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38 心の叫び 佐多岬 自慰 狂人の抗議 

仕事のストレスから実母を乗せてカーチェイスをした男が逮捕されるニュースがあった。

どれほど頭に血が上っても無関係な人々に恐怖を与えても何一つ解決はしない。


今の私の心に残るのは、怒りよりも拒絶され続けてきたことへの底知れない虚しさです。人を信頼すればするほど裏切られた瞬間の衝撃は大きく、心は粉々に砕かれます。


人を恨んでも何の価値もないと分かっていても、受けた傷は決して消えません。

家族や会社に迷惑をかけたくないという一念で自分を律してきました。


心から「楽しい」と感じる感情は、25歳の自衛官時代に事実無根の噂を知ったあの日から私の人生からは消え去ってしまいました。


数年前、同級生から同窓会の案内が届いた。


私は「不参加」と返し、二度と連絡しないでほしいと書き添えた。

彼らと会っても、私の人生が癒えることはありません。愛の反対は無関心。どこにいても、私は静かな孤独の中にいます。



私の精神はあの自衛隊時代から何も変わっていません。


噂を知ってから駐屯地の柵や壁はどこまでも厚く高く感じられ、数千人の視線から受ける恐怖は今も私を追い詰め続けています。


食堂にも風呂にも行けず、真冬の洗面所で震えながら水をかぶるしかない地獄のような生活。


温かい白飯が食べたい


だが、目の前にはカップラーメンとパンしかない。

共に暮らす先輩や後輩の前ではその惨めさを出すことさえできなかった。


この地獄は今も私を追いかけてきます。


あるホームセンターでのことでした。

同年代の夫婦が私を見て


「レジに並びながらやってたりしてな」


と笑いながら呟きました。


また、通院する病院の待合室では男が険しい眼差しで私を睨みつけ、隣の妻に何かを呟いていました。

その時、その女性の声が聞こえました。


「いいじゃない、だってあの人は誰ひとり、傷つけていないし迷惑も掛けていないんだから」


その言葉に触れた瞬間、私の記憶は一気に四半世紀前のあの場所

 佐多岬でのキャリバー50対空射撃実射訓練


に自分を完全に捨て去る引き金となったあの記憶が重なりました。


人間性を根こそぎ否定してきた駐屯地の連中を、私はどうしても許せなかった。

本気で殺してやりたいと思っていました。

が、殺人という重罪を実行すれば弟である自分のせいで、これまで何十倍も努力し幹部に昇進した兄の将来は完全に潰える。


見知らぬ土地で必死に私たちを育ててくれた母や家族は加害者家族として世間から激しく非難され、深い傷を負うことになる。


母は、結婚を機に都会から父の意志で誰も知らない土地に来た。

その父が他界し、頼る人もいない中で私たちを必死に育ててくれた。

兄は、長男としての自覚を持ち時には父となりあらゆる苦労を乗り越えて幹部として出世した。

人の何十倍も努力してきた兄に絶対に迷惑はかけられない。

家族を、親を、兄の未来を守るため――。

出すべき結論はひとつしかなかった。

事実無根の噂をタレ流す奴らを殺す目的


「俺だけが、狂った異常者になればいい」。


誰も傷つけず、すべての罪を自分一人に被せ、周囲の連中に「あいつは頭がおかしい気違いだ」と思わせること。

自分だけが気違いだという泥を被れば、家族への迷惑を減らし奴らへ復讐ができる。

どうすれば狂人になれるか必死に考えていた。


その訓練の夜、私は同期の佐藤に飲みに誘われた。

今思えば、佐藤は偏見もなくただの「普通の男」として思ってくれていたと考える。


演習場内にあるスナック


店には、懐かしい鹿児島弁を話すホステスがいた。

その方言を耳にしながら別れた彼女のことばかり考えていた。

酒をあおるうち、彼女は錦江湾の向こう側で結婚して別の人生を歩み、今頃は新しい生活を送っている。

方言が優しければ優しいほど、彼女が送っているであろうまっとうな幸せと、己は駐屯地に帰れば「ホモ」「ゲイ」と騒がれ差別され、人間性を徹底的に否定されている自分との落差が深酒にさせた。

惨めな現実とのギャップ、佐藤への嫉妬も重なり孤独感が底知れない虚しさとなって心に重くのしかかってきた。


逃げ場のない生活、笑われる日々。


寒さに震えながら洗面所で真水を浴びるしかない現実。

あまりの惨めさと抱えた重荷に耐えかね、私は佐藤に「酔ったから先に帰る」と告げて、一足先に店を出た。


宿舎に戻る途中、草むらで小便をしようとしたときのことだった。


背後から数人の笑い声が聞こえてきた。

――こんな演習場でさえ笑われるのか。


悔しさと激しい怒りが頂点に達し、精神が完全に限界を迎えたその時だった。

それまでの正常な思考では到底思いつきもしなかった行動へと突き動かされる心理がこみ上げた。


 自慰行為


狂人になればいいという思いと共に、人の噂を陰でしか言えない奴らの陰湿さに人前では絶対しない自慰行為を合わせる感情が激しく湧き上がった。


今思うと、殺意の復讐よりも極限状態での突発的感情の方が遥かに強かったと思う。


常識のある人間なら絶対にやらない自慰行為を、奴らの目の前であえて晒す。

そうすれば、奴らは確実に私を「頭がおかしい変態の狂人」だと思う。

自分だけが気違いだと思わせる事で家族や兄を守ることができる。


これがこの自慰の目的だった。


私は、背中越しに私を見て笑う連中の目の前で、自ら人生の底を開き堕としてしまった。

裏でしか人を嘲笑えず、人前では絶対にできない行為を卑怯な連中の目の前で、私は涙を流して実行した。


それが、人間性を否定され私を追い詰めた奴らに対する、羞恥心を完全に捨て去り命懸けの愚かな私なりの殺人犯となる復讐の始まりだった。

人として最も恥ずべき行為を、涙を流しながら二度と人間に戻るまいと己を破壊してしまった。


自分で自身を完全に捨て去った瞬間だった。


悲しみと怒りの中で死ぬ覚悟を決め、自分を「変態の狂人」になった。



駐屯地隊舎は、中隊長室と武器庫以外はほぼ施錠などされていません。



決行は、足音を消してくれる雨の夜と決めていた。

真夜中に第46普通科連隊の隊舎を血の海にするつもりでした。

脳裏で幾度も繰り返した計画。

雨が降りしきる夜、靴に靴下を履かせ音を殺して歩く。

覚悟を決め刃物を手に立ち上がりました。

しかし、全身を襲う激しい震えでどうしても実行することができなかった。

人を殺せば、その被害者家族には一生涯消えない恨みと悲しみを与える事になる。

他人を傷つければ、更なる怨念を生み、大切な家族を苦しめるだけだと。


就寝中の相手の寝首を襲うという最低劣悪で惨虐な殺し方。

だが、私はその大量殺人犯の境界線を越えることができなかった。

協力者も居ない単独、他の中隊の情報を集める事が出来ない。

標的とする奴らのベッド、営内詳細を集めきれなかったこと、そして何よりも優秀な兄の存在が私の思いを踏み留まらせた。

もし、この兄と血が繋がっていなければ、私は間違いなく殺人を犯し自ら駐屯地で命を絶っていただろう。



あの日から四半世紀。


あの当時、私が傷つけてきたのは己だけだった。


病院の待合室で出会ったあの女性が


「あの人は誰ひとり、傷つけていないんだから」


と言ってくれた時、私の心に去来したのは、あの日、刃物を手に震えながら一線を越えなかった自分、そして自ら羞恥心の欠けた自慰行為を短絡的にしてしまった自身の哀れな姿だった。








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