邦領君主の回想と返答・7
[きっと歴史に残るよね]
[現時点では隠せとのご命令です]
兵站総監カール・ハイドリッヒの仕事は多忙を極めた。
じゃがいもとベーコン、そしてビールに関してはリリエンタールが三年かけて、この戦いのために新大陸で増産していたので足りなくなることはなく ―― ロックハートとペガノフ両将軍が指揮する艦隊が規則正しく、規定量を大陸へと運び込んでくる。
カール・ハイドリッヒは命令書通りに、それらの物資を前戦へと送る指示を出し、時には監察官をも付けて、横流しがないかどうかを調査する。
横領紛いのことが起きていた場合は速やかに筆頭副官に告げ ―― その後は、裁判にかけられたりいつの間にか消えていたり。
食糧を盗む屑の行く末を深く追求するほどカール・ハイドリッヒも暇ではなかったので、どうなったのかは分からない。
そんな多忙な中、特に困ったのは、
[三十万人近い投降兵か]
カール・ハイドリッヒと同じように、招集されてもいないのにリリエンタールの元に馳せ参じ陣営に加わろうとする者が次から次へと現れること。
自分にかかる費用を全て自前で賄っているカール・ハイドリッヒとは違い「加わります」とやってきて、あとのことは全て連合軍側任せ ―― 食糧を用意してやらなくてはならない問題が発生していた。
もっとも駒の思考はその程度でよい……と、全てを指示するリリエンタールは受け入れた。
[殆どはこの戦いで兵士として使わず、新大陸に送るので、食糧と船の用意をとのことです]
[ロックハート艦隊ではなくペガノフ艦隊で輸送するように?]
[はい]
[わかった。新大陸に送るまでの間の生活全般は連合軍で?]
[いいえ、総司令官閣下の私兵扱いですので私財で]
筆頭副官はカール・ハイドリッヒに、リリエンタールの小切手帳を差し出す。
それを受け取り、
[限度額はないんだよね]
[”兵站総監の裁量に任せる”とのことです]
[そっか。分かった]
リリエンタールとは別の意味で素っ気ない筆頭副官に、気のない返事を返してから話し掛ける。
[キース中尉、時間はあるかな]
[大将閣下のご命令とあらば]
美しい青い瞳に白い肌 ―― 身長が高い上にカール・ハイドリッヒは座って報告を受けているので、見下されている感しかないのだが、そんなことを気にするような彼ではない。
[ロスカネフへの食糧支援について意見を聞きたい]
言われた筆頭副官が訝しげな視線をカール・ハイドリッヒに向けるのも、仕方のないこと。
[出兵している国への補償みたいなものらしい。徴兵なんてほとんどが農民だろう? 当然食糧の生産量が落ちる。総司令官はそこまで見越して、新大陸で増産体制を取っていたらしい]
カール・ハイドリッヒも食糧支援が善意から来ているものでもなければ、支配者としての義務として行っていることではないことも分かっているが、理由そのものは分からない。
だがどのような思惑があろうとも飢えをしのげるのならば、こしたことはない ―― カール・ハイドリッヒは飢えたことは一度もなく、それはリリエンタールも同じこと。
[なんでもお聞きください。小官が答えられる範囲のことでしたら包み隠さずお答えいたします]
[そうか。ではそこに座って]
[それはお断りいたします、大将閣下]
[そうかい]
筆頭副官の怪訝な表情はそのままだが、聞くべき話であり、質問には答えるべきだろうと ――
カール・ハイドリッヒはロスカネフ王国と全く交流がないので、その国の物流の仕組み等について全く手探り状態。
情報を得るために出身国の士官から話を聞くことにした。
愛想がなく怒鳴りつけ、殴り合いを辞さず、よく第二副官と殴り合っているような男だが、リリエンタールが副官のトップに置くだけあり、年齢や階級に見合わぬ深い見識を持ち合わせており、カール・ハイドリッヒが聞きたかったことは完璧に答えてくれた。
ただこの優秀な筆頭副官は、本国の一部上層部にとって、隙あらば排除したい問題児として扱われている ―― だがその一部上層部を排除したい別の上層部側が、リリエンタールに重用を持ちかけてきた。
カール・ハイドリッヒは筆頭副官の経歴や上層部との摩擦については分からないが、酒の席で「厄介な男から出世の取っ掛かりを作って欲しいと頼まれた」と聞かされた。
第二副官のようにリリエンタールの子飼いでもなければ、リリエンタールの親族にあたる王侯貴族でもなく、また彼らの部下でもない、小国の若い無名の士官がリリエンタールの副官になった理由。ただし同じような売り込みは無数にあり ―― 最終的に選ばれた理由は、筆頭副官本人の優秀さによるものだった。
幾たびもルース帝国に侵略されている国出身者である筆頭副官は、ルース皇太子であるリリエンタールのことを嫌っているが、暗殺者の少年を捻りあげ守り、慰問という名目で、リリエンタールに結婚を迫りにやってきた姫君たちの盾となり……副官としての仕事を立派にこなしていた。
【オデッサが言うロスカネフの厄介な男って誰だろう?】
筆頭副官の話をしていた時に出てきた「厄介な男」が誰か? ふと気になったカール・ハイドリッヒは、軽い気持ちで知っていて教えてくれそうなリトミシュル辺境伯爵に尋ね、
【ロスカネフ諜報部の次期当主フランシスのことだろう。アウグストに顔のない男と言われたルース帝国国家保安省のキリルを五乗してから足して、アントンの親友イヴァーノの不貞不貞しさぶっ込んでおきながら、平々凡々とした容姿を持つという、極めて厄介な男だ】
リトミシュル辺境伯爵はカール・ハイドリッヒが知っている人を例にして教えてくれ、
【うわぁ…………】
その人選に言葉を失った。
【侯主。やつは存在を知った相手には、警告の意味で絡んでくるからな】
【聞かなきゃよかった】
好奇心は猫をも殺すとはこのことか ―― 教えてくれたリトミシュル辺境伯爵に礼を言ってから「アントンの親友イヴァーノのくだりは、ヴィルヘルムでも変わらないよね」と……これに関しては胸の内でそっと囁く。
もっともそれを聞いたとき「本当にそんな人いるのかな? ヴィルヘルムが盛ったのでは」と思いもしたが、確かめる術はなかった ―― 十八年後にそれを知ることになるとは、カール・ハイドリッヒは勿論思ってもいなかったが。
そんな会話を挟みながらカール・ハイドリッヒはリリエンタールの作戦を支えるために、日々兵士たちを腹一杯にすべく物資輸送に精を出し、それを無にしてしまう憎むべき横流しと格闘しながら終戦 ―― 正式には「休戦協定」だが、戦争はやっと収まった。
優秀な筆頭副官は、リリエンタールの命を受けて、分隊長から大隊指揮官までこなすも、無事に生きて終わりを迎えることができた。
[キース中尉]
兵站総監という後方支援部署を任されたカール・ハイドリッヒの仕事は、休戦しても山積みだが、総司令官の副官だったキースは、休戦を迎えてからすぐにその任を解かれ帰国が決まった。
深々と頭を下げるキースに、
[手紙出したいから、住所を教えて欲しい]
邦領君主自ら尋ねる必要はないのでは? と、思いながらキースは顔を上げた。
カール・ハイドリッヒが差し出した革製の手帳と万年筆を受け取り、さらさらと書きつける。
受け取って住所を眺め ――
[これは独身寮かな?]
[はい]
[そうか。住所が変わったらすぐに教えてくれ。わたしの住所はこれ]
クルヴェルラント侯国と城の名称だけの、国内でもっとも短い住所を書いた紙を手渡し、キースは礼を失しないよう受け取る。
[それじゃあ。落ち着いたらロスカネフにも遊びにいくから]
[お待ちしております]
きっちりとした態度で受け答えし、内心を露わにはしないが、故国での態度を聞けば「何のつもりだ」と思っているのは明らかであったが、カール・ハイドリッヒは気にすることはなかった。
キースへ初めて手紙を送り返事が返ってきたとき「なぜわざわざ小官に住所を聞いたのですか」と問われ「許可なく送ったら捨てるよね」と返事を返したところ「そんな失礼なことはいたしません」と半年後に返事があったが ―― これに関しカール・ハイドリッヒは自信があった。あのタイプは容赦なく焼いて捨てると。
キースたちが帰国してから二ヶ月後、
【ありがたい。洗礼は何度してもいいからね】
カール・ハイドリッヒはリリエンタールと共に一度自国へと戻った。
戦争中に生まれた息子フランツは、既に洗礼を済ませているが、枢機卿が足を運び直々に洗礼してくれるというのだから断る理由はない。
【うちの息子も頼むな】
【うちの息子もよろしく】
リトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯も友人の息子の生誕を祝いに……と、同行している。ボナヴェントゥーラ司祭やシャルル廃王子、その他護衛なども一緒に便の悪い鉄道を乗り継ぎ、故国の駅に降り立つと妻が息子を抱いて待っていてくれた。
【ありがとう、ルイーゼ。ありがとう】
涙目になりながら息子を抱き、カール・ハイドリッヒは父親になった実感を噛みしめた。
リリエンタールは、
[はい、そこで聖水に。はい、いいぞ、アントニウス]
[煩い、イヴァーノ]
[初めての洗礼式だからアドバイス]
[お前、赤子の洗礼式をしたことあるのか]
[ない!]
[…………]
頭髪が薄くなりつつあるボナヴェントゥーラ司祭の、無駄な合いの手に溜息をかみ殺しながら、息子フランツの洗礼式を行い、歓待を受けて去っていった。
リリエンタールは休戦後の連合軍に関し、大まかな指針を決め「委細は兵站総監に任せる」として新大陸へと再び渡り、命を受けたカール・ハイドリッヒはそれに従い後片付けに奔走。
国と本部が置かれたアディフィン王国の首都を行き来し ―― 休戦協定が結ばれてから三年かけて処理を終えた。
その三年の間に新型蒸気機関車の試運転場所に選ばれ鉄道を敷かれ、気づけば交通の便が良くなり、小切手のやり取りで顔見知りになったハンフリー銀行の行員が、限りなくトップに近い人間とともにやってきて、リリエンタールがまとめた乳製品加工工場の建築と、借金の返済方法が書かれた書類を手渡された。
臣下たちと吟味し、工場を建築しハンフリー銀行経由でモルゲンロートの伝手を得て、近隣に細々とながら乳製品販売を開始。
長女にも恵まれ ―― リリエンタールは相変わらず、あちらこちらで戦争をしていた。
カール・ハイドリッヒの耳に届くのは、シャルル廃王子を奪還してからの連戦連勝、連合軍時代の不敗と変わらず、戦えば圧勝しているというもの。
かつて戦争を欲し、勝ち続けノーセロートの皇帝となったエジテージュとは違い、戦争を全く欲していないのは、誰の目にも明らかだった。
それでも戦争を続ける。
戦争など興味もないが、戦争くらいしていないと倦んでしまうのだろう ―― 飢えとは正反対の飽和の中で。
【いや、戦争をしていても倦んでいるのかもな】
リリエンタールはもうすることがない ――
いつの間にかリリエンタールは力を付け、もう彼を押さえつけられる人はいなくなった。それは良いことなのかも知れないが、自由を得てもリリエンタールは何も変わらず。
共産連邦と休戦協定が結ばれてから四年後、事務処理を終えたカール・ハイドリッヒはリリエンタールにより職を解かれ、それと共に連合軍本部も解散となり、その頃キースは後ろ盾のない庶民としては異例の速さで少佐に昇進し、ヴィルヘルムはリトミシュル辺境伯爵を継ぎ、既にフォルクヴァルツ選帝侯を継いでいたアウグストは植民地の総督として別の大陸へ。
カール・ハイドリッヒの周辺での変化と言えば、リリエンタールに喧嘩を売ったヘクトルの国が、財政が立ちゆかず合併吸収されてなくなったこと。
邦領君主のよしみで、ヘクトルが助けを求めてくればそれなりに遇するつもりだったカール・ハイドリッヒだったが、ヘクトルは新天地で一山当てると大陸の東にある天という帝国へと渡って阿片取引に関わり、行方知れずになったという噂を聞き、それ以上のことは分からぬまま年月が流れ ――




