地獄への決断
継続を決めた営内。
気付くと、安井二曹は元の場所に戻り、私を見ながら他の陸曹らと大爆笑していた。
この日を境に、安井とその仲間による嫌がらせは、隠すことのない露骨なものへと変わった。
目の前が真っ暗だった。
その日は、ひどく暑かった。噴き出す汗と混じりあう涙を、拭うことさえできなかった。
課業終了後、皆が食堂へ向かう中、私は一人で営内のソファに座っていた。
これまでの周囲の不可解な視線。点と線、記憶の欠片が穴を埋めるかのように繋がっていく。
(あいつも……あいつも……あいつもだったのか。あの日も、あの時も、あの瞬間も……!)
中隊内での溝は深まり、それまで親しくしていた上官らも、私を露骨に避け始めた。
駐屯地に、私の居場所はどこにもなくなった。
二年満期を目前に控えたある日、兄から継続について尋ねられた。
「辞めたい」
私はそう応えた。
「そんな中途半端な精神で入ったのか? 馬鹿野郎!」
兄から一喝された。
辞めたい理由は「人間関係」としか言葉にできなかった。自分が「ホモ」などと言われているなど、到底口にはできない。
私たちは母子家庭で、暮らしは貧しかった。
その貧乏な家計を支えてくれたのが中学卒業後に自衛隊に入り、仕送りをしてくれた兄だった。
陸上自衛隊高等工科学校。
兄は学校にて数々の歴史を塗り替えた努力の人であり、実力派だった。
兄ほど優秀な人間に、私は後にも先にも会ったことがない。
私にとって兄は、時に父であり、一生涯尊敬し続ける唯一無二の目標だった。
兄の言葉は絶対だった。
「……俺も、もう一度頑張ってみよう」
自分を失わず、実直に勤務に励めば、ホモだのといった馬鹿げた噂など、いつか消えるのではないか。私はそう自分を諭し、気持ちを一新して自衛官継続を決断した。
決めた以上、もう逃げられない。
こうして、地獄への第二幕が幕を開けた。
誰にも相談できぬまま、継続を決めた営内。惨めな自分。
営内班の隊員たちは、普段と変わらぬ様子で接してくれている。
(こいつらは、自分が同性愛者ではないと分かってくれているはずだ……)
そう信じたい自分と、拭い去れない不安の間で、私は立ち尽くしていた。
そう信じて訓練を耐えた。




