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安全地帯での撤収作業を終えた一行は、いくつかの安全地帯を経由しつつ、魔の森に侵入する前に集まったクービック辺境伯領の端の街、ファブルの目前まで近づいていた。ここまで来れば質の悪い魔物はいないので、必死に馬を駆ける必要はない。木々も密集しておらず、横三列で並んで歩いていても問題がないほど視界が良好だった。
私たちは速度を緩め、ピクニックに行くかのような気楽さで馬を進めた。
改めて、任務を終えたのだという実感を噛みしめる。彼らの居場所を守ることができた。アーシブルの内情に興味はないので、彼らを疎んでいるという者の思惑は知らないが、ヒュドラを討伐した実績を持つ団を潰す理由がないだろう。
(フェイ、改めてお礼を言わせて。ほんとうに、ありがとう)
「心から感謝を」
「ありがとな、フェイ」
「フェイは俺たちの恩人だぜ!」
「フェイのおかげで、僕たちはまだ討伐騎士として活動できるんだからね」
ノエルに続いて矢継ぎ早に言われた感謝の言葉に、どうやって反応したらいいのか分からなくなった私は、あたふたと返事をした。誰かにお礼を言われたことなんて、生まれて初めてかもしれない。
「そんな、お礼なんて……大袈裟な。それに、ヒュドラは皆で倒したんだから、そのことを誇るべきだと思う」
「それでも、フェイのおかげですよ。ヒュドラは雷の攻撃でだいぶ参っていましたからね」
すかさずニケルが追い打ちをかける。そんなに褒めたりして、彼らは私をどうしたいのだろう。
「途中から雷の精霊が協力してくれたから。でも、力加減が上手くいかなかったみたいで」
「……え」
あれは雷の精霊の協力があってこそだ。謙遜を込めた告白は、意外にも彼らに衝撃を与えた。
前を歩いていたセオとレナードとルーク、右隣のノエルは揃って手綱を取り落とし、ニケルだけは興味深そうに眼鏡を押し上げている。
「雷の精霊だって!?光の精霊に並ぶほど伝説化されている精霊じゃないか」
「そいつが、現れたってのか?」
ルークが目を丸くし、レナードは身を後方へと乗り出した。よく乗馬したままでその恰好が出来るものだと感心しつつ、今度は私が驚く番だった。
(雷と光の精霊は、伝説化されているの?)
……雷の精霊に会ったのは初めてだが、光の精霊には度々助けられている。私が怪我をすれば駆け付けてくれるし、そうでなくとも呼べば直ぐに来る。他の精霊よりも喋り方が流暢で、それに比例するように奔放さも兼ね備えている光の精霊は、ハウゼントからの古い知り合いだ。
でも、火水風土の四大精霊が数多存在するのに対して、光の精霊も雷の精霊も絶対数が圧倒的に少ないのも事実だった。
「落ち着いてください。フェイがとんでもないことを暴露するのは、いつものことではないですか」
「まあ、そうだな」
「むしろ納得だよ。あの最後の雷は、前のものと明らかに違ったからね」
ニケルの容赦ない一言にレナードが興奮から覚め、セオが頷いた。
だが、そのあとに待っていたのは不自然なまでの沈黙だった。誰も喋らず、馬の蹄音だけが静かな森に響く。
……何かを伝えたくて、でも、それを言ってしまうことで、大事な何かを失ってしまうかもしれないと怯えている。
ただ黙っているように見えても、人の心の機微に鋭い私には、彼らの動揺が感じて取れた。だが分からないのは、何が彼らをそうさせているかだ。ただ雷の精霊の話をしていただけなのに。
無限に続くかのように感じた沈黙を破ったのは、ニケルだった。いつもの眼鏡の位置を直す動作がやけに物々しく思えた後、ニケルは話を切り出した。
「ファブルの街に着いたら任務は終了、解散となります。フェイ、貴女はギルドへ戻ってください」
「……それで?」
もちろんフヨールには帰るつもりだが、ただの事務連絡をするような雰囲気ではなかった。続きを促すが、ニケルは言葉を選んでいるのか、なかなか話が進まない。
「この先、王立討伐騎士団からの依頼を受けることは、あまりお勧めしません。今回は事なきを得そうですが、反国王派に目を付けられている我々に近づけば、いつ危険な目に合うか分かりません。覇権闘争に巻き込まれる可能性もあります。その、だから、もう……」
「俺たちとは関わるなってことだ」
ニケルの言葉を遮ったレナードは、突き放すように言い放った。前を向いたままのレナードの顔は見えない。
彼らは、どんな思いで別れの言葉を告げたのだろうか。
彼らの主張はよく分かる。サザンも言っていたが、いまのアーシブルの政治は、ギルバート王と権力にしがみつく貴族との間で、安定と混乱の狭間にある。両者の力は均衡していて、この均衡を崩すことのできる何かを探しているのだ。そして私は、その“何か”に成りうることも、貴族らが私を欲していることも理解している。
だからこそ、私は「権力という柵に囚われるのは嫌だ」という姿勢を保ち続けた。貴族からの依頼は一切受けなかったし、話すら聞かなかった。
今だってその考えは変わらない。私利私欲を満たすことしか頭にない愚図な権力者どもに利用されるのは御免だ。
しかしながら、私はこの任務中に覚悟を決めていた。受け入れる覚悟を、だ。
彼らと深く関わり、彼らに思い入れを抱くようになれば、以前のように無関心ではいられない。望んだわけではないが、私は誰の目にも止まらないように生きるには名を上げすぎた。
「本当の君は何を望んでいるのか」
不自然な話の切り出し方に、彼らは怪訝な様子を見せる。
「この任務を受ける前にサザンがそう尋ねたとき、私は何も答えられなかった」
精霊の役に立つこと。それだけが、私の唯一の望みのはずだった。けれど、この質問の答えが咄嗟に浮かんでこなかったことに、私は戸惑ったのだ。だから、私は王立討伐騎士団の依頼を受ける選択をした。
そして、第十三団のみんなと時間を過ごして気が付いた。サザンの言う通り、私は過去にとらわれていた。ハウゼント王国との関係は完全に絶ったと思っていても、その名前を耳にすれば少なからず動揺してしまう。ジャックのことも、決して忘れることができない。
「私はずっと過去のことばかり考えていたから、未来なんてどうでもよかった。何が起こっても、ただ魔物を倒していればいいって。でも、みんなと過ごす毎日の楽しさを知ってしまえば、もう前みたいには考えられないよ」
私は、孤独を知ってしまったのだ。
彼らと共にいると、今まで感じたことの無い暖かさが体いっぱいに広がる。それが“幸せ”という感情だと気が付くのに、時間はかからなかった。
(フェイの気持ちはよくわかるよ。僕たちも、この数日間は夢のように楽しかった。できることなら、フェイと離れ……)
「ノエル!それ以上言ってはいけません」
ニケルの鋭い叱責に、ノエルはハッとして口をつぐんだ。その言葉が、私を第十三団に縛り付けると危惧したのだろう。
私は、彼らのその優しさだけで十分だった。
「ありがとう、ニケル。でも、私は何ものにも縛られない自由な冒険者。自分の行動は自分で決めるよ」
貴族は嫌いだ。かといって、ギルバート王の手駒になりたいわけでもない。
でも、秘密を打ち明けた仲間が困っていれば、力を貸したいと思うのはおかしいだろうか。
「それに、私はフェリクス・コルダーっていう騎士見習いとして討伐騎士団に来たから、高雅の蒼穹が関わっていると知っているのはサザンと副総長くらいだしね」
そのことを彼らは知らなかったようで呆気に取られていたが、私の存在を公にしないことがもともとの条件だ。
「だから、心配することは何もないよ」
そう言うと、彼らは明らかにほっとした様子を見せた。
彼らとの関係がこのまま終わってしまうのが嫌だと思ったのが自分だけではないことに、私も安堵する。
気が付けば、ファブルへと続く道が目の前にあった。道へ出てしまえば、ほどなくして魔の森を抜ける。別れの時が近づいていた。
「フェイは、これからどうするの」
セオの問いかけに、少しだけ悩んでから答える。
「一旦ギルドに戻ってから、しばらく王都に滞在するつもり。サザンの帰国を待ちがてら、「精霊の寵児」について調べようと思ってる」
精霊の声を聞くことができるという私の力が、はたして「精霊の寵児」ゆえのものなのか。
ずっと疑問に思ってきても、私は目を逸らし続けていた。
王都には、国中の情報が集められた巨大な図書館があるので、しばらくそこに籠ろうかと考えている。
「精霊に関することは、エレメンタル・オーダーの研究師たちが詳しいです。何人か知り合いがいますので、もしよければ紹介しますよ」
ニケルの申し出をありがたく受けつつ、「直ぐに会えるってことだね」と言うルークに微笑む。
「また詰所にも寄るし、何か困ったことがあったら、いつでも頼って」
彼らが頷いたのを確認して、私はハヤテに飛び立つ準備をしてもらう。ファブルの街には入らないので、ここで解散となる。
ルークの言う通り、直ぐに会えるのだから、そう気を落とすことでもない。私は笑顔で別れを告げた。
ハヤテが翼を広げたところで、幾つか言い残したことがあったのを思い出し、少しだけ待ってもらう。
「任務中に打ち明けたことなんだけど、特に秘密にする必要はないからね。皆の信頼に値する人になら、教えても構わないよ」
……たとえそれが、ギルバート王であっても。
その言葉だけは飲み込んだ。
任務中に決断したことだ。
人から見れば異質なこの力を、私は隠した方がいいと必死になっていた。でも、彼らと行動を共にすることで多くの常識を知り、ハヤテとの会話を思い出したのだ。
クエレブレを討伐した帰り道で、ヒーステル王国という国が魔物によって滅ぼされたこと。いまの人類では、強力な魔力を持つ魔物に太刀打ちできないこと。
それを聞いて、アーシブル王国もヒーステル王国のような末路を辿るかもしれないと思案した。
それはすべて、精霊との関わり方を正しく理解していないのが原因だ。精霊が私たち人間に求めることも、精霊魔法の使い方も、なにもかもがズレている。
でも、よく考えてみれば仕方のない事なのだ。私は精霊から知識を得ているが、人々にはそれができない。
以前は国の末路などどうでもよかったが、私の大切な人がいるアーシブルが滅んでしまっては困る。それに、魔物がこれ以上力を増すことは望むところではない。
色々な理由から、私はこの力を無理に隠すのをやめることにした。
彼らは戸惑っていたが、私の意志の強さを感じたのか、異を唱えることはなかった。
もう一つだけ。ずっと気になっていたことがある。精霊の声を聞くことが出来ると告白したから言えることだ。
「あと、ルーク、ちょっとだけいいかな」
ルークだけを側へ呼び寄せる。彼は首を傾げつつも馬を進めると、私の隣に並んだ。
「実はね、ルークと契約している土の精霊は、すぐそばにいるんだ」
精霊が契約者の傍にいるのは今に限ったことではないが、やはりルークには違和感がある。精霊が呼ぶ彼の名前が、違うものだからだ。
ルークが訳あって精霊名を名乗らないのか、それとも精霊名を知らずに育ってしまったのか。アーシブルでは、生まれた時に精霊と契約を交わす。その証として、精霊から名前を授けられるのだ。伝え方は精霊によって異なるが、空中に文字が描かれるという。生まれたばかりの子どもの傍に誰かいなければ、精霊名は分からなくなってしまうのだ。
彼の事情は計り知れないが、名前が違うと、どうにもしっくりこない。
「……リアム。精霊は、貴方のことをそう呼んでいるよ」
これは、私の自分勝手なエゴだ。ルークの過去に何があったのか知らないのに、私は押し付けるようにして告げてしまった。独り善がりであることは確実だ。
余計な節介は要らないと言われるだろうか。恐る恐るルークの様子を窺う。
だが彼は呆けたまま、何の反応も示さなかった。
「リアム」
ルークは穏やかな声音で、その名前を呟く。
少なくとも、怒ってはいないようだ。負の感情に囚われていないのなら、それでいい。
(フェイ、ありがとう!)
ルークに代わるように、彼と契約している土の精霊の声がかかった。
彼は、精霊との距離が誰よりも遠かった。精霊という存在は、自分には関係の無いものであるかのような雰囲気が、彼にはあった。土の精霊も、そのことを気にかけていたのだろう。
土の精霊は基本的にどっしりと構えている雰囲気があるが、この時ばかりは光の精霊に負けず劣らず陽気な声だった気がする。
これで、もう心残りは無いはずだ。別れの言葉もさっき告げた。
それなのに、まだ言っていないことはないかと探してしまう自分がいた。
誰かと別れるのが、こんなにももどかしいなんて。
そんな私の様子を察したのか、レナードが鼻で笑いながら手をひらひらと振る。
「ほら、行けよ。ハヤテがさっさとしろって顔してるぜ」
「ははっ、本当だ」
この短い期間でハヤテの胸中を読めるようになるとは、流石だ。
笑わせてくれたことで、私は心置きなく背を向けることができた。
「じゃあみんな、また王都で会おう!」
翼を広げたハヤテの背の上で、私は大きく手を振る。
魔の森に閉じこもる毎日は止めると決めた。私の生活は、これから劇的に変わることだろう。
期待と不安を胸に、私はフヨールの街へと帰還した。