終わりのない憤り
私は、何のために生まれ、生かされているのか。見失いそうになることがあります。
子供の運動会。
親ならば誰しもが我が子の成長に感動し、その姿を喜ぶはずの場所です。しかし、そこでも私は、周囲からの不快な視線にさらされます。
例年浴びせられる嘲笑うような視線。相手の言動に確信が持てない以上、荒立てることもできず、ただ耐えるしかありません。
頑張っている我が子に迷惑をかけるわけにはいかないからです。なぜ、これほどまでに事実無根の噂が止まず、平穏な日常が破壊されなければならないのか。大声で叫びたくなります。
「私がお前たちに何をした」と。
結婚し、家を守り、親として必死に生きている。
それなのに世間からは、私の何ひとつ知りもしない連中に、情報だけでただ噂が有名なだけで色眼鏡で見られ、笑われる。
全身から込み上げる怒りを押し殺し、家族や親兄弟のために仕事に向かう毎日の苦しみが、わかるでしょうか。
一人の人間として、社会人として、夫として、父として。無駄な浪費もせず分相応に生きているだけなのに、心臓が粉々に爆発しそうなほど、悔しく情けない思いしかありません。
外出して気が休まることなど、もう何年もありません。
家族を想い、玄関で深く呼吸をしてからドアを開けなければ外へ出られないのです。
昨日まで普通に挨拶をしていた人が、突然無視を始める。その態度の変化はあまりにも残酷で、シンプルです。
話せば話すほど誤解されるため、態度が変わったと感じれば、私はもうその人には近づきません。
「お前など世の中にいらない、さっさと死ね」――
そう言われているようにしか受け取れない日々が続きます。
かつて、酒屋時代に出会った検品係の井田という男のことを思い出します。
その男が退職する最後の日、彼は部下と談笑しながら、納品に来た私を見てこうつぶやきました。
「忘れないよ、特にこいつ。こんなに有名な奴は初めてだ」
私が「有名というのは私のことですか」と問い詰めると、彼は「お前のことじゃねえよ、さっさと仕事しろ」と吐き捨てました。
今、思い出しただけでも激しい怒りがこみ上げます。
噂を流している連中に言いたい。
貴様らは、一人では何もできない陰湿な卑怯者だ。
普通の職場であれば、セクハラやパワハラを受けても再就職すれば過去の話になります。しかし、私は違います。
どこへ行こうが、どこで働こうが、この噂が付き纏うのです。良好だった人間関係が、噂ひとつで真っ黒に塗り替えられてしまう。
私の人生は、この噂を知らされた二十五歳の夏から、生きる意味が変わってしまいました。
あれから四半世紀。これほど長い年月、全く知らない人間から嫌がらせを受け続ける人生になるとは、あの日想像だにしませんでした。
2017年4月、勤務中に左足の踵を骨折しました。
全治三週間の診断を受け、足を地面に着けるなと言われた矢先に不幸の連鎖は続き、母が亡くなったという知らせが届きました。
松葉杖を突きながらの見送り。
もうそんなに長くないぞ。兄からの連絡を受け亡くなる6日前、もう視点も定かでない母へご飯と味噌汁を食べさせました。
亡くなった母へ私は手を合わせて伝えました。
「おふくろ、俺が他人から影でどう面白おかしく言われているか、見ていてくれ」と。
かつてテレビで、ゲイであることをカミングアウトしたアメリカのアメフト選手が、ドラフトで指名されながらも、わずか二ヶ月で解雇された番組を見ました。
どれほど綺麗事を並べても、世の中は異質なものを排除しようとする。
孤独の中で将来を悲観し、自ら命を絶った有名人たちのニュースを見るたび、その静寂と孤独が痛いほど胸に刺さります。
噂を解決せずに放置してしまった己への不甲斐無さ、そして腐った世の中への怒りが、心身を蝕んでいきます。
体は正直です。この激しいストレスは、ついに潰瘍性大腸炎という形で表面化しました。
一生、薬を飲み続けなければならないかも知れません。
しかし、私は絶対にこのままでは終わらせません。
真実は明かされると信じて生きるだけです。




