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L-cone  作者: 王生らてぃ
第二章
39/93

鷺宮千夏 / 椎名翼は夏の暑さに辟易する-2

「お姉ちゃん、最近、グローパーと戦った?」



 墓地を後にして、ゆっくりと並んで歩いていく、だんだんこの暑さにも身体が慣れてきて、少し気分がよくなってきたような気がするそんな時、翼から急にそんな話題が飛んできたので、私は面食らってしまった。

 グローパー。

 そんな言葉を聞くのも、ずいぶん久し振りな気がする。あの姿を思い出すのも……



「最近はあまり」

「やっぱり。そのせいだよ。今日のお姉ちゃんはなんか、調子が悪そう。グローパーを倒してないせいだ」

「え?」

「僕もそうだから」翼は片手で自転車のハンドルを器用に操りながら、もう片方の手をポケットに突っ込んで、赤いライターを取りだした。爛々と輝くオイルは、きれいに透き通っている。「二、三日前に、グローパーと戦ったんだ。それまでずっと、頭がぼーっとして宿題も、サッカーも集中できなかったけど、それをきっかけに気分がよくなったんだよ。お姉ちゃんのライターを見せて」



 私は言われたとおりにライターを翼に見せた。その時気が付いた――翼のものと比べて、少しだけオイルが濁っている。それは、よく目を凝らさないと分からないくらいの違いだけど……



「僕のライターもこうだったんだ。しばらく変身していなかったから、ちょっとずつ中身が濁っていく。でもグローパーを倒して、中身を吸い取ったら、元通りになったんだ」



 新宿でグローパーの異常発生したあの日以来、私はグローパーと戦っていない。ライターの中身はずっと満タンのままだ。増えも減りもしない。それが良くなかったのだ。



「でも、僕はまだ調子が悪いくらいで済んでたよ。お姉ちゃんはなんか、今にもぶっ倒れそうな顔してる。真っ青だし、ふらふらしてるし」



 ただの夏バテじゃなかった。

 そういう理由があったのだ。確かにしばらくグローパーと戦うどころか、魔法少女に変身することもなかった。ライターの中身を入れ替えたり、取りだしたりしたこともない。胸の奥の方でわだかまるような違和感はまるで、身体の中によくないものが溜まっているような感覚にも似ていた。



「それで――」私は翼からライターを受け取ると、右手の指をスイッチにかけながら、「こんなところに連れてきてくれたの?」

「別に、そういうつもりじゃなかったけどね」



 いつの間にか私たちは、人気のない路地へ迷い込んでいる。

 大通りから道一本逸れた、一方通行の住宅街。やや西へ傾いていく太陽に移されて影が長く伸び、気温の割に異様に冷たい。消火栓の看板の真下にそいつはいた。身長は二メートル半くらい、蛇みたいにのたくった四肢と鋭い牙。足元の血だまりには、白い骨のようなものが生々しく転がっている。

 赤い目でこちらを見た。



「お姉ちゃんに譲ってあげる。でも、戦うときは一緒だよ」

「ありがとう」

 スイッチを入れる。「変身――」



 姿が変わり、服が解け、同時に編み上げられていく。

 刀に手を掛けながら一歩、抜きながら二歩。そして三歩で刀を振り下ろす。グローパーの左腕が切り落とされ、びちびち活きの良い魚みたいに跳ねる。



 すぐ横を赤い風が吹き抜けた。

 翼が真っ赤な剣を振りかぶり、斜めに真っ直ぐ切り落とした。グローパーの身体は真っ二つに裂け、悲鳴を上げる。



「翼――うしろ!」



 咄嗟に私は叫んだ。真っ二つになったグローパーが即座に再生し、鋭い爪を振り上げる。翼は振り返ることなく剣を大きく振りかぶると、



「ふん!」



 その切先を地面に突き立てた。

 真っ赤な爆炎が翼を包み、グローパーは一瞬のうちに炎に包まれ消えていく。そのすぐ横を、もう半分の身体から再生したグローパーが駆け抜け、私に迫る。



「私も……!」



 翼のまねをして刀を振り上げ、地面に突き立てる。真っ黒に伸びた影が、ぶわっと、巨大な波のように盛り上がると、らせん状に渦を巻いていくつもの糸を形作る。グローパーの身体じゅうに巻き付き、その動きを拘束する。

 地面から引き抜いた刀に影が巻き付いて、真っ黒に染まっていた。

 片手で振り上げ、脳天から振り下ろす。さっきまでそこにいたのが冗談だったみたいに、グローパーは消失した。後に残ったのは、真っ黒なライターだけ。



「ちょろいね」

「ナイス、翼」私たちはハイタッチをかわす。「かっこよかったよ」






 真っ黒なライターから、どろどろした中身を、白いライターへ移し替える。

 粘り気のある、固体と液体の中間みたいなそれは、白いライターへ移り変わった瞬間に、さらさらした透明な液体に変わる。同時に、もともと中に充填されていたオイルの濁りが消え、澱のようにわだかまっていた違和感がなくなっていく……

 すべてが終わったとき、私は不思議とすっきりした気分だった。



「ほらね?」

「ほんとうだ。不思議だね」

「魔法少女なのに、グローパーを倒すのをさぼっちゃうなんて。魔法少女失格だね」



 その時、すいっと空からクウが現れた。私と翼を見るとくるくる近付いてきて、



「こんにちは!」

「こんにちは、クウ」



 よく見るとそのクウは、少しおしゃれさんだった。髪の毛に黄色いリボンをカチューシャみたいに巻きつけて、前髪を上げて、小さなおでこを出している。



「かわいいね、それ」翼が指でつっつくと、クウはくすぐったそうに笑った。

「やめてくださいよ。これ、結うのにすごく時間がかかったんですから」

「それで、どうしたの?」

「魔法少女を見つけたから、声をかけただけです。りっちゃんの――いいえ、たぶん、東さんのライターを持った魔法少女だと思ったものですから」



 なんだか変にかしこまったクウだ。私たちはそれぞれ自己紹介をするけれど、クウはクウなので自己紹介も何もない。



「せっかくかわいいんだし、名前を付けてあげたほうがいいかな?」

「ペットみたいだね……」

「ね、お姉ちゃん、何がいいと思う?」

「うーん」



 ペットを飼ったことはない。よく、「犬と猫どっちが好き」というようなクイズがよくあるけれど、私はどっちでもない。



「僕、昔猫を飼ってたんだ。小さいころに死んじゃったけど、その猫には『ルリ』って名前がついてた。目が青いからルリなんだって。瑠璃っていうのは青い宝石のことなんだよ」



 翼はクウの頭を指で突っつきながら、名前を何にするか悩んでいるようだ。クウはくすぐったそうにしている。



「クウコでいいんじゃない?」私は適当に言った。「たぶん女の子だし、ポチとかタマっていうのも何か違うだろうし」

「クウコ? どういう風に書くの?」

「さあ……」

「じゃあ、漢字は僕が考えるね」



 翼はふところからリングのメモ帳と、男の子には似つかわしくない、細くて可愛らしいボールペンをとりだすと、あれこれと字を書き始めた。私はそれを見ながら、自分の名前のことを思う。

 千夏――お父さんがつけてくれた私の名前。



 私とお父さんが出会った、夏の暑い日。今日みたいに晴れていて、風が冷たく、身体は冷え切っていた。私は何も考えずに、この人が私と一緒に暮らす人か、なんて考えていた。



「今日から、君の名前は『千夏』だよ」



 なんて、話してくれた。今になって思うと、お父さんの顔は緊張しっぱなしで、きっと私のことを迎えに来るずっと前から、名前を考えていてくれたんだと思う。お父さんはそっと、私の頭を撫でてくれた。手を握って、頭をなでて、私を抱き上げながら、触れるたびに千夏、千夏と、私の名前を呼んだ。

 まるで水族館のイルカにするような、刷り込みのようなものだったと思う。けれど、私は新しい名前が大切なものなんだと、それで実感することができた。



「これでどうかな」



 翼が見せたのは、空の子どもと書いて「空子(くうこ)」という名前だ。



「シンプルだけど、クウは空を飛んでるし、ぴったりだとおもうよ? どう?」

「かわいい名前だね」

「じゃあ、決まりだね。今日から君は『空子』。よろしく!」



 クウは恥ずかしそうに、くうこ、くうこと何度もつぶやいている。



「不思議な気持ちです。わたしはクウなのに、名前を付けてもらえるなんて」

「ね、空子はどうしてリボンしてるの?」

「これですか? これは、りっちゃん――とある魔法少女に貰ったものなんです」自慢げにリボンを揺らしながら、「これを付けてると、ぽーっと身体が温かくなってくるような……不思議な気持ちになるんです。私はただの『使い魔』なのに、おかしいですよね」

「魔法少女?」

「ちょうど、あなたと同じくらいの歳の方ですよ」



 クウ改め空子はそう言うと、少ししゅんと肩をすくめた。



「凄まじい魔力の持ち主です。なにせ――今ではひとりでこの町じゅうのグローパーを、ぜんぶ倒しちゃうんですから」

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