13
妹の誕生日を祝う夕食会には愛莉も同席した。そこで愛莉から聞かされた事実。思ったとおりだ。ムサシの野郎、しくじりやがったらしい。
妹の郁美の誕生日が近いということで、おれは夕食をご馳走してやることにした。特別に兄妹仲がよいわけではないが、この歳になってからよく話すようになった気はしている。
妹は身長一七〇を超えている。けっして美人なわけではなくとも、長身ゆえに、motoGPのグリッドガールやミネラルウォーターのキャンギャルなどをやっていた。ホンダのサテライトチームの写真なんかを見せるついでに、これが妹だ、などと言えば、少しは話の種にはなるという程度。
堅実な妹は両親の意向に沿って、国立の女子大に進学している。
おれとは異なり、真面目に授業に出ているらしく、この日も、大学が終わってからの夕方に品川駅で待ち合わせることにした。
高輪口でぼんやり待っていると、遠くから妹がやってきた。待ち合わせの時間よりも三〇分ほど早い。
「圭ちゃん、きてたんだ! 元気ィ?」
おれはホットパンツ姿の妹に片手を上げて応えた。
「思ったよりも授業が早く終わっちゃって」
妹は駅前の通りを珍しそうに見渡しながら、店の予約時間は何時か尋ねてきた。
「七時にとってあるけど、どうするよ? もう店に入るか?」
妹は、どこかで一杯飲んでから予約した店に移動しようと言った。
おれはその提案を受け、信号を渡ったさきにあるシンガポール料理の店に入ることにした。
節電の影響なのか店内は暑かったため、テラス席に案内してもらう。
とりあえずビールとつまみのソーセージを頼んだ。
妹と小さく乾杯してから、おれは一息にビールを飲んだ。
「あ、そうだ、圭ちゃん」
「あん?」
「予約してくれたお店、時間だけでしょ? コースみたいのとか、決まってんの?」
「そんな高いの頼んであるはずねえだろ。時間だけだよ」
「じゃあ、もうひとり増えてもだいじょうぶだよね?」
「誰だよ? 誰が増えるんだよ?」
「あーちゃん。きのう電話してたんだけどね、あーちゃんもきてくれるってさ」
妹があーちゃんと呼ぶのは愛莉のことだ。
正直おれは嫌だったが、平静を装って言った。
「それはよかったな。それよりも、いまでもおまえたち、遊んだりしてるのか?」
「うーん、最近はメールしたりするくらいでなかなか遊んだりはできてないねぇ。あーちゃん、売れっ子だし」
全然売れてないと思ったが、黙って聞いておいた。
「そろそろ七時になるね。移動しよっか?」
妹は少し頬を赤らめていた。
おれは会計を済ませると、妹を連れて、近くの品プリに向かった。
ホテルの敷地内を奥に向かって緩やかな坂をのぼっていくと、水族館のまえに愛莉が立っていた。
「あーちゃん!」
「おお、郁ちゃん! おひさっ!」
妹と愛莉は中学生のようにはしゃいでハイタッチする。
愛莉は妹よりも一〇センチ低い身長だ。妹と並んでいると、ことさら華奢に見える。
おれは妹と愛莉を後目に、さっさと建物のなかに踏み入った。
水族館のゲートを過ぎて、奥のレストランに入る。
店のなかは青を基調とした間接照明が利いており、あちこちの水槽でサメやエイがゆったりと泳いでいる。
ボーイに案内された奥の壁側のテーブル席に、おれと女ふたりが向かい合うかたちで座った。
喫煙者はおれだけだったが、彼女らは文句も言わずに談笑に耽っていた。誰がスポンサーであるのかを理解して振る舞えるというのは、女にとって重要なスキルのひとつだ。
テーブルワインを飲みながら肉料理を食べた。
九〇分の時間をフルに使って、妹の一九歳の誕生日を祝った。
支払いまえに、妹がトイレに立った。
妹が戻ってきてから、おれもトイレに向かう。
男性用トイレに入ろうとしたとき、うしろから服を引っ張られた。おれとしたことが気配を感じなかった。酔ってしまっているのだろうか?
慌てて振り返ると、そこには愛莉がおれを見上げて立っていた。心なしか瞳が潤んでいるようだ。
「先生……」
消え入るような声で言った。
「どうしよう……」
愛莉はなにかに怯えているように声を震わせる。
「ムサシくんたち、なんかやばいことになっちゃったみたい……」
あの馬鹿どもめ。やはり危険な『祭り』をやりやがったか。
「落ち着けよ、愛莉。あいつらがどうなろうと、おれの知ったことじゃないし、おまえにだって関係のないことだ。いいか? おれはムサシに忠告してやったんだ。それでもあいつはおれの言うことを聞かなかった。なにがあったかは知らないが、おれのせいではないし、おまえが心配することでもない」
愛莉は小さな声で、うん、と頷き鼻を啜った。
「でもね――」
アニメキャラのような愛莉の喋り方に、おれは少し苛立っていた。
「なんだよ? なにかあるなら早く言えよ」
「ムサシくんの仲間が――」
愛莉は俺の目をじっと見つめる。
「殺されちゃったの」
そう言うと、愛莉は堰を切ったように泣きだした。
なんだか厄介なことになってきてしまったようだ。
おれは苦い思いをぎゅっと飲みこみ、愛莉の背中にゆっくりと両腕をまわした。
いったいなにがまちがってそうなってしまったのだろうか?
確実に言えることはなにもない。おそらく死んだやつは運が悪かったのだ。
愛莉はおれの胸に手を当てて身体を離すと、涙をこすりながら笑顔をつくった。
「ご、ごめんね! 先生は全然関係ないのに、誰かに言わなきゃ胸が潰れそうだったから……ごめんね」
妹に誤解されると面倒だからさきに戻っていろと、おれは愛莉に言った。
おれは小便をほとばしらせながら、愛莉のショートカットから香ってきた甘い匂いを思い返した。
店の支払いを済ませて、三人そろって外に出た。日中は蒸していても夜になればかなり涼しくなる。
妹と愛莉は山手線で帰ると言った。
おれも渋谷まで山手線に乗ろうと思ったが、やめた。たまには横浜の西口にある馴染みのクラブに寄って、頭のなかを空にしてくるのもいいだろう。
おれは京急の改札でふたりと別れると、粗末な階段をのぼり、ホームへと向かった。
ほどなくして臙脂の車両がホームに入ってくると、大勢のサラリーマンの乗り降りがあった。
けっして空いていたわけではないにもかかわらず、うまい具合に座席に座ることができた。少し頭痛があったため、ちょうどよかった。ワインの味はわからない。おれはウイスキかウォッカじゃないと飲めない。
シーメンスのインバータが発する間抜けな音とともに、車両は動きだした。
意外と悪くない乗り心地だった。
……。
ほんの一瞬に感じられた。
おれは落ちていた首を上げると、周囲を確認した。
車両には誰も乗っていない。いや、端のほうにひとり、中年女が座っている。
状況がわからないため、窓の外の闇をじっと見つめた。街の灯りが少ない。
そのとき、アナウンスが流れた。次は終点の三崎口だと言う。
三崎口だと? 三浦半島の先端だぞ?
ちょうど車掌がまわってきたため、念のため、もう一度確認した。やはり三崎口まできてしまったようだった。
やおら身体を起こして扉のまえに立った。気分がよくない。壁に手をついて身体を支える。
やがて電車は田舎のホームに滑りこみ、ゆっくりと停まった。
エアが漏れて扉がひらく。
おれの鼻腔をくすぐるのは、突き抜けるような潮の香り。




