2- 自衛隊入隊
私には入隊前に鹿児島に恋人がいた。
遠距離恋愛でした。
交際が始まり、すぐに半同棲を始めました。私が21歳の時、彼女の両親に結婚の意思を伝えるために挨拶に行きましたが、彼女の両親は私を頼りない存在と見なし、交際を認めてくれませんでした。
後に考えると、この反対意見も噂が相手両親の耳に入ったため、認められなかったのではないかと思えます。
二人は内緒で鹿児島市内にアパートを借り、同棲生活を始めました。しかし、経済的に苦しく満足な暮らしではありませんでした。彼女は私よりも7歳上で、大卒で教員免許を持つ人でした。
友人の結婚式に呼ばれ、結婚する人たちの姿を祝福しながら帰宅すると、将来性もない私が居る。
彼女は希望を見いだせず精神的にも経済的にも疲れていたようです。
ある日、彼女から突然別れを告げられました。
ショックでした。
数日後に私も自分の考えを伝えました。
自衛隊に入隊して安定した生活力を身につける。
2年間のチャンスをください。
必ず結婚できる経済力をつけて迎えに来る。
彼女は納得してくれました。
私は幹部自衛官だった兄に相談し、自分を鍛えるためにも彼女から遠く離れた場所で訓練したいと伝え、他県からの入隊を決めました。
23歳の春、私は入隊しました。
入隊の際は兄が同行してくれました。
正門から歩いて駐屯地に入ると、囲まれた塀と鉄条網から別世界のような威圧感と空気が漂っていました。
入隊式終了後に兄に引率され一般部隊の隊舎に向かい兄の知り合いの自衛官に会いました。
彼が私に言った言葉が忘れられません。
「自衛隊では目立つことが大切だ。射撃、銃剣道、持久走、どれでもいいから努力して目立つことだけ心がけろ。
ただし、
他のことで目立つことは避けるんだぞ」と。
目立つ。
この言葉が私にとって忘れられない言葉となりました。
訓練がスタートし、教育隊での日々が始まりました。
2つの区隊に分かれ、私は取締役(長)の役割も経験しました。
制服や戦闘服、そして武器。
初めて手にした小銃の油の匂いが私の鼻を刺激しました。
このわずか4.3kgの鉄の塊が人の命を奪う存在であることを改めて感じました。震えが止まりませんでした。
日曜日、同期生たちは気晴らしにと大阪や京都などへ出かける中、私は節約のために外出を控えました。
初めて見る琵琶湖は広大な海のように感じられ、カラフルなウィンドサーファーで賑わっていました。その光景を眺めながら、私は静かに休日を過ごしました。
自衛隊では制服や戦闘服の階級章など自分で縫わなければなりませんでした。
私は幼い頃から縫い物が得意で、手先が器用。
同期たちから制服や階級章の縫い物を頼まれ、喜んで手助けしました。
また、半長靴の先端を光り輝かせるためにも自分で磨かなければなりませんでした。さらに、制服や戦闘服をプレスして清潔に保つことも求められました。
タバコ二箱分で靴磨きやアイロン掛けをすることで節約も兼ね努めました。
これらの日々は私に充実感を与えてくれました。
自衛隊での経験は私の人生において貴重なものであり、自己成長の機会でもありました。