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いま一度、このめちゃくちゃな現状を整理してみた。そうして浮びあがってきた最大の疑問――それは、おれ自身の立ち位置だった。
朝起きたときから、死にそうなほどの頭痛だった。
偏頭痛はますますひどくなっており、この二、三日、外出もせずにネットで情報を集めて過ごした。
日中にもかかわらずカーテンを閉め、インスタント・コーヒーを何杯も飲み、気持ち悪くなるほどのペースでタバコを吸った。とにかく頭の毛細血管を収縮させなければならない。
液晶モニタの放つ光にすら耐えられなくなり、いよいよおれはベッドのうえに転がった。
右手を額のうえに載せ、ゆっくりと深呼吸する。
窓を密閉しているため、ベッド脇のサイドテーブルからエアコンのリモコンをとり、軽く冷房を入れた。
妹の誕生日祝いをしてやった夜、思いもせず三浦半島まで旅をしてから奥沢の自宅に戻ってきた。少し風邪ぎみだったらしく、帰宅後、微熱を出した。
小野寺と棟木の死を知ってからきょうに至るまで、いろいろな情報が飛び交っているせいで、必要な情報の整理や取捨選択ができていないのが現状だ。正しい情報を正しい見方で分析してこそ、それは意味をなす。
おれは偏頭痛をおしてでも、自分のまわりで起こっている物事を時系列に沿ってなるべく客観的に並べるという作業に着手したい。
引きこもっているあいだに、いくつか新たな情報を得ることもできた。それらも併せてここで確認するとしよう。
まず最初に起こったのは棟木の事故死だ。
警察の発表では猪口会系の組員に追われていたとなっている。猪口会は日本では二番目の規模の暴力団だが、近年は大陸側との連携を強めており、徐々に勢力を拡大していると聞く。
そして次に起こったのはタイのバンコクでの小野寺の死。
小野寺は死ぬ数日まえに、おれ宛に児童ポルノ動画を送りつけてきている。わざわざ航空便でだ。何度か動画を見なおしてみたが、小野寺の意図するメッセージを読みとることはまだできていない。
児童ポルノそのものに関する動きとしては、国会議員連中のほうになにやら規制強化の動きが出ているらしい。中心人物は棟木一郎――事故死した棟木隆俊の従兄弟だ。議員どもがなにを考えているのかは知れないが、ただの規制が目的ではなさそうだ。日本国に蔓延する不満を抑えこむための準備段階にあるのではないかとおれは睨んでいる。
そして先週立川で起こった強盗事件は、中国と韓国のマフィアどもを緊張状態にならしめた。中国が韓国から三億円を奪ったのだという。問題はその金額ではなく、行為そのものであることは明白だ。詳細については、当局は頑なに口を閉ざしており、メディアへのリークも一切なされていない。
さらに直接関係はないことだが、愛莉の知り合いであるムサシはなにかしらの『祭り』を実行に移したらしい。おそらくドラッグ・パーティーやレイプまがいのことをやらかしたのだろう。これについてはまったく調べてもいないが、ムサシの仲間のひとりが「殺された」ようだ。野田市の山林で若い男性の変死体が見つかったというニュースが社会記事として出ていたはずだ。顔面がズタズタに壊されていて、身元特定のためにDNAや歯型を鑑定中だという。この死体がムサシの仲間だと考えてまちがいないだろう。
最後の他殺体の件は横に置いておくとして、小野寺と棟木の死、それからアジアン・マフィアどもの動きは、密接にかかわっているように感じてならない。
傾きかけた日本国内での覇権を巡り、種々の力がひしめき合っている。この国の未来を手にするのは、日本人なのか? 中国人なのか? 韓国人なのか? はたまたもっと別の勢力なのか?
小野寺と棟木が狙われたということは、彼らはそれなりに核心に迫っていたのだろう。
きっとバラさんはこうなることを予見して、おれたちにいろいろなことを語って聞かせてくれたのかもしれない。
しかし合点がいかないこともある。
滝山さんと先輩のことだ。
小野寺や棟木、それからおれなどよりも、もっとパクスの活動に精通していたはずのふたりは、一見すると平穏な生活を送っている。彼らは命を狙われてはいないのだろうか? あるいは、そうだとしても、おれには悟らせないように振る舞っているのだろうか? だとすれば、なぜ?
いちおう最悪のシナリオも考えてはいる。
理由まではまだ考えが及ばないが、小野寺や棟木の件の黒幕は、パクスをつくった滝山さんや先輩なのではないかということだ。ふたりがおれにマフィアの動きについてわざわざ話したのは、それによっておれの立ち位置を見極めようとしているとも考えられる。ふたりにとって、おれは使える人間なのか、それとも邪魔な人間なのか、という見極めだ。
ひととおり考えを巡らせたところで目をひらき、身体を起こした。これ以上ひとりで考えつづけると、底の見えない疑心暗鬼に陥ってしまいそうだった。
ベッドから立ち上がって、気分転換がてら、センスフルな楽曲でも落ちていないかと動画サイトを手当たり次第に見てまわる。
ある音楽ファイルを再生したところで手が止まった。
ドラムンベースを主体に、チェレスタの宇宙的な響きが空間を飛び跳ねる。鍵盤のパッキングはニュー・スタイル・ジャズの流れを汲んでいて、おれがよく用いたフレーズだった。いわゆるマイナー曲の焼きなおしというか、リミックスというか、暗黙裡に行ったならばそれはパクリというやつだった。
トラックメーカーを確認すると、聞き覚えのあるやつの名前だった。すぐに忘れ去られそうなトラックばかりをつくり、ロクな仕事にもありつけていなかった男だ。ウッドベースでテクノとジャズのあいだをいったりきたりするベースライン、きらめくチェレスタにサンプラーを多用しすぎない古典的なパーカッションパート。それはまるでおれがつくったデッドストックかと思ってしまった。
しかしおれはべつに怒ってなどいない。いや、むしろ誇らしくさえ思っている。
無駄は文化を生み、模倣はそれを育てる。おれが仕事から離れても、おれの生んだフレーズが、楽曲が、世界のなかで息づいているのだ。
そんなふうにも思ったが、もしかするとおれが生みだしたと信じきっている音楽でさえ、自身も気づいていない誰かにインスパイアされたものなのかもしれない。




