第14話 騎士の覚悟
「──チッ、逃げられちまったか」
魔族はつまらなそうにそう言い、肩をすくめた。
「複数で戦った方が勝機はあったかもしれねぇぜ?」
明らかにこちらを馬鹿にしたような口調。
それにいちいち反応している余裕は──残念ながらなかった。
「お前の誘いには乗らない」
私は警戒を怠らず、剣を構えたまま言葉を返す。
奴から感じる圧力は、普通の魔族のそれとは異なる。濃厚すぎる魔力が可視化され、黒いオーラとなって魔族の体から溢れ出していた。ここまでの圧力は魔王軍の隊長格と同じかそれ以上……魔王幹部に達している者の可能性もある。
気を抜いたら、死ぬ。
背中に冷たい汗が垂れ、緊張で生唾を飲み込んだ。
「ハッ、つれねぇな……」
きっと、奴にとってはどうでもいいことだったのだろう。
私一人が残っても、カガミと二人掛かりになっても、別に変わりはしないのだ。ただ個別に相手をすることになるか、同時に相手をすることになるかの違いだ。あの口調から見て、私とカガミを合わせても勝つ自身はあったのだろう。
……間違いなく、今まで出会った敵の中で最上位だ。
私は騎士だ。
騎士という位に就くには、それなりの実力が必要となる。私だって血の滲むような努力をしてやっと、念願の騎士になれた。
……だが、それだけだ。
何度も言うが、私は騎士だ。国を守り、王を守る。それだけの存在だ。
私は勇者のように限界を超えた力を出せない。魔王を倒せる訳でも、最強の竜族を単独で殺せる訳でもない。実力差の異なる相手に勝てるほどの不思議な力は……持っていないのだ。
目の前の相手は、それだけの存在だ。
勝てるかわからない。いや、十中八九勝てない。
だが、ただで負けるわけにはいかない。ここで私がみっともなく倒れれば、私を信じて行ってくれたあの子に申し訳ない。
「私は騎士だ。あいつらが逃げるまでの時間くらい、稼いで見せるさ」
だから私は、最後まで足掻いてみせる。
「クックックッ……ああ、いいねぇ。その威勢。なんとも正義感のある奴の言いそうな言葉だぁ……俺の大っ嫌いなタイプだぜ」
「そうか。どうやら私達は気が合うようだな。私も──お前が大っ嫌いだ」
「…………そうかいそうかい。じゃあ、死ねや!」
魔族が地を蹴り、一気に肉薄して拳を振り下ろす。それを剣で受けるが、あまりの重さに息が詰まる。膝が折れかけて地に伏せられそうになる。劣勢になる前に飛び退いて何とかやり過ごす。足の負担が予想以上に大きかったのか、着地した時に力が上手く入らず、バランスを崩してしまった。
その隙を逃さずに魔族は跳躍し、再び拳を振り下ろした。受け止めることは不可能と先程理解したので、横に転がってギリギリのところを躱す。
すぐに己の直感に任せて剣を横薙ぎに振ると、ガキンッという硬質な音が鳴った。魔族が腕で剣を受け止めたのだ。ありえない強度だ。だが、それで動きを止めるほど、私は間抜けではない。
「──はぁっ!」
次はこちらの番だと言わんばかりに駆け、身を捻って勢いを増した斬撃を浴びせようとするが、奴は拳で対抗してきた。
まるで金属同士がぶつかったような音がして、私が全力で繰り出した剣はピタリと止まった。
全力の一撃でも、擦り傷一つ付けられないか。ならば、体の柔らかい部分を──
「軽いなぁ……」
「──っ、くっ!」
ふと感じた悪寒。本能が叫ぶまま、上半身を後ろに逸らす。その直後に私の顔があったところを奴の拳が通り過ぎた。空気が震える。追撃を警戒した私は一旦離れ、剣を構え直す。
たった数回の攻防。それだけで全神経を使い切ったかのような疲れが私を襲っていた。それに対して魔族は不敵に笑うだけだ。とても何人もの冒険者を相手にした後とは思えない。
奴には隙がない。打ち込もうと前に踏み出せば、奴の拳が私を襲う。一撃でも喰らえば、私は戦闘不能にまで持っていかれるだろう。
……くそっ、こうなるとわかっていれば、遠くに行くだけの簡単な任務だからと油断せず、陛下から賜った正装を着て来ていたというのに。と、過去のことを悔やんでも無駄なことだ。どんなに悔もうが、今の現状を変えることは出来ない。唯一出来るとすれば、それは己の心次第だろう。
『その剣で、己が守るべきものを守れ』
それは私が騎士となった時、陛下から贈られた言葉だった。
「私が、守りたいもの……」
脳裏を過ぎったのは、この街で出会ったばかりの少女だった。
そいつは見た目からは考えられない力を宿している反面、とてつもない人見知りでもあった。いや、人に対して恐怖を抱いている。と言った方が適しているのだろう。……それは彼女の過去が関係していた。
──ようやくあの子は自由になれたのだ。
あの子はやりたいことが沢山あると言っていた。きっとあの子は色々な場所で困難に立ち向かい、それを乗り越えて強くなる。いつかあの子は大きくなる。誰もが無視できない程、あの子は大きな存在となるだろう。
そんな希望のある少女の人生を、こんなところで終わらせる訳にはいかない。
「あぁ? 急に雰囲気が変わったなぁ? ……ようやく、死ぬ覚悟が出来たかぁ?」
「……ああ、そうだな。私はきっと死ぬのだろう」
「ハッ! 死ぬとわかっているのに戦わなくちゃいけないなんて、人間ってのは苦労するねぇ」
「なんだ? 同情してくれるのか?」
「馬鹿か。同情じゃねぇ……嘲笑っているんだよ。やっぱり人間は馬鹿だなってよぉ」
「馬鹿ではないさ。守りたい人がいる。それがあるから、私は最後まで戦って死ねるんだ」
「……やっぱり馬鹿なぁ。守りたいってのは、逃がしてやったあのガキかぁ? ハハッ、俺様は慈悲深いからなぁ。お前を殺した後、すぐにあのガキも同じ場所に送ってやるよ!」
魔族から溢れ出る魔力が増幅する。黒い魔力が形となって奴の体に纏わりつき、僅か数秒で漆黒の鎧が出来上がった。
「なんだ、それは……」
「ハッハァ……驚いたか? どうせ殺すから教えてやるよ。これは魔装ってスキルでな。俺様の魔力を好きな形に作り変えれるんだよ。凄いだろ? さっきまでと同じだと思うなよ? そろそろ本気を出してやるんだ。感謝しろよぉ?」
あの鎧は奴の魔力そのものということか。顔に出さないようにと必死に隠しているが、先程から生きている心地がしない。全身に恐怖が纏わり付いているような違和感が私を襲う。
奴は本気を出すと言った。これまではただの前座。一体、あの鎧を纏ったことでどれほど変わるのか。正直なことを言ってしまうと、そんなの体験したくない。
私が騎士ではなかったら今すぐにここから逃げ出していたほど、奴から感じる雰囲気が気味の悪いものとなっていた。
だが、今更私が退く訳にはいかない。
それにどうせ奴は、私を見逃してはくれないだろう。
「ならば、やるのみだ」
「ハハッ、死ね!」
魔族の姿が、霞のように掻き消えた。
視界に捉えられないほどの速さ。落ち着いて奴の気配を探ると、少し離れた後ろの方から僅かな足音が聞こえた。
即座に私は振り返り、後ろを斬り払────
「無駄だってんだよぉ!」
「がっ!?」
振るった剣は弾き飛ばされ、宙を舞う。
「──ラァ!」
乱暴な横蹴りが繰り出され、咄嗟に両腕で防御をするが、全く意味はなかった。
何かが折れる嫌な音が響くと同時に、私の体はボールのように吹き飛んだ。地面を転がり、すぐに立ち上がろうとするが……無理だった。
目の前がチカチカする。意識が朦朧としてきた。両腕は折れ、力を入れようとすればそこから激痛が走る。ついでに体内の骨も何本かやられたらしい。血が込み上げ、吐き出す。急激に体が冷えてきた。震えが止まらない。
「まだ生きているたぁ驚いたぜ。流石は騎士様ってか? それともその鎧の強度のおかげかぁ? さっさと死んだ方が楽できたってのによぉ」
魔族が何かを言っているが、上手く聞き取れない。
近づいてくる足音が、私のすぐ側で鳴り止んだ。
「さっきも言ったが、安心しろ。すぐにあのガキも送ってやるからよぉ。だから、」
……私は時間稼ぎを出来ただろうか。
あの子はちゃんと逃げられただろうか。
どうせ死ぬなら、私の袋をプレゼントしてやればよかったな。
今日の私の稼ぎ分も、あげればよかった。
旅は大変だ。便利な物と資金はいくらあっても足りない。
それと、あの子はまだ世間知らずだ。
大人としてもっと色々なことを教えてやればよかった。
もっと沢山、話せばよかった。
「さっさと死ねよ」
……あの子に、さよならを言えなかったな。
「すまない、カガミ」
魔族の拳が振り下ろされる。私は諦めたように目を閉じ────
「…………なんで、謝るのさ」
ガァアアアアアアン!
「グァアアアア!」
耳をつんざくようなけたたましい破壊音と、魔族の断末魔の叫び。
それが同時に鳴り響いた。
…………なん、だ?
何が、起こったんだ?
私はゆっくりと目を開ける。
足が見えた。だが、魔族のではない。
では、一体誰の……?
恐る恐る顔を上げ、そこで私は驚愕に目を見開いた。
何故ならそこにいたのは、ここにいないはずの人物だったのだから。
その者は艶やかな黒い髪が特徴的だった。動きやすそうな旅服を着込み、右手には剣を握っている。目元に大量の涙を溜め込み、普段の大人しい印象からは想像出来ないほど、私を力一杯睨みつけていた。
──どうしてお前がここにいる。
そう問い詰めようとしても、喉は掠れて言葉にならなかった。無理に声を出そうと力を入れると、その反動で全身に激痛が走った。息がままならなくなって咳き込むと、それと同時に血液が口から飛び散った。
そんな私を見て、少女──カガミは悲しそうな表情になった。
「ごめんね」
カガミの口から出たのは謝罪の言葉だった。誰に……私に? 何故だ?
「あの時、全部無視して残ればよかった。最初から私が戦っていれば、エリスが苦しむことはなかったのに。本当に、ごめんなさい」
謝らないでくれ。
お前は私を信じて行ってくれた。
それだけで嬉しかったのに、どうしてお前は来てしまったのだ。どうしてわざわざ危険な場所に戻ってしまったのだ。
「──あぁ、くそっ。油断したぁ」
魔族の声がした。奴は崩れた建物から這い出てきている最中だった。纏っていた漆黒の鎧は胸部には、痛々しい斬撃の跡が刻まれていた。
新たに現れたカガミのことを睨みつけ、殺意を剥き出しにする。
「このガキぃ。よくもやってくれたなぁ。ぜってぇ許さねぇ。簡単には殺してやらねぇからな。最後まで苦しめてから殺してやる」
「…………許さない? それはこっちの台詞だよ。よくもエリスを、この世界で初めて出来た友達を甚振ってくれたね。絶対に許さないから」
それは腹の底から出したような、冷え切った声色だった。
「お前だけは絶対に──殺してやる」




