邦領君主の回想と返答・6
【おめでとう】
【おめでとう】
二十一歳のカール・ハイドリッヒは、二歳年上の婚約者と晴れて結婚した。
【ありがとう、アウグスト、ヴィルヘルム……久しぶりの再会だけど、本当に眼帯つけてるんだね】
【ああ。良い男になっただろう】
【もともと良い男だよ。本当は結婚式に呼びたくないくらい、良い男だ】
【もっと褒めていいんだぞ、侯主】
【あとは新妻を褒めるために使うから、終わりだね】
【たしかにそっちのほうが大事だな、アウグスト】
【そりゃそうだ】
結婚式には当然彼らを呼んだ ―― 家柄や格などを考えると、カール・ハイドリッヒの結婚式に彼らを呼ぶのは不釣り合いなのだが、学生時代の友人ということで招待状を送った。
【オデッサも、わざわざ新大陸から来てくれて】
ルース帝国消滅後、リリエンタールは新大陸へと渡ってしまい ―― 大陸は共産連邦の侵攻を押しとどめることができず、日々脅威にさらされている。
【邪魔されなければ、それほど大した距離ではないので気にするな】
旧ルース帝国、現共産連邦との国境に領地を持つリトミシュル辺境伯爵家のヴィルヘルムも忙しい筈だが、彼らは友人の結婚式を取った。
【そっか。アイヒベルクも来てくれて嬉しいよ】
【ご招待いただき、誠にありがとうございます】
アイヒベルク伯爵を賜ったリーンハルトが深々と頭を下げる。
学生時代から家臣の雰囲気が漂っていたアイヒベルク伯爵だったが、今では完璧な家臣になっていた。
そのアイヒベルク伯爵の後からちらちらとカール・ハイドリッヒを見る人影。背中の中程までの長い栗色の巻き毛を一本に結い、フロックコートを着た、男装の美少女にしか見えない人物。
【シャルル。なにを隠れているのだ。お前が会いたいというから、連れてきてやったのだぞ】
盾にされているアイヒベルクは困ったようにしているが、栗色の巻き毛 ―― シャルル・ド・パレの王子の腕を掴んで引きずりだすわけにはいかないので、ただ立ち尽くすだけ。
リトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯ならば、どうこうできるが、彼らはにやにやと笑っている。
【済まんな、侯主。あれはもの凄い人見知りでな】
かつて礼拝堂でリリエンタールと間違って笑顔を向けられてから、そっぽを向かれるまでを覚えているカール・ハイドリッヒは、そういうことだったのか……と。
【そうなの】
【だがどうしても侯主に会いたいと。覚悟が決まったら、唐突でぶっきらぼうに命令してくるかもしれぬが、その時は適当に相手をしてやってくれ】
なんともリリエンタールらしい頼みに、カール・ハイドリッヒは笑顔で頷いた。
その後、結婚式が執り行われ、
【ハイドリッヒさま! ルイーゼさま! 結婚おめでとうございます!】
【ルイーゼさま! 跡取りを!】
【ハイドリッヒさま、頑張るんだぜ!】
領民から結婚おめでとう以上に、跡取りを! の声を掛けられ ―― カール・ハイドリッヒは笑顔で彼らに応える。
先代のギリギリっぷり ―― 跡取りがいないことにより、領土が併呑、または四散、または乗っ取られそうだったことを知っている領民たちの気持ちを、カール・ハイドリッヒは良く知っているので、
【期待に応えられるよう頑張るよ】
逃げることもせず、もちろん気分を害することもなく、祝いにやってきた領民たちに手を振る。
【ルイーゼさま! 儂等の領主を頼みます】
【ルイーゼさま、五人は頼みます】
見るからに健康そうなルイーゼも、カール・ハイドリッヒ同様、笑顔で応えた。
跡取り問題が深刻な家だというのを知って嫁いできたので、この程度の祝福は想定内 ―― 二人はこれから約二十年の間に、五人の子供に恵まれることになる。
神前での式を終え、ガーデンパーティーを行っていると、
<クルヴェルラント侯主>
アイヒベルク伯爵の影に隠れながらも、パレが声を掛けてきた。
人見知りだと聞いていたので、カール・ハイドリッヒは妻に少し離れるよう手を動かし、ルイーゼは深々とパレに頭を下げてから離れ、義理姉や義母のいる方へ。
<はい。クルヴェルラントにございます>
ノーセロートと言えば大国 ―― かつて使者を一蹴したが、主君の血筋となれば、邦領君主であろうとも礼を尽くす相手。
<あの……抗議の手紙ありがとう。なにも役には立たなかったみたいだけど……いちおう礼はしておく……教皇がクルヴェルラントの勇気を褒めてたぞ>
<わざわざありがとうございます。教皇猊下からお褒めいただけたとは、このクルヴェルラント、一生の誉れ>
<じゃ、じゃあ! あっ、あと、結婚おめでとう……>
<ありがとうございます>
それだけ言うとパレは”もう無理!”と、顔を真っ赤にしてリリエンタールの方へと駆け出した。
【殿下は非常に人見知りでして。殿下としてはかなり頑張られた方です】
取り残されたアイヒベルク伯爵は、頭を下げてフォローを入れる。
【抗議の手紙、役に立たなかったのに、わざわざお礼を言ってくれるとは律儀な御方だ】
【本当に役に立っていないと思っていたら、礼を言うような殿下ではありません】
【……なるほど。じゃあ少しはお役に立てたようだね】
【はい……あっ!】
【どうし……異父姉上!】
話をしていると ―― お転婆といまだ名高いカール・ハイドリッヒの異父姉が馬に乗り、リトミシュル辺境伯爵と共に駆け出した。
【お転婆姫さま、頑張れ】
【すげえ! さすが、辺境軍人王】
異父姉は乗馬が得意で、カール・ハイドリッヒに乗馬を教えてくれたのも彼女だった。そんな乗馬好きな異父姉は、カール・ハイドリッヒの幼年学校での話を聞き ―― 何時かは共に駈けてみたいと言っていたが……すでに三児の母となっていたので、そんなことはしないだろうと思っていたが、そうではなかったようだ。
その後、リリエンタールにも乗馬を披露してもらい、
【息子の一人を騎士団に入れたいわよね。伝手は任せていいかしら? ハイドリッヒ】
【甥たちの希望をきいてからですよ、異父姉上。なりたいって言ったら、オデッサを頼ります】
【騎士団長に頼めるなら、絶対息子を騎士に】
【お転婆で名高い異父姉上に似たら、絶対騎士は無理ですからね】
【大丈夫、大丈夫。夫に似たら大丈夫】
ヨハンに運動神経が似たら、無理ですけどね ―― カール・ハイドリッヒの思いを余所に、皇帝然としたリリエンタールの馬術の基礎は騎士団由来だと教えられた異父姉は、息子を騎士にするのだと盛り上がった。
そんな異父姉を幸せな気持ちで眺め ―― リリエンタールからの結婚祝いとして渡された小切手が入っている封筒をあける。
小切手は二枚入りで、一枚には侯国の国家予算五年分の金額が、もう一枚は金額は空欄になっている。
この小切手を手渡された時、
【侯主。あと一年ほどで、大規模な戦争が起こる。そうだ、共産連邦とのな。それに備えて一年分の物資を備蓄しておくといい。小切手はその費用だ】
耳元で囁かれた。
【一年?】
【その辺りで引き受けてやる予定だ】
【なにを?】
【対共産連邦戦の総司令官】
戦争は避けられない状況なので、戦争そのものに対してカール・ハイドリッヒは驚きはなかったが、各国が恥知らずにもリリエンタールに総司令官を依頼しているとは思いもしなかった。
カール・ハイドリッヒは愚かではないので、ルース帝国崩壊時、各国が各々の思惑のもとルース帝国を見捨てたことくらいは分かっている。
【教えてくれてありがたいし、小切手もありがたいんだけど……侯国にこの額を一度に引き出せる銀行はないよ】
【買い出しにいった先ならばあるだろう】
【そうだけど】
【もう一枚は好きに金額を書け】
【1000億とか書いてもいける?】
【その程度ならば問題はない】
【さすが運河と海と植民地を持っている貴族は違う】
会話を思い出しながら、カール・ハイドリッヒは金額が書かれている小切手は封筒にもどし、金額が空欄の小切手に自分の国の一年分の備蓄品購入に必要な額を書き、家臣たちに調達を命じた。
【気前いいですな】
【さすが大富豪】
【首都の銀行でなければ無理ですねえ】
家臣に渡した小切手の三倍近い額が書かれている小切手が入った封筒を、カール・ハイドリッヒは当主しか暗証番号を知らない金庫にしまった。
**********
カール・ハイドリッヒの結婚式から一年ほど過ぎ ―― 後の世において「三月戦争」と呼ばれることになる、連合軍対共産連邦の戦争が始まった。
総指揮官はリリエンタール。
伝説ともなった初陣で、難攻不落と謳われたヒル=ボライン要塞から、死刑が確定していたパレ奪還、そして植民地強奪から約八年。
リリエンタールはもっとも戦争が上手い男として、その名を知らしめ ―― 変容した継ぐ筈だった国相手に指揮を執ることになった。
総指揮官の名を聞いたカール・ハイドリッヒはすぐさま準備を整え、
【あとのことは頼むよ、ルイーゼ】
【お任せください。大丈夫です、義母さまに義理姉さま、そして小母さまがいらっしゃいますから】
身重の妻を国に残し、五名の供を連れ連合軍の前線司令基地へと向かった。
この連合軍というのは、当然ながら自国の軍隊を所有している国のみが対象。邦領君主国のように、防衛を他国に任せている国に声が掛かることはない。
要するにカール・ハイドリッヒは呼ばれてもいないのに、家臣を連れてやってきた ―― もちろん呼ばれていないので、滞在費用は全て自前。軍隊がないので軍服も所有していないためフロックコート姿。
【待っていましたよ】
【スパーダ神父さま】
この頃、共産連邦は怖ろしい速さで南下し、主が不在の白海を我が物顔で支配し、その勢力は教皇領のある半島にまで迫っていたため、前線基地は教皇領の程近くの地中海に面した港を持つ街におかれた。
[基地内での使用言語は古帝国語です]
[わかりました……あまり得意ではありませんが]
カール・ハイドリッヒは本人が言う通り古帝国語はあまり得意ではないが、日常会話くらいならこなせる ―― 司令基地なのでそれ以外の言葉も使えなくてはならない気もしたが、それは追々……と考えながら、スパーダの案内を聞きながら、建物内を進む。
[総司令官閣下。クルヴェルラント侯をお連れいたしました]
スパーダがドアを開け”どうぞ”と促す。
通された先は、中庭に面している非常に風通りのよい部屋だが、なにぶん人が多くその風を感じることはできない。
各国の軍服を着た士官たちが立ったまま同国人同士、小声で話をしており、入室したカール・ハイドリッヒたちに視線を向けたものの、軍服を着用していない彼らを見てすぐに興味を失ったようだった。
[侯主。こっちだ]
上座のほうから覚えのある声に呼ばれたので、部下たちとともに声がした方へと向かうと、室内で唯一人椅子に腰を降ろしている人物 ―― リリエンタールがいた。
[遅かったな]
もちろんカール・ハイドリッヒを呼んだのはリリエンタールではなく、リリエンタールの右隣に立っているリトミシュル辺境伯爵。
左側にはアッシュブロンドに白皙の美貌を持ち合わせた、自分たちと同い年にみえる身長が高い軍人が立っている。
カール・ハイドリッヒには覚えのない軍服だが、顔だちと肌の透けるような白さから、北国の出身なのだろうことは分かった。
側にいるがリトミシュル辺境伯爵が副官ということはないので、この険しい表情で側に控えている同年代の男性が副官なのだろう ――
[ただでさえ交通の便が悪いところなのに、この非常事態でさらに悪くなって、ここまで来るの大変だったよ]
[あまりに遅いから、誘拐されたんじゃないかって心配していたぞ]
[大事の前に心配を掛けて悪かったね。久しぶり、オデッサ。ここでは総司令官閣下と呼んだほうがいいかな?]
カール・ハイドリッヒがリリエンタールに話し掛けると、左側に立っているアッシュブロンドの軍人がリリエンタールに顔を近づけたが、リリエンタールは左手を振って「要らぬ」と告げ、使用言語外の言葉で話し掛けてきた。
【よくぞ、わざわざ来たものだ。歓迎しよう、侯主。呼び方はオデッサで構わんが、今回の勝利条件の一つはオデッサの奪還もあるので、些か混乱しそうだな】
【では総司令官閣下と呼ばせてもらおう】
【ふむ。ところで侯主。手紙に書いていた通り協力してもらうが、いいな?】
【もちろん】
そこで一端会話が途切れ、リリエンタールは左側の軍人を指先で呼び、耳元で囁き ―― その軍人がリリエンタールの言葉を伝える。
[カール・ハイドリッヒ・フォン・ショルファルを連合軍大将とする、とのお言葉です]
連合軍総司令官リリエンタールは、部下に直答を許さなかった ―― それが連合軍総司令官を受ける条件の一つ。
直答云々に関してカール・ハイドリッヒが思うことはなかったが 軍隊を持たず戦争経験もない自分が大将に任じられたことに関して”それはないだろう、オデッサ。わたしは君たちが言うところの、未経験者だよ” ―― 思うも、総司令官に任じられた以上、
[謹んでお受けいたします]
返事はこれしかない。
椅子に座っているリリエンタールに跪き頭を下げて、地位を受け取った。
[ショルファル大将を兵站総監、および食糧長官に任ずる。全兵士を飢えさせるな、とのご命令です]
自分の領民よりも遙かに多い数の兵士、それも5000kmに及ぶ前戦に点在している彼らを飢えさせるな ―― まさに大役。
[御意]
リリエンタールが「さがれ」と手を動かし、カール・ハイドリッヒが立ち上がると、リトミシュル辺境伯爵が近づいてきて、首に腕を回して、
[ビール長官。うちの部隊にビール多めに融通してくれ。賄賂は渡さないが、賄賂っぽいものはくれてやる]
早速よろしくない交渉を、総司令官の目の前で始め、
[リトミシュル軍にビール多めに割り振ればいいんだね。了承した]
兵站総監はすぐさま乗った。
[おう。これで思う存分戦える]
[ヴィルヘルムは、どこに配置されるの?]
[アントンの参謀長官。アントンに策を献じては”馬鹿め”と眼差しで却下されるを繰り返す役]
もちろんリトミシュル辺境伯爵の役割は違う ―― 彼直属の部隊は遊軍で、リリエンタールの策を完成させる最も重要な最後のピース。
[…………大役だね。頑張って。あ、ビールさらに増量するね]
[お前は良い男だ、侯主]
[君ほどじゃないよ、ヴィルヘルム]
[まあな]
多くの司令官の前でのやり取りだったため、カール・ハイドリッヒは兵站総監ではなく「ビール長官」と呼ばれるようになった。
何とも言えない呼び名だが、カール・ハイドリッヒ本人は「じゃがいも大将」や「ベーコン侯爵」と呼ばれなくて良かったと ――




