東への道
両親が交通事故で亡くなった旨が祖父母まで届き、父方の祖父が喪主となって葬儀が開かれた。その後、そのまま父方の祖父母が駿の保護者となったが、やや遠方に住んでいたこともあって、駿はそのまま両親と住んでいた家に一人で住み続けることになった。
思ったより涙が出ない駿に対して、祖母は優しく言った。
「駿はなぁ、心が追いついてないのよぅ。そういう時はゆっくり心が追いつくのを待てばいいのよぅ」
祖母の言う通りなのかは分からないけど、少しだけ駿は救われた気持がした。そうでなければ、自分がどうしようもない人間だと思ってしまうから。
両親のいなくなった家は今までよりも何倍も広く感じられた。寂しさを感じたけれど、悲しさはあまり感じない。
寂しさが募れば親しい人、恋しい人に会いたくなるのも道理だった。けれど、両親は彼岸に旅立ち、恋しい人は壁の向こう。
「東へ行こうかな……」
気がつけばそのようなことを口にしていた。
「隼人、俺東へ行こうと思うんだ」
突然の決意表明に、駿の親友はしばらくぽかんと口を開いていたが、やがてにまっと笑った。
「そうか、決心したんだな」
「ああ」
せいぜい頼もしそうに見えるように駿は頷いたが、実際は決心したというような大層なものではなかった。単に人寂しさが、愛しい人に会いたいという気持ちが、臆病を上回っただけだ。
それに、交通事故であっけなく両親が死んで、人間はいつどこでどう死ぬか分からないということがよくわかった。自分がどうなるか、紬がどうなるか、分かったものではない。その前に一度会って、もしかしたら恋の歌を、もしかしたら別離の言葉を、捧げたかった。
「……ところで、お前今爺ちゃんに養われてるんだろ?」
「まぁ一応祖父が保護者だけど」
「東に行くって言ったのか?いくら行けるようになったからって、帰ってこれるかは分からないかもしれないぜ?」
隼人は冗談めかしていたが、眼だけは真剣だった。
まさか帰ってこれないことはあるまい、と駿は思う。高々一高校生だ。東へ行った時に何かの拍子に向こうの人たちが拉致したいと思うわけでもあるまい。隼人が言いたいのは、おそらく、彼自身が紬と共に東で生きることを選ぶんじゃないか、ということなのだろう。
駿はその可能性を否定できなかった。
「……挨拶してから行くさ。バイトで貯めた金を使うんだし、まさか止められることもないだろ」
「……そうか」
隼人は自分の髪をわしゃわしゃとかき回した。
父方の祖父母の家は、駿の家から電車で一時間半ほどのところにある。突然ふらりと現れた孫を、二人はにこにこしながら歓待してくれ、昼ごはんも多めに作りなおしてくれた。
何となく東に行くことを切り出せないまま、夕方になってしまった。そろそろ帰らなくてはいけない、という時間になって、やっと駿は決心することができた。
「じいちゃん、ばあちゃん、俺、今度東に行こうと思う」
二人とも表情が一瞬だけ固まった。きっと、この孫は何を言い出すのかと思ったに違いない。西側の人間にとって、自由のないと固く信じられている東へ行くということは、解禁された現在でも、故郷に行きたいとか、生き別れた親族に会いたいとか、そういった人生の一大事のために行くものであって、気軽な観光で行くものじゃないからだ。
「……どうしてだ?」
最初に口を開いたのは祖父の方だった。彼はいつになく険しい顔をして、孫の顔を見ている。
どうして?紬に会いに行くためだ。それをそのまま言うべきなのだろうか。言うべきなのだろう。幸いなことに、駿と親しい親族は皆西側にいる。紬に会いに行く以外には東側に用はないし、他人を納得させられるような理由も作れない。
それでは自分にとって紬は何なのだろう。幼馴染みというには親密すぎた。けれど、恋人というには空白期間が長すぎた。
「……壁ができる前の恋人に会いに」
駿にとって、事実を淡々と述べる以外に道はなかった。
祖父は相変わらず険しい顔をして駿を睨んでいた。思いのほか優しい表情をして、祖母が口を開いた。
「駿、会うだけかい?」
「一応そのつもりだけど」
「帰ってこないかもしれないんだろぅ?そうじゃなきゃわざわざ言いに来ないだろうからなぁ」
駿は心の中をずばりいい当てられて、次の言葉を継げなかった。繕う言葉も、肯ずる言葉も、そのどちらも出なかった。
「まぁええ。行きたい道を生きんしゃい。ばあちゃんたちのことは気にせんでええよぅ」
「ばあさん」
祖父が抗議するように声を上げたが、祖母はそれを静かに制した。
「老人はさぁ、そう長生きするもんじゃない。けど、駿にはなぁ、長い未来が待ってるんだ。娘っ子のために自分の人生を切り開くのも一興さぁ」
にこにこしながら祖母は言う。その言葉の裏に、どんな感情が渦巻いているのか、駿には分からなかった。息子夫婦に続き、その一人息子とも永別するかもしれないというのに。
「……まぁばあさんの言うとおりだな。わしらの孫もお前一人じゃないし、好きに生きな」
祖父はそっぽを向いて、ぶっきらぼうに言う。
「……もしそうなったら、不孝をどうかお許しください」
駿は思わず深々と頭を下げた。
隣国を経由して東に入る。壁の向こうはすぐそこなのに、そういう手続きを踏まなければならないことはややもどかしかった。
空港には、わざわざ学校を休んで隼人が見送りに来てくれた。
「悪いな、わざわざ」
「いいのいいの、学校さぼりたかったし」
いたずらっぽく笑って隼人は言う。しかし、その後すぐに表情を引き締めた。
「それに、お前と会うのはこれが最後かもしれないしな」
「不吉なことを言うなって……そしたら会いに来てくれよ」
「嫌だよ、なんだって男に会いに行くために壁を越えなきゃいけないんだ」
「……それもそうか」
紬がもし男で、恋人とかではなく単なる幼馴染みだったらここまでして会いに行こうとは思わなかった気がして、駿は自分の薄情さにあきれ返った。
「俺はさ、駿。お前が幸せになれる道をつかめばいいと思うよ。駿と違って俺の幸せはきっと西側にしかないだろう。でも、お前は東側にも幸せがあるかもしれない。悔いのないように選んできてくれ」
「……多分だけどさ、今は決めないと思う」
駿は静かに言った。
「もし、紬が俺と一緒になってくれると決意してくれても、高校は西側で卒業するつもりさ」
「なーに馬鹿なこと言ってるんだ。少年老い易く、だぞ?お前にも大島さんにも決意があるならそのまま飛び込んでこい。既に三年無駄にしてるんだ」
力強く背中を叩かれて、駿は思わず咳込んだ。
「そうは言ってもなぁ」
「なに、向こうに住んでも、多分その内手紙のやりとりくらいは許されるようになるだろ。それで謝ってくれたら許す」
「……というか、ケータイとかのキャリアを使ったメールは不通でもインターネットを介したメールは今なら送れるんだけどな」
東と西に分断された時には一時的にインターネットも遮断されていたが、さすがに、とっくに復旧されている。ただ、その間にそれぞれの国の中で電波電信事情が大きく変化したことは言うまでもなく、壁ができる以前のメールアカウントは使用することができなくなっていたようだった。
それに、中学生の時にはもちろんインターネットのメールアカウントなんて駿も紬も持っていなかったから、結局仮にインターネットのメールアドレスが使えたとしても、連絡を取り合うことはできないのだが。
「あ、そうか。じゃあ俺のアドレス教えとく」
彼はスマートフォンをいじくった。すぐにぴろりんと駿のスマートフォンが着信を告げる。
「ん、ありがとう」
駿は着信を確認しながら言う。
「それじゃあな、駿。幸せになれよ」
「お前こそな」
拳をぶつけあうと、隼人は右手を上げてくるりと駿に背を向けた。そのまますたすたと歩き出す。
またね、という言葉はどちらからもなかった。それが嘘になるかもしれないというのはお互い分かっていたから。
不意に駿の胸が痛んだ。また明日、が果たされなかったあの日のことを思い出した。




