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L-cone  作者: 王生らてぃ
第二章
41/93

中井明日架は新曲のタイトルを決める-1

   【Blue】




 その日はひばりのことを夢に見た。彼女のことをいつも忘れないように、けれど気に駆けたりしないようにしながら過ごしてきた。



 夢の中のひばりは、私とはじめてであった時の姿のままだった。その時私は、見よう見まねで覚えたギターに、ノートの端に書きなぐった歌詞をのせて、夜の街で歌っていた。今では思い返すだけでも恥ずかしい、けれど大切な思い出の時間だ。『Pisces』の原点ともいえる、私ひとりの単独での路上ライブだ。



 押入れの奥に眠っていたギター。たぶんお母さんの持ち物だったもので、はじめて手に取ったときにとても手になじんだのを覚えている。家の中で感じる息苦しさと、学校での堪えがたいプレッシャーとに押しつぶされそうになっていた私にとっては、まるでチョコレートの銀紙に包まれた金のチケットだった。あの時に書いた曲、あの時に書いた歌詞は、いまでもライブをするときは必ず歌っている。



「素敵な曲ね」



 誰にも見向きされていなかった私にそう声をかけてくれたのは、知らない学校の制服を着た、同い年くらいの女の子だった。背が高くて、瞳にちょっぴり紫檀の混じったような不思議な色が、不夜城の光を複雑に照り返していた。真っ直ぐに伸びた黒髪と白い肌には化粧っ気がちっともなくて、素朴で綺麗な子だと思った。



「ありがとう」

「ね、もう一曲聴かせて。それとも、御足を出せばよろしいかしら?」



 御足。

 そんな言葉を使う中学生を見たことがなかった私は咄嗟に断って、もちろん、素人の路上ライブでお金をもらおうと思っていたこともなかったけれど、ノートをめくってまたギターを鳴らし始めた。誰かのために歌うことははじめてで緊張した。その子は私と目を合せたりせず、目を閉じたり、時にはそっぽを向いたりして、ただ音に耳を傾けていた。



「あなたはとても素敵です」歌い終わったとき、彼女は間をおいて拍手をしながら、「とても、勇気のいることだと思います。素敵です」

「ありがとう。そんな風に言われたのははじめて」

「また、聴きに来てもいいですか」

「いいよ。いつやるか分からないけど」



 別に何曜日にやるとか、何日にやるとか、ぜんぜん決めていなかったけれど、ライブをするたびにその子は来た。その度に私の歌を聴いて、何度も拍手をくれた。






「明日架、約束よ」



 ある日、ひばりが私に言ったことがある。



「約束?」

「あなたは何があっても、歌うことをやめないで」



 私とひばりはビルの屋上に立ち、東京のビルの向こう側に沈んでいく夕陽を見ていた。その日はグローパーの数が多くて、ふたりともへとへとになりながら戦った後のことだった。



「私たちは魔法少女として戦っているけれど、いつまでも『少女』じゃいられない。私たちはだんだん歳を取って、おとなになっていくでしょう。辛いこと、嫌なこと、苦しいこともたくさん出てくると思う。でも――明日架は何があっても、歌を歌って、ギターを弾くことをやめてはだめ。それだけは約束して」

「やめるつもりはないよ。いままでも、これからも」



 だって、それが私が私である理由だから。本気でそう思っていた。けれど、ひばりの瞳はかなしそうに、真剣に私を見ていた。



「絶対よ。約束よ」

「うん。約束」



 次の瞬間、脳裏にフラッシュバックしたのは――

 身体を斜めに切り裂かれたひばりの姿。



 彼女の悲鳴。吹き出した血液。



 振り下ろされたギロチンの刃を手に、人形のような表情でそこに佇む黒い少女。






   ○







 朝起きたとき、身体は汗でぐっしょりと濡れ、背骨の芯から冷え切っていた。

 頭が痛い。指先が震える。お腹の奥の方でぎりぎりと、内臓が押しつぶされるような痛みを感じる。こんなに体調が悪いのは、夏の暑さのせいじゃない。時計を見ると、まだ朝の四時だ。枕元にはシャープペンシルと、書きかけの歌詞が殴り書きされたノートがある。

 ペットボトルの蓋を開け、中のお茶を飲んだ。

 たかだかコップ一杯の水のためにキッチンに降りるのすら、今は億劫だ。



 父さんが仕事に行った時間を見計らって、リビングに降り、シャワーを浴びて気持ち悪い汗を流す。そしてギターケースを背負い、家を出てスタジオへ向かう。今日は朝の十時から一日中、スタジオで練習がある。

 脳裏にこびりつくひばりの悲鳴をかき消すようにイヤホンをかけ、大音量で何度も復讐したフレーズをリピートする。

 約束だから――

 歌を歌うこと、ギターを弾くことを、私はやめてはいけない。



「おはよう」挨拶をすると、先にスタジオで海音が待っていた。彼女はキーボードの前に座って、楽譜を眺めているところだった。「早いね、海音」

「顔色、良くないね。大丈夫なの」



 海音は私を見るなり、咎めるような口調で私を睨みつけた。



「大丈夫。ちょっと、嫌な夢を見ただけだよ。月初めはいつもそう」

「練習中にぶっ倒れないでね」



 海音は見せつけるように、ターコイズ・ブルーのイヤホンを耳にかけ、楽譜に目を滑らせはじめた。ギターをケースから取りだし、チューニングを始めようとした時、スタジオの扉を押し開いて瑞穂が入ってきた。



「おはようございます。すみません、少し遅くなって」

「まだ時間あるよ」

「いえ、すぐ準備します」



 瑞穂はそそくさと鞄を下ろしてドラムセットの前に腰かけ、



「音、出します」



 と一声かけて、ドラムの音を確かめる。海音がいら立ったように立ち上がると、ノートだけ持ってスタジオの外に出た。



 ライブが近くなると、みんなそれぞれに、その時期に特有の癖のようなものを見せ始める。

 例えば海音はいつにも増して神経質になる。だから周りに当たり散らしたりしないように、出来るだけひとりでいようとする。瑞穂は集中力を高めようとしてリズムの精度をめきめき上げているけれど、少しだけ周りが見えなくなっている。いまも、海音がイヤホンを耳にかけて集中しているということに気が付かないまま、ドラムの音を鳴らしている。

 それと秋良だ。集合時間五分前になっても彼女は姿を現さない――ライブ前の練習では遅刻することが多くなる。夜通し練習をしたり、緊張から体調を崩したりするのが原因だ。でも、ライブの本番を休んだり、遅刻したりすることは無いから、みんな黙認している。ベーシストとしては間違いなく実力もある。



 私はライブ前になると、よくこうやってみんなの様子を見ている。

 ギターの音を合わせながら、何度も何度も、確認したフレーズを頭の中で再生し、軽く口ずさんでみる。走りがちだったテンポも、ようやく自分なりに掴み始めたところだ。やがて扉をゆっくりと開き、海音が戻ってきた。



「秋良はまだ来ないの?」あからさまに苛立っている。

「秋良が来たらはじめよう。それまで準備して」

「私、連絡しておきましょうか?」と瑞穂。

「いいよ。どうせ走ってくるだろうから」



 はあ、と深いため息が聞こえた。海音だ。イヤホンを外してキーボードの前に座ると、そのまま鍵盤に腕を乗せて顔を伏せた。

 一見ぎこちない気まずい雰囲気が流れているけれど、私たちはこれでいい。海音も瑞穂も、それを分かっているから、この場が壊れたりしない。集合時間から五分過ぎ、十分過ぎ、それでも私たちは待っていた。



「遅いね」海音がふいに声を上げた。「そろそろ来てもいいころじゃない」

「確かに、いつもは遅れても十分くらいですよね」

「もう始めない? ベースはないけど」

「駄目。ライブが近いし、全員が揃った状態でないと音を合わせる意味がない」



 と言いつつ、私は胸騒ぎがしていた。

 まさか――脳がずきんと痛んだ。この間の新宿での戦いと、これまでのグローパーとの戦いの記憶が次々に蘇ってくる。そして最後に、今朝、夢で見たばかりのひばりの悲鳴――

 まさか。



「ちょっと様子を見てくる」

「えっ、」と声を上げたのは海音だ。「どうしたの、急に」

「ごめん、ちょっと待ってて」



 私が立ち上がって扉に手を掛けたときだった。勢いよく扉が開き、私は思わずその場によろめいた。



「ご、ごめん! 電車が止まってて……!」



 そこには、汗をだらだら流しながら頭を下げる秋良の姿があった。

 海音が金切り声を上げる。



「遅い!」

「ごめん!」

「ま、まあまあ、海音さん。電車の遅延じゃ、仕方ないですよ」

「すぐ準備するから!」



 秋良は慌ててベースを用意し、チューニングを始める。その手際は見事で、慌てているのに、奇妙に落ち着いている様にも見える。



 私はしばらく、腰が抜けたようにその場から動けなかったけれど、這いずるようにして立ち上がってギターを手にし、ペットボトルのお茶を半分くらい飲み干した。そして、軽く喉の調子を整えるころには、秋良も準備を終えているようだった。



「じゃあ、はじめよう」



 みんなの表情は、張り詰めた笑顔に満ちている。

 あとは私だけ――アンプにつないだギターを一音、派手に鳴らして、頭の中のノイズを吹き飛ばす。



「そういえば、例の新曲。タイトルを決めたから」

「えっ、まだ決まってなかったの?」

「そう。それと、歌詞も一部だけど変える。メロディーは変わらないから、あまり気にしないでほしい」

「そういえば、ずっと新曲、新曲って言ってましたね」

「タイトルは?」

「『Don’t Get Into a Groove』」



 私は足で固いスタジオの床を軽く叩きながら、



「最高に盛り上がる曲にしたい。今日で完璧に仕上げるのは、無理。会場で、完成させるつもりで」

「そういうの珍しい」海音が目尻に柔らかい光をたたえながら、「なにか、ドラマチックな出来事でもあったの?」

「まあね」



 私はいつもとは違う、わざわざ新調した、真っ赤なピックを指先で握った。



「行くよ」あの時と同じように、リズムを取る。「1、2、3、4――」

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