エピソード38:喝采の裏側、狂騒の円形舞台
第38話:喝采の裏側、狂騒の円形舞台
公国連合のなかでも「娯楽の都」として名高い侯爵領。到着した一行を待っていたのは、年に一度の演劇祭を前に、熱狂の渦に包まれた街の熱気でした。
「すごい人だかりね……。でも、この熱気、どこか不自然じゃない?」
大学院の女性学者が、街を埋め尽くす群衆を見て眉をひそめました。
「ただの興奮じゃないわ。人々の感情が、特定の方向へ強制的に増幅されているような……」
1. 舞台裏の異変
街の中央に鎮座する古代遺跡を再利用した巨大な円形闘技場。そこで一行は、頭を抱えて座り込む興行主を見つけました。
「ああ、もうおしまいだ! 最高の演出、完璧な脚本、そして『毒の鎖』から得た大衆煽動の術式……。すべてを揃えたというのに、肝心の主役が急病で倒れるなんて!」
興行主の話によれば、彼は例の禁書に記された「感情の永久循環理論」を舞台演出に組み込んでいたのです。役者の発声、照明の魔力、観客の配置——すべてを数式通りに実行すれば、観客はかつてない陶酔状態に陥り、彼の劇団は伝説になるはずでした。
「あんたの『完璧な演出』とやらが、役者に無理をさせたんじゃないのか?」
職人組合の伝令員が皮肉を投げかけると、興行主は縋るような目で一行を見つめました。
「頼む! そこの東方の戦士と、身軽そうなあんた! 代役を務めてくれ! セリフはいい、劇のクライマックスで華麗に立ち回ってくれれば、術式は完成するんだ!」
2. 演じられる熱狂
観客の期待が最高潮に達した時、舞台の幕が上がりました。
主役の騎士役に扮した職人組合の伝令員と、その宿敵である敵役に扮した火山島の戦士。
「……まさか、こんな場所で刀を抜くことになるとはな」
「いいじゃないか、リーダー。これも調査の一環だ、派手にやろうぜ!」
職人組合の伝令員は優れた身体操作の俊敏さで舞台を跳ね回り、火山島の戦士は集中力を研ぎ澄ませて、寸止めながらも火花を散らす斬り合いを演じました。観客は立ち上がり、地響きのような歓声が上がります。
しかしその時、演出用の魔法の灯火が異常な輝きを放ち、舞台を取り囲むように炎が燃え広がりました。
「……始まった。観客の興奮を燃料にして、火を大きくしている!」
舞台袖で見ていた女性学者が叫びました。
3. 鎮火と正気
「これ以上は危険よ! 巫女さん、お願い!」
砂漠半島の巫女カが水筒を構え、占星術[水幕]ウォーター・スクリーンを発動。舞台の周囲に清涼な水の幕を張り、火の勢いを抑え込みます。
同時に、一神教の司祭が身を乗り出し、降霊術[平静]サニティを観客席全体に響かせました。
「主の名において命ずる。過ちなる熱狂を鎮めよ……」
暴走しかけていた群衆の熱気が急速に冷め、人々は「自分たちは何をしていたんだ?」と、我に返ったように座り込みました。
4. 残された徴
騒動の後、興行主は放心状態で、舞台中央に残された一冊の本を差し出しました。
「……恐ろしい本だ。美しき熱狂を生む魔法だと思っていたが、これはただの『集団発狂の処方箋』に過ぎなかったのか……」
本を手に取ろうとした大学院の女性学者でしたが、横から公爵領の使者と名乗る男たちが、公的な差し押さえを宣言して本を奪っていきました。
「この本は、公国の法に則り、政治の中心地である公爵領の蔵書家が責任を持って管理することになった。異存はあるまいな?」
有無を言わせぬ態度で去っていく使者たち。
「……公爵領。あそこは五公連合のパワーバランスを司る場所よ」
女性学者が険しい顔で地図を指しました。
「蔵書家が善意で本を求めているならいいけれど、もしあそこの権力争いにこの本が使われたら……」
一行は、華やかな劇場の余韻を背に、公国最大の難所である公爵領へと向かう決意を固めました。




