自衛隊へ入隊
私には入隊当時、鹿児島に恋人がいました。
入隊と同時に、私たちは遠距離恋愛となりました。
彼女と出逢ったのは私が18歳の夏でした。
交際が始まりすぐに半同棲を始めました。
私が21歳の時、結婚の意思を伝えるために彼女の両親へ挨拶に行ったが、ご両親は私が頼りない存在と見なし交際を認めてはくれませんでした。
だが、今思えば、あの忌々しい「噂」がすでに両親の耳に入っており、それが反対の理由だったのではないかと考えてしまいます。
私たちは内緒で鹿児島市内にアパートを借り、同棲を強行しました。
しかし、経済的な困窮はすぐに二人の生活を蝕んだ。彼女は私より七歳年上で、大卒の教員免許を持つ聡明な人でした。
友人の結婚式に招かれ、幸せそうな友人を祝福して帰宅するたび、そこには将来性のない私がいた。彼女は次第に希望を失い、精神的にも経済的にも疲れ果てていった。
ある日、彼女から突然別れを告げられた。目の前が暗くなるようなショックでした。
数日後、私は絞り出すように自分の決断を伝えた。
「自衛隊に入隊して、安定した生活力を身につける。二年間、チャンスをください。必ず君を幸せにできる経済力をつけて迎えに来るから」
彼女はその言葉を信じ、待っていてくれることを承諾してくれました。
私は幹部自衛官である兄に相談して自分を徹底的に鍛え直すため、あえて彼女から遠く離れた地で訓練したいと願い、他県からの入隊を決め23歳の春、私は自衛隊の門を叩きました。
入隊の日は兄が同行してくれた。
正門をくぐると、高く囲まれた塀と鉄条網が、そこが外界とは隔絶された別世界であることを誇示され漂う威圧感に身が引き締まる思いでした。
入隊式を終え、一般部隊の隊舎で兄の知人の自衛官に会った。その男が放った言葉を、私は一生忘れることができない言葉を受けました。
「自衛隊では目立つことが大切だ。射撃、銃剣道、持久走、どれでもいい。努力して目立つことだけを考えろ。ただし……他のことで目立つことは絶対に避けるんだぞ」
「目立つ」
この言葉が、後に私を縛り付ける重い枷になるとは、その時の私には知る由もなかった。
訓練は厳しいものでした。
二つの区隊に分かれた生活の中で、私は「取締役(長)」という重責も経験させて頂きました。
初めて手にする本物の小銃。
鼻を突く独特の油の匂い。わずか4.3kgの鉄の塊が、人の命を奪うための道具であるという現実に、私の指先は震えた。
日曜日、同期たちが気晴らしに京都や大阪へ繰り出す中、私は一円でも多く貯金するために駐屯地に残りました。
初めて見る琵琶湖は、まるで広大な海のように青く、ウィンドサーファーたちが鮮やかに水面を駆けていた。その眩しい光景を眺めながら、私は静かに、自分を律する休日を過ごしました。
自衛隊生活では、階級章の縫い付けや半長靴の手入れも重要な任務の一つで、私は幼い頃から縫い物が得意で、手先が器用でした。
頼まれて同期たちの制服を代わりに縫ってやると、彼らは一様に喜んでくれました。
また、靴磨きや戦闘服のアイロン掛けなどタバコ二箱分の手間賃で引き受け、節約に励む生活でした。
そんな日々に、私は確かな充実感を感じていました。
この自衛隊での経験は、私自身の成長であり、愛する人を迎えに行くための唯一の道だと信じて疑いませんでした。




