2nd episode-6
暗い森を風が駆け抜ける。
否、それは黒い影。
枝も揺らさず、草木もかすらせず、枯れ木を折ることも無く、影は森を駆け抜ける。
そして、流れていく立ち木の群れが切れた先、少し開けた場所が影の目指した先。
影の正体は人であった。
黒い装束に黒い頭巾。マスクによって口許まで隠された人物。
「……俺が一番乗りか?」
ふと漏らしながら黒い人影は周りを見回した。仲間と落ち合う先は間違いない筈。ここからさらに潜伏拠点まで走らなければならない。
「……やられたか? まあ良いか」
自分以外の三人もここを目指していた筈。それが近づいてくる気配も無い以上捕縛された可能性が高い。
「……」
人影は胸元に隠したカードプレートを確認した。
カードプレートは、魔力を蓄積しやすいミスリル銀製の金属板で、魔力によって様々なデータを記録させることが出来る。
今日一杯使って入手した魔女どもの“拾い物”のデータが記録されたこれを、“影”の主へと渡すのが“影”達の仕事だ。
国家間、種族間の軋轢を抱えたまま結成されている、魔女どもの集団。その戦闘能力は通常の軍隊の数倍にも及ぶ恐るべき集団だ。にもかかわらず、独立部隊権限などという訳の分からないものを持ち、軍上層部のコントロールから離れることがある危険な集団だ。
もしこれが自分達の国に向けられたらと危惧する政治家や将軍は少なくない。あの売女どもに首輪を着けるためにも、“影”達は日頃から情報収集に余念がなかった。だが、決定打になりそうな情報はなかなか入手できなかった。だが、今日新たに入手した魔女どもの“拾い物”は、国が管理すべき重要なものだ。にも関わらず、あの売女どもは引き渡さないつもりのようだ。
「……これを確保できれば、我が国は……」
「……どの国でしょう?」
不意に耳元をくすぐった声に、“影”は飛び退いた。
そこに居たのは、自らと同じく黒い出で立ちをした姿。しかし、頭を覆うものは口許を隠すマスクのみ。露出した頭からは流れるような白い長髪と、二本の長い耳。
「……チッ、娼婦の庭番!」
「その言い方、皇武の国の密偵かしら? 相変わらず意思統一のできない国ですね」
身構えた“影”に、赤い瞳を向ける。
それを恐れるように、“影”走り出した。元より交戦する必要はない。遁走しきれれば“影”の勝ちなのだ。
風より早く、枝も草も揺らさずに走る。その早さに追い付けるものなど……居た。
「なかなか早いですね?」
「!」
自らに並走するように黒装束のウサギが跳ねるようにして走る。“影”は驚愕した。
如何にグラスバニーが体術に優れるとは言っても、天然の障害物を数多く備える森の中を駆け抜けるのは難しいものだ。
“影”は、そうした場所での逃走に徹底的に習熟していた。ここで“影”に追い付ける者など居ない筈だった。
「……」
並走する長耳獣人が、腰から抜いた棒を、“影”の足元へと放つ。それを“影”は跳躍して躱した。
その時には、赤い二つの輝きを持った黒い物体が、“影”の頭上に迫っていた。
跳躍能力でグラスバニーに勝る種族など、そうはいない。
「ハッ?!」
上から迫る脅威に“影”が気づく、だが“影”は、空中で自在に動くことなど出来なかった。
背中に衝撃を受け、“影”は大地に叩きつけられた。
その上に、柔らかな肢体が覆い被さり、喉元に鋭いモノが突きつけられた。
「……弱いですね? あなたの種は不要なようです」
「ッ?!」
耳元にささやかれ、“影”が息を飲んだ。
そして……。
「……隊長」
「なに?」
四肢の腱を切り裂かれた半裸の男を引きずりながら歩く長耳の獣人に、声が掛かる。獣人がマスクを外しながら応じた。
それはレキだった。
「……本日動いた十三の密偵、すべて捕らえました。これより尋問に入ります」
「分かったわ。けれど、コイツらを囮にして他にも動く輩も居るでしょう。警戒は怠らないように」
「ハ」
レキの指示を受け、気配が遠ざかった。レキは再び男を引きずり歩き始めた。
「……くひょ、はいひゃえ……」
「あら? しゃべれるのね? 麻痺の魔術を使ったのに、さすがは皇武の密偵ね」
ろれつ回らぬ舌で漏らす男にレキが笑い掛けた。すでに彼が所持していたカードプレートはすべて押収済み。身元がわかるような品は持ってはいなかったが、これからの尋問で割らせる。
「……まあせいぜい耐えて見せなさい。簡単に廃人になられても困るしね」
「……」
レキの冷たい刃のような声に、男は自分の運命を察し、声を無くした。そんな男に興味を無くして、レキは空を見上げた。
天に座するは満月。太陽の輝きとは違う冷たい光は、グラスバニーである彼女の腹の奥に火を灯す。思わず目を細めた彼女は、口許に笑みを浮かべた。
それは、先ほどまでの酷薄な表情とは異なる、優しいものだ。
だが、その表情は一瞬の事。すぐにその顔から表情を無くし、レキは男を引きずり歩き始めた。
同じ頃、更けた夜の空に浮かぶ月を窓の向こうに見やりながら、リコは書類を整理していた。内容は今日基地で保護した三人。
「……ふう」
そのデータを眺めてリコは息を吐いた。脇によけてあった木箱を開けて、中から乾燥した葉を砕いたものを紙に巻いた細長い棒状のものを取り出し、口にくわえた。
立てた右の人差し指をリコが見つめると、その先に火が点る。
それをくわえた紙巻き棒の先に近づけて焼きながら、細く息を吸う。右手を振って火を消すと、彼女はリラックス効果のある香を肺一杯に吸い込んだ。紙巻きを左の人差し指と中指に挟んで口から離すと、溜まった紫煙を吐き出した。
「また香煙ですか? 先生。体、壊しますよ?」
声を掛けられて振り向けば、開け放した医務室の戸から、赤毛をポニーテールにしたレアリーが覗き混んでいた。
「……なに、適当なところで治癒の法を掛ければ良いさ」
リコは笑って言う。それを聞いてレアリーは軽く息を吐いた。
「……ほどほどにしてくださいよ? それで、どうでした?」
「……ふむ。正直、戦力化を推したいね。ユーキとシルヴィアは魔力の強度も許容量もお前達と遜色無い。肉体も新人なんぞより余程鍛えられている。拾いもんだな」
「そんなにっ?!」
リコの言葉にレアリーは思わず声を上げた。
リコはレアリーに紙束を放り投げ手渡す。レアリーはそれを危なげなく受け取り、めくり始めた。
それを気にすること無く、リコは窓の外の月を眺めて口を開いた。
「ユマは身体的には全く鍛えられてはいないし、魔力などは並みだが……」
「……精霊達ですか?」
紙束に目を落としていたレアリーが、上目遣いにリコを見る。彼女はふたたび紫煙を吐き出しうなずいた。
「……少し深くチェックしたが、上位の精霊にも好かれているようだ。呼び出せば戦力として大きい」
「……」
レアリーは天を仰いだ。見えるのは天井だが。
「……情報が上がれば、上は確実に動くな。特にユーキは最優先確保になるだろうさ。特に六大国は競うように来るだろうよ。……愚かなことだ」
「……密偵の方はレキに任せてますし、政治的な牽制はネイや綾乃に動いてもらってます。そう簡単にはいきませんよ」
「ふうん? “第七”の大国を動かすのね? 見も知らぬ異世界人のために」
リコが皮肉げに口許を歪めた。それを見てレアリーが眉を寄せる。
「……異世界人だからですよ。誰が、なんのために彼らを召喚したのか? まだ分かっていないんですよ?」
「……確かにね。けどそれは、君の“主”なら知っているんじゃないの?」
違う? と、リコが鋭くレアリーをにらんだ。赤毛のポニーテールを揺らし、レアリーは息を吐いた。
「“まだ”聞いてませんよ。たぶんネイが聞いてくるでしょう。ネイと綾乃、それにアムディアが戻るまでこの基地を守るのが今の私の役目ですから」
「なるほどねえ」
リコは再び紙巻きをくわえて外を見た。
「……今夜は騒がしい夜ね。せっかくの満ち月だというのに」
「そうですね」
「そんなわけで……」
同意しながら紙をめくるレアリーを見て、リコは左手を振った。中空に50センチほどの魔法陣が顕れ、そこに左手を突っ込んで引き抜くと、ての中には酒瓶が握られていた。
「朝まで付き合いなさい」
「ダメ。少なくとも綾乃が戻ってくるまでは、私が責任者なんだし、酔って指揮が執れないなんて事態に陥りたくありませんから」
「そう言わないでさあ、後で解毒の法も掛けたげるからあ」
猫撫で声で酒盛りに誘う狐に、レアリーはうろんげになった。
「二種警戒体勢中だよ。一瞬でも指揮官が酔っぱらってるなんて不祥事どころじゃないでしょ? 我慢してください先生」
「ちえー。シアも帰っちゃったし、仕方ない一人で飲むか」
さらに盃を召喚したリコは、紙巻きを陶器皿に置くと、ひとり手酌で飲み始めた。
レアリーはその様子を見て息を吐いて窓辺に近づいていった。空に浮かぶ月を見上げて嘆息する。
「……前線はギリギリで戦っているのに、本国は戦いが終わった後の国家間のパワーゲームを制しようと躍起になってる。私たちにそんな余裕、ある筈も無いのに……」
レアリーの漏らした声は、月の煌めく夜の空へと舞い上がり、千切れて消えた。




