2nd episode-5
「……クラヅ草原は、無くなってしまいましたから。銀海に飲まれて……」
「……」
悲しそうに呟くレキに、勇樹は息を飲む。それに気づいて、レキは勇樹を見て苦笑いした。
「気にしないで下さい。先ほども言いましたが、グラスバニー族は定住する習性はありませんし、望郷の念みたいなものはありませんよ」
「けど……」
笑いながら言うレキだが、その笑顔にはどこか痛々しいものがあった。それを感じてか、勇樹は顔を伏せてしまう。そんな彼の様子に、レキは困ったような顔になった。
「……優しいですね? ユーキは。けど、本当に気にしないで下さい」
そう言ってレキはその身を勇樹に寄せた。
「……今この世界では、故郷を失った者など掃いて捨てるくらい居ます。いちいち同情していてはキリがありませんよ?」
彼の肩に自分の肩をくっつけて、レキは言葉を続けた。
「……銀海に飲まれた土地は、すべて抉られたように無くなってしまいます。銀海はこの大陸を少しずつ喰らっているんです。それに抗するために、私たち“月瞳魔女”はここに居るんです」
「……」
レキの言葉を勇樹は黙って聞いていた。その顔に浮かぶのは懊悩。みずからも“月の魔瞳”を授かった。ならその意味を思うのか? 彼だけでは無い。シルヴィアと悠真。ふたりにも“月の魔瞳”は顕れている。
勇樹の中で疑問が逆巻いているようだった。
ふと、レキの長い耳がピンと立った。
「……どうやら終わったみたいですね」
「……え?」
言いながら立ち上がるレキに、勇樹は驚いてしまう。温もりが離れていき、彼女が先ほどまで立っていた位置に戻って元の不動の姿勢に戻った瞬間、医務室の戸が開け放たれた。
「しっつれーしましたー!」
「あ、ありがとうございました……」
シルヴィアが中に向かって手を振り、悠真が丁寧に腰を折る。
それを見て驚いた勇樹がレキを見ると、彼女はわずかに口許を緩ませ、ぱちりと片目を閉じた。
『次の方~』
レキの茶目っ気に苦笑したところで、勇樹にお声が掛かった。
と、シルヴィアが訝るように勇樹とレキを交互に見やった。
長年の付き合いからか、はたまた直感からか、勇樹とレキの間の空気になにかを感じたようだ。
そんな従姉の様子に気づいてか、腰を上げた勇樹は逃げるように医務室へと入っていった。
その様子にシルヴィアは「逃げたな……」と呟き、半眼になった。何があったのか聞き出すなら、付き合いの長い勇樹の方が崩しやすかったのだが、こうなっては仕方ない。
「……なあ、あんた」
シルヴィアはもう一方の当事者らしきレキの方へと声を掛けながらそちらを見た。
「……あれ?」
が、そこには誰も居なかった。確かに今の今までここへと案内してきた長耳の獣人娘が居たはずなのだが……。
「っかしーなー。悠真、ここに居たウサギっぽい耳の女の人、どこに行ったか知らないか?」
「え? あれ?」
悠真に訊ねるが、彼女もレキが居なくなったことに気づいていなかったようだ。抱えられた精霊も、体を傾けている。
どうやら首を傾げているつもりらしい。
それを見てシルヴィアは小さく息を吐きながら頭を掻いた。
「……ちぇー。せっかくからかうネタが増えると思ったのにな……」
微かに憂いを含ませ、シルヴィアはごちた。
「はい、いらっしゃいユーキ君!」
医務室に入った勇樹を迎えたのは、白衣を纏い眼鏡を掛けた金髪に金眼で狐耳の女性だった。お尻の辺りから生えているふっさふさの尻尾をパタパタさせ、上機嫌そうに笑う。
その笑顔はシルヴィアがよく浮かべる“悪い笑顔”と同種だと感じて、勇樹はわずかに身構えた。だが、狐耳の女医は気にした風でも無くうなずいた。
「あたしはリコ・メルフィレイオス。狐人族の“元”月瞳魔女で、ここの医務官よ。よろしく♪」
「“元”?」
警戒していた勇樹だが、気になるワードに思わず身を乗り出してしまう。
それを見たリコがさらに笑みを深くした。
「おやおや? 興味津々だねえ。まあ、あたしの方も君に興味津々なんだけどね」
その言葉に勇樹はわずかに身を強ばらせた。それを見たリコは苦笑い。
「そんなに構える必要は無いぞ? とって食ったりなどしないから」
「……」
軽い調子で言う彼女に勇樹は無言で構えを解いた。
「……なんでこんなに警戒されてるんだ? あたしは」
「先生が悪ノリなさるからでしょう?」
新たに聞こえてきた声に勇樹がそちらを見ると、白いナース服に身を包み金属製のトレーに診察用具らしきものを載せて運ぶ、悠真くらいの身長の直立した毛並みフサフサの犬が居た。
「い、犬?」
勇樹は思わず目を丸くしながら言ってしまう。すると犬の顔が人間のように笑みを作った。
「先ほどのお二人も驚いてましたねえ」
そのままトレーを診察台の方へと置くと、勇樹に向き直り、丁寧に頭を下げた。
「初めまして私は狗面族のシアと申します。こちらのリコさんのお手伝いをしています」
「優秀な助手よ。手術などに立ち会わせられないのが残念な位のね」
シアの自己紹介にリコが補足した。と、勇樹が首を傾げた。
それを見てシアが小さく笑った。
「手術に立ち会えないのは、抜け毛が主な理由です。毛並みには自信がありますが、こればかりは残念に思いますね」
シアに言われて勇樹はなるほどとうなずいた。
「知りたいだろうから先に言っておくけど、シアは月の魔瞳をもっていない普通の子よ? この基地にはそういった子も多いから覚えておくと良いわ」
そう言ってリコは勇樹に椅子を薦めながら自分も着席した。
「じゃ、簡単に診察してからステータス探査の魔法を掛けるわね? 良い?」
「ステータス探査?」
不思議な言葉に勇樹が首を傾げた。するとリコが笑みを浮かべた。
「大雑把にあなたの身体能力を測定して状態を測る魔法よ。簡単な病気の判定も出来るわ」
「へえ……」
リコの説明に、勇樹は感心したように声を漏らした。さらにリコは続ける。
「まあ、この魔法はあなたが心から拒否すれば簡単に遮断できるから、受け入れてもらう必要があるのよ。だから最初に同意を促したのよ」
お分かり? と、リコが小首をかしげると勇樹はなるほどとうなずいた。
「はい、それじゃあ診察に入るわね? 悪いんだけど、上を脱いでちょうだいな?」
「わかりました」
うなずいて、勇樹は着ていた制服を脱いでいく。
「へえ……」
「あら……」
現れた少年の肉体に、リコとシアは思わず声を漏らしてしまった。
勇樹は全体に線が細い印象のある少年だが、それは華奢と言うわけではなく、むしろ針金のような筋肉と絞り込まれた肉体のいわゆる細マッチョ系の体の持ち主だ。幼い頃から祖父にシゴかれていた結果として、無駄の無い体をしているのだ。
その肉体に、リコとシアは一瞬見とれてしまった。
「あ、あの?」
そんな二人に勇樹は恐る恐る声を掛けた。
ハッとなる二人。
「あ、ああ。うん。じゃあ診察開始」
「おほほ……」
誤魔化すような二人の声を皮切りに、勇樹の身体検査が始まった。




