ。絶対に、エルノアさんを王様にしてみせるから!」

 空虚な言葉だ。洞窟の中で木霊して消えていくように、弱々しい意味しかない。それでも、実際に晴也はそう感じていた。力になりたいと。この世界に来て散々世話になったのだ。例えそれが、エルノアの事情や王女としての思惑があってのことだったとしても、彼女がいなければ、きっと晴也は、この世界でここまで平穏に生きていくことはできなかっただろう。そんな彼女に報いたい。そう考えるのはおかしなことではなかった。

 晴也の精一杯の強がりを見たエルノアは、思わず笑みを零した。それが言葉の意味以上に弱いものであることを理解している。晴也に比べればジルバのほうがもっと頼りになることくらい知っている。それでも、ジルバにその言葉を言われても、エルノアには届かなかっただろう。

 彼が勇者であるからではない。彼はそうであること以外に価値がないと言うが、エルノアはそうは思わない。むしろ、勇者であること以上に、潮田晴也という人物には価値があるように思えていた

 エルノアには、晴也の善意が心地よいのだ。王女として感じてきた、打算ありきの善意とは全く違う、その澄んだ善意が。自分にはきっとひねり出すことすらできないモノが心地よいのだ。

「ありがとうございます、シオタ様」

 晴也がいたところで、自信にはならない。それでも、ささくれ立った心を慰められた。それはきっと、晴也にしかできないことだった。故に、エルノアの口から自然と、そんな言葉が出た。ひねり出しても出ないと思っていた、澄んだ善意だった。


第十六話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ